兵庫慎司の『思い出話を始めたらおしまい』
第二十二話:大変に今さらですが、オアシスについて書きます(後編)
月2回連載
第44回
illustration:ハロルド作石
2000年のオアシスの来日ツアー『Standing On The Shoulder Of Giants Tour』のうち、横浜アリーナ、広島グリーンアリーナ、宮城県総合運動公園グランディ・21の3本を観た。それ以降の、2001年の『フジロックフェスティバル』の初日のトリや、2002年の『Heathen Chemistry』のツアーや、その4カ月前の2002年5月23日Zepp Tokyoの『MTV THE SUPER DRY LIVE』も観た。ということを、前編=前回に書いた。
それ以降も、来日の度に、仕事に関係あるなしに観ている。2005年の『Don’t Believe The Truth』のツアーも、2009年の『Dig Out Your Soul』のツアーも観ているし、同年の『フジロックフェスティバル』初日のトリも観た。唯一、2005年のツアーの前に来た『サマーソニック』だけは、観たかどうか記憶があやふやだが。
まあ、というような感じで、日本に来たら観に行くのがあたりまえになっていたオアシスのライブ・パフォーマンスを、自分はどう受け止めていたのか。
リアム・ギャラガーの、もう魔力としか言いようのないあの歌声には、毎回しびれる。次々とくり出される名曲の数々、グッド・メロディの数々には、毎回うっとりする。
しかし。それ以外は、地味だ。はっきり言って。
熱心なファンに袋叩きにされそうだが、正直に書いてしまった。
ただし、たとえ熱心なファンであっても、オアシスだけではなく、いろんなバンドのライブを観て来た人なら、他との比較論として、僕のこの印象を、わかっていただけると思う。
1990年代のイギリスのバンドって、ライブであんまり動かずに、ただ黙々と演奏している人たちが多いが、その最たるもの、みたいなライブなのだ、オアシスって。ここまで動かないか! という。
オアシスの数年前に流行った「シューゲイザー」のギター・バンドたちって、俯いて、つまり自分の爪先を向いてギター&ベースをかき鳴らしているので、そう呼ばれるようになったわけだが、オアシスにはその「爪先を向く」という特徴すらない。特にノエル・ギャラガーに顕著だが、ただ立って、時折手元を見ながら、演奏している。
リアムの、背中の後ろで腕を組み、上半身を斜めに傾けて歌うあのポーズぐらいしか、特徴がない。そのリアムも、基本はマイクスタンドの前にいて、アクションと言えば、時々、タンバリンを振りながらウロウロするくらいである。
効果映像などの演出はあるので、それでも退屈ではないし、そもそも退屈だと思ったら観に行かないし、歌はもちろん演奏もすごいので、素晴らしいライブではあることは、間違いないのだが。
でも、たとえば、オアシスと同じように、『フジロックフェスティバル』や『サマーソニック』のヘッドライナーを飾っていた、イギリスやアメリカのロック・バンドを集めて、「ステージでのアクションが地味チャート」を作るなら、オアシスが1位だと思う。
あれくらいメンバーがステージで動かないヘッドライナーって、他にいたっけ。と、今、それぞれのフェスの歴代のヘッドライナーの記録を見直したが、オアシスに匹敵するくらい動かなかったのは、自分が観た中で思い当たったの、一組だけだ。
2018年の『フジロックフェスティバル』の最終日のトリだった、ボブ・ディラン。バンドじゃないけど。その時点で77歳だったけど。全曲座ってピアノを弾きながらの歌唱でした。
なので、オアシスを2000年に初めて観た時は……いや、それより前にライブ映像を観た時点で、すでに「動かない人たちだなあ」と思った。
が、それでもライブを観たくなるのはなぜだろう、と思っていたが、何度か生で観るうちに、なんとなく、じわじわと、身体でわかっていった。
その曲を、その歌を、その場で生で共有する。ステージにいるロック・スターではなく、歌そのものがその場の主役になる。ということを、もっとも重要に考えているし、目標にしているし、実際にそうなっているのが、オアシスのライブなのだ、ということが。
だから、メンバーのアクションとかいらない(本人たちが必要だと思っていない)。だから、その場で歌を共有する人数が多ければ多いほどいい。だから、そこにいる何万人もの人たちが、「この歌を好き」という共通項のみによって一丸となる、という。
じゃあ生のライブじゃなくてもいいんじゃない? というツッコミが来そうだな。
と、ここまで書いて思ったので、「いや、そんなことはなくてですね……」ということを書こうと考えているうちに、「いや、そうなのかも」と、逆のことを思い出した。
解散後に公開された映画『オアシス:スーパーソニック』(2016年)は、ドキュメンタリー映画なので、そうでもなかったが、2021年公開の『オアシス:ネブワース1996』(2021年)は、ライブ映画で、観た時にほぼそれに近いことを、僕は感じたので。
映画館で観た、というのも大きかったと思うが。『オアシス:スーパーソニック』もそうだけど。そうか、解散後も、映画が作られるたびに映画館に観に行っていたんだな、俺は。リアム・ギャラガーのドキュメンタリー映画『リアム・ギャラガー:アズ・イット・ワズ』(2020年)も、観に行ったし。
でも、このたびのオアシス来日とほぼ同時に日本公開された、2022年のリアム・ギャラガーのドキュメンタリー映画『リアム・ギャラガー in ロックフィールド オアシス復活の序章』(2025年)は、映画の尺が48分しかないことを知って、観に行きませんでした。行っとけばよかった。
で。オアシスのそのような「歌が主役」という資質は、彼らが影響を受けた、マッドチェスター・ムーブメントのバンドたちと、同種のものだと思う。ステージの上のスターたちが中心なのではない、という。
そのムーブメントの代表的な存在である、ザ・ストーン・ローゼズのジョン・スクワイアの有名な発言、「1990年代の主役はステージ上の僕らではなく、オーディエンスなんだ」。その流れをオアシスも受け継いでいるというか、受け継いだ上でさらに巨大にしたというか。
マッドチェスター・ムーブメントは、その少し前にイギリスで起きたアシッド・ハウスのムーブメントが元になっていて、なので、ザ・ストーン・ローゼズを含む多くのバンドは、音楽的に、その影響も受けている。
が、オアシスはそうではない。サウンド面では、あくまで1960〜1970年代のUKロックであろうとしている。というところは、大きく違うのだが。オアシス、当時、他のUKのロック・バンドの多くがやっていた、「12インチシングルのカップリングに有名DJによるリミックスを入れる」というのにも、全然手を出さなかったし。
で。そんなふうに「歌が中心」「だからすごい」ことは、その場で歌を共有する人数が多ければ多いほど、強く感じることができる。
なので、解散前のオアシスのライブで、僕がもっともそれを体感できたのは、最後に観たライブ=2009年の『フジロックフェスティバル』の初日のトリ=7月24日金曜日だった。
ロッキング・オン社のウェブで数人のチームを作って、現場でリアルタイムで書いていた「フジロックブログ」を探して、その時自分が書いたやつを見つけたのだが、それによると「3万人」だったそうだ。
正確な数字なのか、その時自分が何を参照してそう書いたのかはわからないが、自分がそれまで観たオアシスのライブの中で、最大人数だったのは間違いない。
その時の、ものすごいシンガロング、ものすごい熱狂、ものすごい空気感に、「うわ、この人数で観るとこうなるんだ」ということを、雨に打たれながら体感して、ゾワゾワッと鳥肌が立ったのを憶えている。
そして。2025年10月25日土曜日に、東京ドームで観たオアシスは、その時よりもはるかに多い、5万人以上(公式発表)だった。
よって、「ああ、あの最後に観たフジロックの時の感じのやつだ」「で、あの時よりさらにすごいやつだ」と、もう、ゾワゾワゾワゾワしっぱなしだった。
しかも、ただ人が増えただけでなく、あれから16年の月日が経っていることが、相乗効果を生んでいた。16年前までのオーディエンスは、リアルタイムでオアシスと同じ時代を生きているロック・ファンたちだったが、2025年のオーディエンスは、当然だが、もっとさまざまになっていたので。
解散したあとにオアシスを知った若い人たち。当時オアシスを知ってはいたが、さほど熱心に聴いてはいなくて、後に聴くようになった人たち。当時から聴いてはいたが、ライブに足を運んでいなかった人たち。あるいは、海外からオアシスを観に来た人たち(オアシスが入国できない中国の人たちも含む)も、加わっている。
そのように、オーディエンスがさまざまになったことによって、オアシスの歌のもとに集まった時のエネルギーが、さらにすさまじいものになっているように、自分は感じた。
どう書けば伝わるだろうか。ええと、あ、そうだ、自分と気が合う、共通項が多い、と思っている相手と、通じるものを感じた時よりも、自分とは違う、共通項が少ない、もしくはない、と認識している人と、通じるものを感じた時の方が、うれしいじゃないですか。それが数万人規模で起きている感じ、と言えば、わかりやすいかもしれない。
ああ、ネブワースとかの本国の巨大なヴェニューで、オアシスのライブを観た人たちって、こういう体感だったんだろうなあ。
ということを、観ながら思った。それでも規模としては全然届かないんだけど、1996年の8月10・11日のネブワースには。2日で25万人オーバーなので。さっき書いた、2021年に映画(とライブ・アルバム)になった、あれです。
オアシス、ツアーの前も、ツアーが終わってからも、「再結成はこの一回きり」だとか、「いや、そうじゃない」とか、「しばらくやらない」とか、「やるかもしれない」とか、本人たちも、サポート・メンバー等の近い人たちも含めて、さまざまな声が出ていて、どれが本当なのか、どれが嘘なのか、わからない。
でも、今すぐではないにしろ、これでもう二度とやらないということはないだろうな、いつかまたやってくれるだろうな、というふうには思う。
ザ・ストーン・ローゼズの再結成が終わった時は、ああ、これは、三度目はもうないだろうなあ……と思ったが。で、2025年11月20日に、ベースのマニが亡くなって、実際もう不可能になってしまったが。
そう、だから、ギャラガー兄弟にやる気があっても、健康上の理由でそれが阻まれる、という可能性は、全然ありますよね。
おふたりの今後の体調が、健やかに続くことを祈ります。あと、それまで自分も生きていなきゃ、ライブに行ける程度の健康状態を保っておかなきゃ、というのもある。
プロフィール
兵庫慎司
1968年広島生まれ東京在住、音楽などのフリーライター。この『思い出話を始めたらおしまい』以外の連載=プロレス雑誌KAMINOGEで『プロレスとはまったく関係なくはない話』(季刊)、ウェブサイトDI:GA ONLINEで『とにかく観たやつ全部書く』(月二回)。著書=フラワーカンパニーズの本「消えぞこない」、ユニコーンの本「ユニコーン『服部』ザ・インサイド・ストーリー」(どちらもご本人たちやスタッフ等との共著、どちらもリットーミュージック刊)。編集で参加した忌野清志郎&仲井戸麗市の本『忌野くんと仲井戸くん』2025年11月5日発売、年末に二刷がかかり、現在も好評発売中です。(株式会社QANDO:qando.co.jp)。
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