兵庫慎司の『思い出話を始めたらおしまい』

学生時代に観た外タレは3組だけ。チープ・トリック、ストーン・ローゼズ、ローリング・ストーンズ(後編)……のつもりだったが、今回はチープ・トリック編に

月2回連載

第38回

illustration:ハロルド作石

京都に住んでいた大学時代に、初めて海外アーティスト、いわゆる外タレのライブに行った。その4年の間に観たのは3本。チープ・トリック、ストーン・ローゼズ、ローリング・ストーンズ──という話の、後編です。前編はその3バンドに一切触れないまま終わってしまった。ここから書きます。

まず、チープ・トリックに関しては、僕が彼らを知って、最初に買ったアルバムは、6作目の『ワン・オン・ワン』である。1982年4月リリースだから、中2になったばかり。

ざっくり言うと、チープ・トリックというバンドは、ロビン・ザンダー(vo)&トム・ピーターソン(b)の「美形ロン毛モテモテサイド」と、リック・ニールセン(g)&バン・E・カルロス(ds)の「愉快なおっさんサイド」に分かれている。

1977年リリースのセカンド・アルバム『青ざめたハイウェイ』では、ジャケットはモテモテサイドのふたりで、裏ジャケはおっさんサイドのふたりだったりするので、自分たちもそれを自覚していて、うまく使ってやろうという意志もあったのだろう、と思う。

が、1980年リリースの5作目『オール・シュック・アップ』を最後に、モテモテの片方=トム・ピーターソンが脱退。ツアーでのサポートをひとりはさんで、ジョン・ブラントが加入し、新体制の最初の作品が、この『ワン・オン・ワン』となった(ただしレコーディングでは、1曲を除きリック・ニールセンがベースを弾いている)。が、バンドの人気は、このアルバムから下がり始める。

という、「よりによってなんで今?」みたいなタイミングで、僕はチープ・トリックに出会ったのだった。

なんでそんなタイミングで出会ったのか。僕が洋楽を聴くようになって以降で、初めて出た、チープ・トリックの新しいアルバムが、これだったからだ。

リリースの時に、『ベストヒットUSA』で、同作収録の「永遠のラヴ・ソング」と「シーズ・タイト」のMV(当時の言い方だとPV)が放送され、それを観て、「あ、これがミュージック・ライフ(洋楽雑誌)に載ってたチープ・トリックか! すげえいいじゃん!」と思い、他の曲も聴きたくて、アルバムを買ったのだった。

そんなふうに「落ち目になる始まり」の作品になったことは、もちろんその時点では、わかるはずがない。それに、今聴き直しても、大好きなアルバムであることは、変わらない。

中高生の頃は、カネがあるはずもなく、自分でレコード(もちろんまだアナログ)を買うのは、がんばっても2ヵ月に1枚くらい。普段は、持っている友達に録音してもらったり、FMラジオを必死でエアチェック(自分が聴きたい曲がかかる番組を探して録音することが、当時こう呼ばれた)したりして、聴いていた。

なので、たまに、やっと買ったアルバムを聴いて、「しまった、ハズした」と思っても、「いやいやいや、そんなことはない!」と自らに言いきかせ、何度も何度も聴き続けて無理矢理好きになる、ということも、よくやっていた。でもこの作品は、そうではなかったし。一発で気に入ったし。

まあとにかく、その『ワン・オン・ワン』からバンドの人気は下がり始め、『ネクスト・ポジション・プリーズ』『スタンディング・オン・ジ・エッジ』『ザ・ドクター』と、作品を重ねるごとに苦しくなる一方。それがそのままアルバムのタイトルに表れているのも、当時「うーん……」という気持ちになったものです。

しかし、1988年のアルバム『永遠の愛の炎』から、トム・ピーターソンが復帰する。ジャケットも、表がモテモテサイドのふたり、裏はおっさんサイドのふたり、という、『青ざめたハイウェイ』方式が、再び導入された。

加えて、ハートやスターシップといった、かつて人気だったが、その頃はくすぶっていたベテランバンドたちを蘇生させた実績のある、ダイアン・ウォーレン等の外部の作曲家に、曲を依頼するなどのテコ入れを行ったアルバムでもある。

それが功を奏して、シングル「永遠の愛の炎」は初の全米1位、続いて「冷たくしないで」(プレスリーのカバー)もヒットして、アルバムもプラチナム(100万枚突破)に輝いた。

でも、そういうアルバムで、当時の、渋谷陽一言うところの産業ロック(ジャーニーとかTOTOとかREOスピードワゴンとか)にちょっと近い感じのサウンド処理だったりするので、売れてよかったとは思うけど、僕は『ワン・オン・ワン』や、それ以前のアルバムの方が好きだった、正直。「だった」じゃないな。今でもそうです。

というわけで、このタイミングで、8年ぶりの来日ツアーが行われた。しかも、大阪だけじゃなくて、僕の住む京都にも来たのだ。生で外タレを観たことないから、いい機会かも。と思って、「一緒に行かない?」と声をかけてきた友達の誘いに乗った。

1988年11月18日のことである。なんで京都もスケジュールを切ったんだろう、と、不思議に思ったが、京都会館第一ホールの2階席はガラガラで、「うわあ、やっぱり」と思ったものです。

ネットで、その来日ツアーの日程を調べてみた。11月14日日本武道館、17日横浜文化体育館、18日京都会館第一ホール、21日尼崎市総合文化センター、22日大阪フェスティバルホール、25日名古屋市公会堂の6本。

そうか。東名阪以外もやりたい、でも福岡仙台札幌に行くのは、動員に自信がなかった、もしくはハコが取れなかった等の事情があった、ならば東京大阪の近郊でもやろう、ということにしたら、うまくいかなかったのですね。

なお、京都会館第一ホール、今のロームシアター京都です。ここでザ・ブルーハーツやユニコーンも観た。第二ホールの方で、ボ・ガンボスを観たこともある。東京少年も観た気がするな。

東京少年、京都出身で、一度だけ一緒にライブをやったことがあります。「これを最後にデビューで東京に行きます」という、東京少年がトリのイベントが、京都ビブレホールであって、その時にいっぱい出た共演バンドの1組として。

で、結局ボーカルの笹野みちるが、ひとりで「東京少年」として行くことになって、残ったメンバーが別のボーカルを入れて組んだバンドと、その後、よく対バンした。が、そっちに話を広げる必要、まったくないですね。広げたいけどがまんします。

そんな現ロームシアター京都、今年(2025年)の2月24日にクリープハイプを観に行って、「37年ぶりくらいだよなあ」と、しみじみしました。とうに改装されて、きれいな会場になっていた。

で、チープ・トリックのライブは、「うわあ、本物だあ」という興奮が3割、「やっぱり『永遠の愛の炎』よりもそれ以前の曲の方が好き」という思いが2割、ロビン・ザンダーってロック・スターだなあ、素敵だなあ、が2割。

じゃあ、あとの3割はなんだったのか、というと、リック・ニールセンにびっくりしたのだ。

ギター・プレイがとてもかっこよかったのは、うれしくはあったが、びっくりはしない。ものすごく頻繁にギターを持ち替えることと、ものすごくピックを投げることに、驚いたのだった。

まずギターの持ち替え、ほんとに「1曲ごとに」と言っていいほど。なので、曲を続けてやるのが不可能、でもそれがあたりまえ、くらいの感じだった。ちょっと目からウロコでした。

それから、ピック投げ。普通は1枚持って、ピッと投げるじゃないですか。違うのだ、リック・ニールセンは。手のひらに握れるだけ握って、「枯れ木に花を咲かせましょう」みたいに、あるいは、ゴダイゴ「モンキー・マジック」の間奏明けにタケカワユキヒデが放つ蜘蛛の糸みたいに、バアーッ! と大量に投げるのである。しかも、何度も何度も。

そんなに投げられたらありがたみがねえ。と、言いたくなるくらいの量だった。あと、その投げ方だと、遠くまで届かないのでは? と心配にもなった。というのが、もっとも強く印象に残っています。そこが残ってどうする、という気もするが。

あと、リック・ニールセンは、「5ネック・ギター」(その名のとおりネックが5本ある)という、実用性が謎すぎるギターを弾くことでも有名です。ずっと、じゃないけど、この日も弾いていたと思う。

それから、この来日の数年前に、自らをイラスト化してギターにした、両足がネックになっているダブルネック・ギターも作っていた。『ネクスト・ポジション・プリーズ』のジャケットに写っているやつです。これは、この日弾いていたかどうかは、憶えていないが。

とにかく、始終ワクワクしっぱなしの、楽しい思い出になっている。

にもかかわらず、ついこの間の最後の来日公演、9月29日グランキューブ大阪と、10月1日の日本武道館、逃してしまったのは残念だった。その前=2022年11〜12月の来日公演の時は、チケットを買っていたが、リック・ニールセンの手術で一度延期→結局中止、になってしまったし。

で。大学時代に観た外タレ、あとふたつ=ストーン・ローゼズとローリング・ストーンズ、それぞれの初来日公演についても、この回で書くつもりだったが、すでにここまでで、連載一回分の文字数になってしまいました。

この3倍の量を書かれたら、読みます? 読まないよねえ。

と思うので、予定を変更して、ローゼズとストーンズに関しては、次回になります。

プロフィール

兵庫慎司
1968年広島生まれ東京在住、音楽などのフリーライター。この『思い出話を始めたらおしまい』以外の連載=プロレス雑誌KAMIOGEで『プロレスとはまったく関係なくはない話』(季刊)、ウェブサイトDI:GA ONLINEで『とにかく観たやつ全部書く』(月二回)。著書=フラワーカンパニーズの本「消えぞこない」、ユニコーンの本「ユニコーン『服部』ザ・インサイド・ストーリー」(どちらもご本人たちやスタッフ等との共著、どちらもリットーミュージック刊)。
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