兵庫慎司の『思い出話を始めたらおしまい』

第十七話:フラワーカンパニーズの日本武道館、一回目は2015年で二回目は2025年(前編)

月2回連載

第33回

illustration:ハロルド作石

この連載の第十一話・第十二話・第十三話、計6回にわたって、フラワーカンパニーズのライブについて書きまくった。

2025年9月20日土曜日に、10年ぶり二度目の日本武道館ワンマンが決まったので、応援したい、少しでもその宣伝になれば、という理由だった。

となると、フラカンのライブについて次に書くのは、その9月20日の二度目の日本武道館を観た上で、10年前の、初めての日本武道館のことも含めて書く、というのが、いちばんスムーズなのはわかっている。

のだが、それだと遅いのだ。二度目の日本武道館が終わってから、ではなくて、終わる前に書きたいのだ。なんで。ダメ押しでもう一度、宣伝をしておきたいので。これを書いている時点では(8月6日です)、その日本武道館、チケットが売り切れたとか、残り僅かとか、そういうような情報は、入ってきていないし。

まあ、前回=10年前の日本武道館の時も、開催の日に当日券が売り切れた時点でソールドアウトしたんだけど。というか、ソールドアウトするとは、本人たちもスタッフも含めて、誰も思っていなかったんだけど。で、きっと今回も、ソールドアウトしないケースも想定した上で、開催を決めたんだろうけど。フラカン、ああ見えて、現実主義な人たちだし。

でも、宣伝はしたいわけです、こっちは。という気持ちに拍車がかかっているのは、今、毎週一回フラカンの楽曲について書くことを、自分が続けているからだと思う。

フラカンが、というか、正しく言うとフラカンのスタッフが、インスタグラムに「フラカンの音楽目録」というアカウントを作って、300曲以上あるフラカンの曲をすべてレビューしていく企画を始めたのだ。書き手は、僕を含む音楽ライター5人+四星球の北島康雄の6人なので、ひとりあたり50曲以上書くことになる。

その締切が週に一回あって、毎回6曲ずつ書いて送る(1曲につき300字)、という生活を、もう3カ月くらい続けているのだった。

フラカンの昔の音源を、1曲ずつ、歌詞などもじっくり見ながら、何度も丁寧に聴いて、そして書く。という、普段やらないことをやっているおかげで、「これ、こんなにいい曲だったのか!」とか、「こんな曲を書けるバンド、他にはいないよな」とか、「そうか、俺はフラカンのこういうところが好きなんだな」とか、そんなようなことを考える時間が、ぐんと増えているのだった。そうなると、直前に迫っている二度目の日本武道館にひとりでも多くの人が来ますように、と、応援したくなるでしょ、それは。

というわけで、10年前のことを書きます。2015年12月19日土曜日。フラワーカンパニーズ、結成26年、デビュー20年にして初の日本武道館について、である。

そもそも、この数年前から、活動歴は長いが一度も日本武道館でワンマンをやったことがない、ライブハウスを主戦場にしているベテランのロック・バンドが、初めて日本武道館に挑む、という……なんて言えばいいかしら。ムーブ? 違うか。ブーム? もっと違う。

ええと、とにかく、そういうトライアルに、そういうバンドたちが挑む、という行動が、この数年前から起きていたわけです。

最初はthe pillows。20回目のバンド結成日である2009年9月16日に行い、ソールドアウト。

二番目は怒髪天で、結成30周年にあたる2014年1月12日に開催、これもソールドアウト。

その次がフラワーカンパニーズ、結成26年デビュー20年で2015年12月19日。

そのあと、THE COLLECTORSがバンド結成30年で2017年3月1日、Theピーズ(今はピーズという名前になりました)が30回目の結成日(初ライブの日)である2017年6月9日。

そこからちょっと空いて、2022年1月3日、コロナ禍なのに(いや、「コロナ禍だから」かも)ニューロティカが結成38年目で日本武道館をやっている。のだが。

フラカンよりあとの人たちは、ここでは棚に上げておくにしても、最初の3本のうち、1本目のthe pillows&2本目の怒髪天と、3本目のフラワーカンパニーズには、はっきりとした違いがあった。

どこが。the pillowsも、怒髪天も、「ああ、なるほど、やるなら今だな」という状況とか機運とかがあるタイミングだったが、フラカンはそうではなかった、ということが、だ。

まずthe pillowsは、この2〜3年前あたりから、改めてその存在が見直され、人気も評価も高まっていたところに、人気アニメ『フリクリ』で曲が多数使用され、それがアメリカでも放送されたことであちらでも人気になり、アメリカでもツアーを行い──という時だった。

ああ、確かに、やるなら今だな、今なら売り切れるな。誰もがそう思っただろう。って言い切るのは雑か。少なくとも、僕はそう思いました。

怒髪天は、そんなthe pillowsと並ぶほどの状況の高まりがあったとは言えず、「今ならやれる」と「無謀だけどやるんだよ」のどちらに近いかというと、後者だった。

しかし、東京圏だけでなく、全国規模でファンも各地のイベンターやライブハウス等の関係者も巻き込んで、みんなが応援する中で機運が盛り上がっていき、結果、見事にソールドアウトした。

ただ、そんな怒髪天、無謀と言えば無謀だったが、武道館より前の時期から、動員はじわじわ上がっており、3000人規模のZepp Tokyoや日比谷野外大音楽堂を売り切る、それくらいの盛り上がりにはなっていた。

そこが埋まったら次はどこ? 東京圏で言うなら、5000人規模の国際フォーラムホールAか、8000〜9000人規模の日本武道館になりますよね。そう考えると、順当だった、とも言える。

その怒髪天の日本武道館のアンコールで、増子直純に「俺たち武道館やったぞ! 次はフラカンか? コレクターズか?」と、最初に名指しされたフラワーカンパニーズ。その後、2015年12月19日に日本武道館をやる、と決めた頃の彼らは、どんな状況だったでしょうか。

一度目のメジャー契約ありの時期〜インディー期〜二度目のメジャー契約ありの時期(=その当時)、その間に何度も日比谷野音でワンマンをやっているが、一度も売り切れたことはなかった。

Zepp Tokyoは、そもそもワンマンをやったことがない(結局やらないまま、2022年1月1日に閉館しました)。

そして、2009年にメジャー復帰してから数年間は、ニュー・アルバムだのトリビュートだの、映画やドラマのタイアップだので、いろいろと盛り上がっていたが、それもいったん落ち着いて、「メジャーでやっているのが普通」みたいになっており、別に盛り下がってはいないが、かと言って特に、盛り上がってもいない感じの時期だった。

そんな時にフラカンは、初の日本武道館をやることに決めたのである。

いや、逆か。そんな時だからこそ、初の日本武道館をやることを決めたんだな。ということが、後になってわかった。

次回に続く。

プロフィール

兵庫慎司
1968年広島生まれ東京在住、音楽などのフリーライター。この『思い出話を始めたらおしまい』以外の連載=プロレス雑誌KAMIOGEで『プロレスとはまったく関係なくはない話』(季刊)、ウェブサイトDI:GA ONLINEで『とにかく観たやつ全部書く』(月二回)。著書=フラワーカンパニーズの本「消えぞこない」、ユニコーンの本「ユニコーン『服部』ザ・インサイド・ストーリー」(どちらもご本人たちやスタッフ等との共著、どちらもリットーミュージック刊)。
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