兵庫慎司の『思い出話を始めたらおしまい』
第二十話:学生時代に観た外タレは3組だけ。その中のザ・ストーン・ローゼズとザ・ローリング・ストーンズについて(後編)
月2回連載
第40回
illustration:ハロルド作石
京都に住んでいた大学時代に、初めて海外アーティスト、いわゆる外タレのライブに行ったが、その4年間で観たのは3本だけ。チープ・トリック、ザ・ストーン・ローゼズ、ザ・ローリング・ストーンズです──という話を、第十九話の後半→第二十話の前半で、チープ・トリック→ザ・ストーン・ローゼズと書いてきて、今回が最後です。
ザ・ローリング・ストーンズの初来日公演、『1990 STEEL WHEELS Japan Tour』。1990年2月14・16・17・19・20・21・23・24・26・27日の、東京ドーム10デイズのうちの、1日である。
どの日だったかは、記憶していない。ただし、初日でも最終日でもなかったし(だとしたら憶えていると思うので)、19日の追加公演が出る前にチケットを取ったので、16・17・20・21・23・24・26の、いずれかの日だったのだろう。と、思います。
自分個人として、この、ザ・ローリング・ストーンズの初来日に関しては、その前に観たふたつ=チープ・トリック&ザ・ストーン・ローゼズとは、大きく異なる点がある。当時はそのことを自覚していなかったが、あとになって思い出すと。
どう異なっていたのか、というとですね。チープ・トリックとザ・ストーン・ローゼズは、よく聴いていたから、好きだから、ライブを観たくてチケットを買ったが、ストーンズはそうではなかった、ということだ。
じゃあ、なんで買ったのか。
世間の盛り上がりに踊らされたのだ。
広告代理店が主体となって作り上げた「ザ・ローリング・ストーンズ初来日ムーブメント」に、まんまと巻き込まれた、ということである。
かと言って、それまでストーンズに興味がなかったわけではないし、聴いていなかったわけでもない。僕が洋楽を聴き始めた中学1年の頃(1981年)に、アルバム『刺青の男』(という邦題でした。原題は『Tattoo You』)が出て、リード・シングルの「スタート・ミー・アップ」がヒット、それを聴いて好きになり、アルバムを持っていた同級生に録ってもらって、何度も何度も聴いた。
その次に出たライブ・アルバム『スティル・ライフ』(1982年)は、リリースと同時にライブ映画『レッツ・スペンド・ザ・ナイト・トゥゲザー』(邦題は『ザ・ローリングストーンズ』)が公開され、広島の映画館にもかかったので、友達と観に行った。ジャッキー・チェンとかガンダムとか薬師丸ひろ子とか『E.T.』とかの、いかにも子供が観に行きそうなやつ以外で、映画館に足を運んだのは、あれが初めて、だったかもしれない。
その次のアルバム『アンダーカヴァー』(1983年)は、自分で買った。が、この作品、当時の流行りの音に寄った仕上がりで、エレクトリック・ドラム等の電子音が多数入っていたり、ダンス・ミュージックっぽい曲があったりして、だいぶ戸惑ったのを憶えている。
まあ今思えば、ストーンズ、もともとそういうバンドでもあったんだけど。ディスコが流行った時は、「ミス・ユー」を出したりしていたし(1978年)。
そんな『アンダーカヴァー』だったが、後年は大好きなアルバムになり、シングル「アンダーカヴァー・オブ・ザ・ナイト」のリミックスの12インチを掘り出して買って、DJをやる時にかけたりしたものです。
ただし。その『アンダーカヴァー』まではよかったが、もっと昔のアルバムも聴いてみよう、と手を出した、『メイン・ストリートのならず者』(1972年)や『山羊の頭のスープ』(1973年)などが、どれも、ことごとく、よくわからなかったのである。有名な曲以外は。
なんで。だって、昔のロックンロールすぎて。いや、そりゃそうでしょうよ。実際、(その頃よりは)昔のロックンロールなんだから。という話だし、のちに聴き直してどの作品も好きになるのだが、そうなったのは、初の東京ドーム公演よりも後だった。
そんな、ストーンズ、1980年代のアルバム数枚しか聴いたことがありません、初期〜中期の名作と呼ばれるやつはよくわかりません、みたいなボンクラだったのに、なんでわざわざ東京まで観に行ったのか。さっき書いたように、「ストーンズが来る!」という世間の盛り上がりが、ものすごかったからだ。
1973年に幻に終わった初来日公演(メンバーの過去の大麻所持が理由で外務省が入国を拒否、日本武道館5回分のチケットを販売済だったが中止になった)から17年、遂に! という。
テレビ、ラジオ、新聞、雑誌、各企業のコマーシャルとかまで含めて、もう本当に大騒ぎ。2025年、オアシスが復活して日本にも来る、というので、けっこうな騒ぎになったじゃないですか。幸いなことに先行でチケットが取れたので、僕も観に行ったが、あれとは比にならないぐらいの、盛り上がり方だったのである。
これは自分個人の考えだし、うがった見方かもしれない。が、広告代理店が仕掛けて、日本全土を巻き込んだ、すさまじく大規模なエンタメビジネスになる──というやつの最初が、このローリング・ストーンズの初来日だったのではないか。と、思えるほどのものだったのだ。時代はバブル絶頂期だったし、東京ドームもできたばかりだったし(1988年3月17日オープン)。
なお、その次に日本全土を覆った、それと同様の大きなムーブメントは、1993年頃から始まった、Jリーグ誕生&日本代表がワールドカップを目指す、というサッカーのブームだった、と僕は思っている。くり返しますが、あくまで僕個人の見方です。
そのサッカーブームに自分が乗れなかったのは、ストーンズの時にまんまと乗せられた、という、なんとなくの悔しさが、自分の脳内のどこかにあったからだと思う。当時はそんなこと、意識していなかったけど。
まあとにかく、そんなふうにまんまと乗せられたわけです。なんせ、日頃、ロックとか洋楽とかを、そんなに聴いていないような、大学の同級生たちまで、東京まで行くことを決めるような按配だったので。なのに、ロック好きで、バンドをやっている俺が、行かなくていいのか? という気持ちに、なってしまったのだ。
いいよ、行かなくて。おまえ『刺青の男』と『スティル・ライフ』と『アンダーカヴァー』で、ストーンズを挫折した奴なんだから。当時の自分にそう言いたい。
チケット代は、「いくらなんでも高すぎる!」と、世間で話題になった1万円。でも、それはなんとか払えるし、高校の同級生の西葛西のアパートに泊めてもらえるので、宿泊費はかからない。が、行き帰りの交通費がない。そこでどうしたでしょうか、21歳の僕は。
カネを借りたのだ。バイトしているレンタルスタジオの常連の、自分と同じ歳のギタリストに。三条寺町の十字屋楽器店でバイトしている、見た目もプレイもガンズ・アンド・ローゼズのスラッシュみたいなかっこよさ、でも性格は優しい、という、いい男だった。
当時は、ただただありがたい、と拝んだものだが、今思い返すと、「よく貸したなあ」としか言えない。俺だったら絶対貸さない。そもそもバイト先の客に借りるなんて、だいぶ言語道断だし。何カ月もかけてだが、ちゃんと返済したことだけが、せめてもの救いである。
さて。そんな借金までして、東京に行って、ドームで観たザ・ローリング・ストーンズは、どんなもんだったのか。
ものすごく腹が立った。始まった瞬間からアンコールが終わるまで、怒りで身を焼きながら、ステージを凝視していた。
音が、あまりにも、ひどかったのだ。
自分の席は2階スタンドの最後方なので、ステージ上のメンバーが豆粒であることや、ビジョン(画面)も今みたいに大きくなくて、なんとか見える程度だったことは、べつにいい。そういうもんだろう、と覚悟して来たので。
ただ、音は別だ。「え、これ? ずっとこのまま? 1万円も取って? というかこれ、1,000円でも取っちゃいけないレベルじゃない?」というくらいの、ひどさだったのである。
窓を開け放した隣のアパートのラジカセからきこえてくる音の方がよっぽどいい、くらいの。スキー場の音が割れたスピーカーの方が、歌と各楽器のバランスが音源そのままな分、まだまし、くらいの。
57年の人生で、あれほどひどい音のライブに当たったことは、後にも先にもない。ぶっちぎりの1位。それが、東京ドームのザ・ローリング・ストーンズの初来日公演だったのである。
この「東京ドーム、音ひどい」問題は、そのあとも何年も続いた。1991年2月にロッキング・オンに入社して以降、仕事もプライベートも含めて、時々東京ドームへ足を運ぶようになったが、その度に「ああ、今日もひどい」「ああ、このバンドでもダメかあ」のくり返し。
特によく憶えているのは、U2の『ZOO TV TOUR』(1993年12月9・10日のどっちか)だ。アリーナの、ステージから近いとてもいい席で、目の前で行われているU2のパフォーマンスは、すさまじくすばらしいものであることがわかる。にもかかわらず、音がひどすぎて、まったく気持ちがノレなかったのである。
ああ、もう無理。ここにライブを観に来るのはやめよう。と決めて、実際そのあとしばらく、仕事の場合を除き、行くのをやめた。
で、THE YELLOW MONKEYの活動休止ライブ、なので2001年1月8日に行った時、「あれ? こんなに音、大丈夫になったのか!」と驚いたのを憶えている。この時も、アリーナ前方の、とてもいい席だった。
それ以降は、観に行くたびに改善される一方で、現在に至る。去年=2024年は、ビリー・ジョエルとレッド・ホット・チリ・ペッパーズで、今年=2025年はサザンオールスターズとオアシスと星野源で、「ほんとに音、良くなったなあ」と、実感した。
なお、ストーンズ、その後も5回来日しているが、ほぼ毎回、東京ドームに観に行っている。
こっちのストーンズに対する理解が追いついてきたのもあると思うし、ドームの音の進歩もあると思うが、観るたびに自分が楽しめる度合いが、上がっている気がする。
いちばん最近である2014年の時は、初日=2月26日に観たのだが、キース・リチャーズがやたらとフラフラヨロヨロしていて、「これ、最後の来日になるかも……」と、本気で心配になった。が、その日は体調が悪かっただけで、2公演目・3公演目はそんなことなかった、というのをあとで知って、安心した。
でもその後、2021年にチャーリー・ワッツが亡くなったので、結果的に、彼を観れた最後の来日公演には、なってしまったのだが。
なお、ストーンズは、2024年に北米ツアーを行ったが、2025年に予定されていたヨーロッパ・ツアーは、諸般の事情で中止。2026年にはそのヨーロッパ・ツアーと、ニューアルバムのリリースがある可能性が、高いらしい。バンドのサポート・ピアニストのチャック・リーヴェルが、英国の新聞『ザ・サン』の取材に「あると思うよ」と答えた、ということだ。
日本にも来てくれることを祈ります。ミック・ジャガーは82歳、キース・リチャーズは81歳だし。
ちなみにミック、両膝に人工関節が入っている私の母と、同い歳です。と考えると、すごい、としか言えない。その歳でワールド・ツアーって。
プロフィール
兵庫慎司
1968年広島生まれ東京在住、音楽などのフリーライター。この『思い出話を始めたらおしまい』以外の連載=プロレス雑誌KAMIOGEで『プロレスとはまったく関係なくはない話』(季刊)、ウェブサイトDI:GA ONLINEで『とにかく観たやつ全部書く』(月二回)。著書=フラワーカンパニーズの本「消えぞこない」、ユニコーンの本「ユニコーン『服部』ザ・インサイド・ストーリー」(どちらもご本人たちやスタッフ等との共著、どちらもリットーミュージック刊)。
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