兵庫慎司の『思い出話を始めたらおしまい』
第二十一話:子供ばんどは中2の時、EARTHSHAKERは高1の時に観た(前編)
月2回連載
第41回
illustration:ハロルド作石
2025年5月24日土曜日、渋谷クラブクアトロ。子供ばんどが、デビュー45周年を記念して、怒髪天・フラワーカンパニーズと共に3バンドで東名阪を回ったツアーの1本目の日。
そのアンコールで、うじきつよしは、「秋にも45周年スペシャルライブを行う」と発表した。10月24日金曜日、場所は恵比寿The Garden Hallで、EARTHSHAKERとの対バン。『おかげさまで45周年スペシャル 子供ばんど VS EARTHSHAKER 時を超え激突!「キミはあの日を覚えているかい?」』というタイトルが付いている。
思わず「キャー!」と声が出た。そして、これは絶対行かねば! と、その場で手帳に書き込み、後日、チケットを買った。
ただ、僕のこの「キャー!」という気持ちは、お若い皆様はもちろん、1980年代の日本のロックを聴いていた同年代の方々も、もしかしたら、そんなに共有できないものかもしれない、とも思う。
なので、まず、そのあたりのことについて書きます。
たとえばこれが「子供ばんど×奥田民生」なら、OTが10代の頃、子供ばんどを大好きで、後に彼らのプロデュースを手掛けたり、ライブで共演したりしていることを、ファンは知っているので、納得だろう。
あるいは、「EARTHSHAKER×LOUDNESS」とか、「EARTHSHAKER×44MAGNUM」なら、これも納得である。1980年代のジャパニーズ・ヘヴィメタル・ブームを牽引したバンド同士の共演、ということで。余談だが、LOUDNESSのボーカルの二井原実は、元EARTHSHAKERのボーカル&ベースだったりもするし。
しかしだ。「子供ばんどとEARTHSHAKER」となると、そのような「ああ、なるほど」感がないのだ。微妙に違うのである。このたびの共演は43年ぶりだそうだが、むしろ「え、昔、一緒にやったことあったのか!」と意外ですらあった、僕は。
子供ばんどのデビューは1980年で、EARTHSHAKERのデビューは1983年。さっきも書いたように、EARTHSHAKERはジャパメタ・ブームの中のトップのバンドだったが、子供ばんどは、そのブームの中にはいなかった。
その理由は、ジャパメタ・ブームのバンドたちよりも、デビューがちょっと早かったから、だけでは、たぶんない。
そもそもジャパメタ・ブームというのは、1970年代の後半のイギリスのヘヴィメタル・バンド(アイアン・メイデンとかサクソンとかデフ・レパードとか)=ニュー・ウェーブ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィメタル、略してNWOBHMと称されたバンドたちの人気が、日本にも飛び火して、生まれたものである。
なので、日本のジャパメタのバンドたちも、大なり小なりその影響下にある音を出していたが、子供ばんどはそうではなかった。リック・デリンジャーなどの、アメリカのハードなロック(だからと言って「ハードロック」と書くと違う気がするのが、また微妙だ)の系譜にある音楽性で、うじきつよしのボーカルも、いわゆるメタルっぽいハイトーンではなかったし、ギターは弾きまくるが、メタルのように速弾きを連発する感じではなかった。
そして何よりも、衣装やヘアスタイルなども含めた、メンバーのキャラクター自体が、メタル系のみなさんとは異なっていた。
「みんな真剣な顔で演奏してて、笑う時も『ニヤッ』とか『フッ』とかいう感じだったじゃん。でもうじきさんは、ギター弾きながら爆笑してたんだな。それがすごい楽しそうで、いいなあと思って」──僕が1992年にインタビューした時、奥田民生はそのように語っていた。
というわけで、子供ばんどは、そのデビューの数年後に勃興したジャパメタのブームには、くくられなかったのだった。ファンにもだし、音楽業界にも。
なので、その両方を同じように好きで聴いていたファンは、少なかったのではないかと思う。当時の僕の身近にいた中では、それこそ、ユニコーンの前のバンド=READYで、子供ばんどの曲もEARTHSHAKERの曲もカバーしていた、奥田民生ぐらいである。
というか、僕自身も、ライブでOT氏が歌うのを聴いて、改めて子供ばんどを好きになった、というところも大きかった。
なおOT氏、曲で言うと、子供ばんどは「DREAMIN'(シーサイド・ラブ)」や「サマータイム・ブルース」や「時は流れて」などを、EARTHSHAKERは「DRIVE ME CRAZY」や「412」などを、やっておられました。
そういえば、今年2025年、奥田民生と吉川晃司が新ユニット=Ooochie Koochieを組んで、いろんなテレビ局で特集が組まれましたよね。それらの番組で、「ふたりは高校時代に出会っていた」というので、それぞれの当時の写真が使われていたが、OT氏の方の写真、たぶんだけど、高校時代ではなくて、READYになってからのものだと思う。ギターを持たず、スタンドマイクでボーカルをやっている写真だったので。
吉川晃司も「奥田はギターじゃった。ユニコーンでデビューした時『歌うとるんか!』とびっくりした」と言っていたように、高校時代の彼はギタリストだったので。ギャルローズというバンドでした。ボーカルは彼の従兄弟でした。
すっかり話がそれた。戻します。
ただ、だからと言って、僕は、OTがライブで歌っているのを聴くまで、子供ばんどを知らなかったわけではない。僕が初めて生でライブというものを体験したのは、小学4年生か5年生の時に、友達のお姉さんからタダ券をもらって、広島郵便貯金会館で観た堀内孝雄だが(「君のひとみは10000ボルト」がヒットしていた頃です)、ロック・バンドのライブというものを初めて観たのは、子供ばんどだったからだ。
中学2年の秋、広島電機大学の学園祭に子供ばんどが来る、名前しか知らないけど、野外ステージの夜の時間帯に出演する、無料で観れる、というので、行ったのだ。
とにかく、まず、音のでかさに驚いた。堀内孝雄の時も「でかっ!」と思ったが、その比ではない大音量。ステージの規模は、今日の子供ばんどの方が、はるかに小さいにもかかわらず。
そして。ボーカル&ギター、ギター、ベース、ドラムの4人バンドだったら、ボーカルが弾くギターがサイドで、ギタリストの方がリードギターだと思うじゃないですか、ロックを聴き始めたばかりの田舎の中学生としては。
違ったのだ。逆なのだ、歌う人=うじきつよしが、リフやらソロやらをがんがん弾く曲の方が多いのだ。そのことにも驚いた。
そして、さらに驚いたのが、そのボーカル&弾きまくりギターの人が、途中で頭部にヘルメットを装着した時だ。そのヘルメットのてっぺんには、ちっちゃいギター・アンプが付いていて、それをボーカルマイクに当てて、ソロを弾きまくるのである。
なんなんだこの人は。夜の大学のキャンパスで、ただ愕然と立ち尽くしながら、ステージを観ていたのを憶えている。
なお、広島電機大学、1999年に広島国際学院大学と改称しました。そして2023年春の卒業生を送り出したのを最後に、残念ながら、閉校になりました。
関係ありませんが、ユニコーンの川西幸一・手島いさむ・EBIのバンドが「電大」という名前なのは、その3人が広島電機大学出身なので、奥田民生がそう名付けた、というのは、よく知られている。
もっと関係ないが、大学はなくなったが、附属中学・高校の方は今もあります。昔=広島電機大学附属高校、現在=広島国際学院中学校・高等学校(中学ができたのは2019年)。獣神サンダー・ライガーと安田大サーカスのクロちゃんは、その高校の卒業生です。
次回に続く。
プロフィール
兵庫慎司
1968年広島生まれ東京在住、音楽などのフリーライター。この『思い出話を始めたらおしまい』以外の連載=プロレス雑誌KAMINOGEで『プロレスとはまったく関係なくはない話』(季刊)、ウェブサイトDI:GA ONLINEで『とにかく観たやつ全部書く』(月二回)。著書=フラワーカンパニーズの本「消えぞこない」、ユニコーンの本「ユニコーン『服部』ザ・インサイド・ストーリー」(どちらもご本人たちやスタッフ等との共著、どちらもリットーミュージック刊)。2025年11月5日に、編集で参加した忌野清志郎&仲井戸麗市の本『忌野くんと仲井戸くん』が発売になりました(株式会社QANDO:qando.co.jp)。
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