兵庫慎司の『思い出話を始めたらおしまい』

第二十話:学生時代に観た外タレは3組だけ。その中のザ・ストーン・ローゼズとザ・ローリング・ストーンズについて(前編)

月2回連載

第39回

illustration:ハロルド作石

京都に住んでいた大学時代に、初めて海外アーティスト、いわゆる外タレのライブに行った。その4年の間に、観たのは3本だけ。チープ・トリック、ザ・ストーン・ローゼズ、ザ・ローリング・ストーンズ──という話を、第十九話で書こうとしたら、チープ・トリックまでで、前後編が終わってしまった。なので、今回=第二十話は、その続き。前編がザ・ストーン・ローゼズ、後編がザ・ローリング・ストーンズ、ということにして、書きます。

というわけで、まずはザ・ストーン・ローゼズ。
観たのは、1989年の初来日ツアー=1989年10月23日クラブチッタ川崎、24日東京ゆうぽうと簡易保険ホール、25日大阪毎日ホール、27日東京日本青年館(追加公演)の4本のうちの、25日の大阪毎日ホールである。

なお、ゆうぽうと簡易保険ホールは2015年に、大阪毎日ホールは1997年に、閉館している。クラブチッタと日本青年館は今もあるが、どちらも一度クローズして別の場所で建て替えられた (どちらも前の場所の近くだけど)。まあそりゃそうよね、37年も前なんだから。

その前の年あたりから、洋楽雑誌ロッキング・オンが「すごいバンドが現れた!」と、大騒ぎを始めていた。僕が入社する数年前で、まだ熱心な読者だった頃です。

それまでのロッキング・オン誌は、それぞれのバンドやそれぞれの作品に対する論考や批評に軸を置いていたのが、この時=ザ・ストーン・ローゼズの登場から、「いい新人バンドをいち早く大プッシュしていく」というふうに、編集方針をシフトしていった。

というふうに、あとになるとわかる。そういう方向へ変えていこうとしている時にザ・ストーン・ローゼズが現れたのか、ザ・ストーン・ローゼズが現れて、大プッシュしてみたらとてもうまくいったので、そういう方向に舵を切ったのか、そのへんの順番は、わからない。1991年2月に僕が入社した時は、そのシフトチェンジが完了したあとだったので。

で、ザ・ストーン・ローゼズ、新しい。音楽性も姿勢もキャラクター等も含めて、とにかく革命的なバンドだ。と、編集部員がみんな盛り上がっているのに、編集長で社長の渋谷陽一だけは否定的で、ファースト・アルバム『石と薔薇』(という邦題でした)の合評で、「なんでこのバンドは60年代そのままの音を出すんだろう、まるでザ・バーズじゃないか」とか書いているのも、気になる。

話がそれるが、今年(2025年)7月14日に亡くなった渋谷陽一は、ロックはイノベイティブなものであるべきだ、という考えの人だった。なので、ザ・ストーン・ローゼズのような、ある意味懐古的な音楽性のバンドは、好きではなかったのだ。後にオアシスがデビューした時も、ロッキング・オン誌は推しまくっているのに、「俺は好きじゃない」みたいなことを、平気で書いていた。

ザ・ストーン・ローゼズ、懐古的なのは「ある意味」であって、「全面的に」ではなかったと思うんだけど、でもまあ、渋谷陽一の好みでないことは、わかります。

話を戻す。当時大学3年生だった僕は、そこまで騒がれると気になるので、ザ・ストーン・ローゼズのファースト・アルバムを聴いた。ノイズの中からだんだんイントロのベースラインが立ち上がる「憧れられたい」(という邦題でした)で、もやーっと始まり、途中で曲調が激しく変化する8分13秒の「アイ・アム・ザ・レザレクション」で終わる、11曲。

確かに昔っぽい。ただ、それだけではない、新しい音楽でもある気がする。でも、どこがどう「それだけではなくて新しい」のか、うまい具合に言語化できない。
演奏はいいけど、歌はヘタ。ただ、聴き終わると、すぐにもう一回聴きたくなる。メロディがいいせいかな。でもこのメロディは、確かに渋谷陽一が言うように、1960年代のイギリスのロックのやつだよな......などと考えても、なんにも答えが出ない状態だった、ある日。

ザ・ストーン・ローゼズが来日ツアーを行う、大阪にも来る、ということが発表された。で、大学の同級生で、僕のまわりで唯一のロッキング・オン読者である友人が、「観に行こう!」と言い出した。

ちなみに、前回書いた、チープ・トリックの京都会館第一ホールに誘ってくれたのも、この友人である。僕と違って自分でバンドはやっておらず、僕よりも熱心な洋楽ファンであり、僕と違ってちゃんと将来のことを考えていた彼は、音楽業界を目指して就職活動した結果、キョードー大阪に入社し、ブレイク前のウルフルズ等を担当した。

その後、同じく担当した斉藤和義にひっぱられて、彼のマネージャーに転職し、上京。何年間くらいだったっけ、1年や2年じゃなくて、それなりに長い期間だったと思うが、マネージャーを務めたあと、大阪に戻って、吉本興業で働いている。

無口な方で、「押しが強い」とは正反対なキャラクターだが、そんなわけで、僕の人生にけっこう影響を与えた存在である。ずいぶん会ってないけど、元気かな。

また話がそれましたね。戻します。というわけで、チケットを買い(たぶん彼が取ってくれたんだと思う)、大阪毎日ホールに行った。本日のライブは1時間で終わる、アンコールはない、ということが、アナウンスで流れていて、ロビーにはそれを書いた貼り紙も掲出されている。

物販で、彼らの当時のアイコンである、輪切りのレモンがどーんとプリントされたTシャツが売られていて、思わず買った。当時の僕は、自分のバンドのライブの時、首まわりとソデまわりをハサミで切ったTシャツを着ていて、これもすぐ切って衣装にした。数年後に後悔することになる、「普段着れない!」と。探せば、家の中のどこかに、まだあるはず。

で、ライブ、本当に1時間ぐらいで終わった。セットリストは記憶していないが、今調べたら、アルバムと同じく、「憧れられたい」で始まって、「アイ・アム・ザ・レザレクション」で終わった12曲だったようだ(途中の曲順・曲目は、アルバムと違うけど)。

で、肝心の内容は、どうだったのか。自分はどんな感想を抱いたのか。
すごかった!と、書きたいところだが、正直、ただただ混乱して終わった。音源以上に、というか、音源よりもさらに、わからなかったのだ。今、目の前で行われているこれが、いったいなんなのかが。

照明が暗い上に全部逆光で、メンバーを照らす明かりはゼロ。しかもスモークが焚かれていて、ステージの上がよく見えない。薄く人影が見える程度だが、よく見ると、メンバーの4人以外に、もうひとりいる。クニャクニャ踊りながら、たまに機材みたいなのを操作している。

なんなんだあの人は。ギターのジョン・スクワイアのエフェクターの操作役兼ダンサーの、クレッサという人だということを、あとで知った。

要は、それまでのロック・バンドのセオリーに沿ったステージではなく、アシッド・ハウス/クラブ・ミュージック/レイヴ・カルチャーのマナーに従ったステージだったのだ。

と考えると、先に書いたような音楽性の不思議さにも、すんなり答えが出る。基本は1960年代のイギリスのロックだが、そこにアシッド・ハウスの影響がプラスされ、入り混じっているところを、僕は新しく感じた、ということだ。

......と、はっきり書くと、単純化しすぎじゃないか、という気もする。サイケデリック・ロックとかの、それ以外のロックの影響とかも感じる音でしょ、と言いたくなるが、まあ、そんなに大間違いではないと思う。

が、当時の僕は、マンチェスター・ムーブメント(もしくはマッドチェスター・ムーブメント)はかろうじて知っていたものの、アシッド・ハウスというものを把握していなかった。だから、わからなかった、という話です。

1980年代後半に、イビサからイギリスに、ダンス・ミュージックを持ち帰ったDJたちが、「セカンド・サマー・オブ・ラブ」と呼ばれるムーブメントを起こした。そのDJたちがスピンした音楽=アシッド・ハウスが、ロック・バンドにも影響を与え、マッドチェスター・ムーブメントが起きていく。それらの動きは、当時大人気になった新しいドラッグ、エクスタシー(MDMA)と、分かち難く結びついていて──というようなことを、ちゃんと知った上で、観たかったなあ。それこそ、普通にクラブにも遊びに行くようになった状態で。だったらもっと最高に楽しめただろうに。と、後悔したものです。

なお、それ以降のザ・ストーン・ローゼズの来日は、二度目(セカンド・アルバムの時)は1995年9月11日クラブチッタ川崎、再結成して出演した2012年7月27日の『フジロックフェスティバル』のトリ、2017年4月21日・日本武道館2デイズの1日目、を観ている。

2013年8月9日の、『SONICMANIA』出演に関しては、憶えていない。自分が行ったのか、行っていないのかを。当時自分が書いたものが、ウェブ上に残ってないかしら、と思って探してみたが、フリーになる2年前だったこともあって、発見できませんでした。

その日のラインナップを見ると、ザ・ストーン・ローゼズ、PET SHOP BOYS、Perfume、サカナクション、電気グルーヴ......などという感じで、いかにも自分が喜んでチケットを買いそうなんだけど。

でも、2017年の日本武道館の時の、自分のXのポストを見ると、「全部来日公演を観ているのって、ローリング・ストーンズとこのバンドぐらい」と書いているので、観た可能性もある。が、「単独公演は全部観ている、フェスは除く」という意味で、書いた可能性もあるな。うーん。

では、後編=ザ・ローリング・ストーンズ初来日編に続きます。

プロフィール

兵庫慎司
1968年広島生まれ東京在住、音楽などのフリーライター。この『思い出話を始めたらおしまい』以外の連載=プロレス雑誌KAMIOGEで『プロレスとはまったく関係なくはない話』(季刊)、ウェブサイトDI:GA ONLINEで『とにかく観たやつ全部書く』(月二回)。著書=フラワーカンパニーズの本「消えぞこない」、ユニコーンの本「ユニコーン『服部』ザ・インサイド・ストーリー」(どちらもご本人たちやスタッフ等との共著、どちらもリットーミュージック刊)。
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