兵庫慎司の『思い出話を始めたらおしまい』
第二十三話:くるりが別の名前で行ったライブ(前編)
月2回連載
第45回
くるりのライブを初めて観たのは、1998年の夏である。場所は京都メトロ。くるりがシングル「東京」とアルバム『さよならストレンジャー』で、つい最近まで(=2024年6月まで)所属していた、ビクター/スピードスターレコーズからメジャー・デビューするタイミングだった。
スピードスターが、そのライブを見せるために、けっこうな人数の音楽メディアの業界人たちを、ガサッと京都に連れて行ったのだ。その中に僕もいた、ということです。
その翌日に、初めて岸田繁にインタビューした記憶もある。場所は、先斗町にあった、からふね屋珈琲だった。とても暑い日だった。僕以外にも、ライブを観るだけでなく、当日や翌日に取材をした関係者も多かったのではないか、と思う。
当時、スピードスターは「鳴り物入りの大型新人です!」みたいな空気感で、スタッフのみなさん、かなり気合いが入っていた記憶があるが、にしても、関係者みんな京都まで連れて行って一泊させる、って、今なら考えられないカネのかけかたである。
日にちは憶えていないが、この時期くるりは、まだ京都在住だったから、東京ではライブ、あんまりやっていなかったのかな……と思って調べてみたら、くるりの昔の公式サイト「くるり on WEB」に、当時のライブ記録が残っていた。
それによると、僕が観た京都メトロは、8月28日金曜日であったことが判明したが、その前後に東京でもいっぱいライブをやっている。8月8日渋谷屋根裏、8月25日新宿リキッドルーム(恵比寿に移転する前です)、9月18日渋谷屋根裏。
ならば、関係者たちに、それらのライブを観てもらえばいいのに。もしくは、そんなに頻繁に東京に来ていたのなら、東京でハコを押さえて業界お披露目ライブ、やればいいのに。
と、今なら思うが、当時は、くるりみたいな大型新人をデビューさせるときは、なんかしら仕掛けるもんだ、だから「みなさまをくるりの地元京都にお連れして華々しくお披露目!」みたいな按配になったんだろうな、と、推測する。
と、書いていて思い出したので、ここからまるっきり脱線します。
ゆらゆら帝国がMIDIからメジャー・デビューしたときのことだ。その際に行われたのは、このくるりのケースどころではない、謎の企画だった。
集められた関係者一同が、行先不明のバスに乗せられ(ザ・フーの「マジック・バス」的なイメージだったんだと思う)、都内を延々とぐるぐる走った末に、東高円寺のライブハウス、U.F.O.CLUBに到着。そこで、MIDIからの初のアルバム『3x3x3』の全曲試聴会が行われ、参加者はただただ全11曲を聴く──というものだったのだ。
インディーズ時代が長くて、僕らもその存在は知っていたし、そもそもああいうキャラクターのバンドだから「業界向けお披露目ライブ」とか、やらなそうだし、似合わなそうなので、こういう仕掛けを考えたのだと思う。が、参加した身としては、ただただ「何この時間?」という疑問で脳内がいっぱいになるばかりでした。延々とバスに揺られながら。
日にちとかは憶えていないが、『3x3x3』のリリースは1998年4月15日なので、2月か3月に行われたのだと思う。
1996年1月27日にオープンしたU.F.O.CLUBは、坂本慎太郎が内装を手掛けたハコなので、そこにしたのだろうが、そのときそんな説明あったっけ、それとも後日知ったんだっけ。
ちなみにU.F.O.CLUB、その後も何度か足を運んだ。何かのイベントで、DJをやったこともあるような気がする。
ついこの間も、久しぶりに行きました。2025年12月25日(木)、ゆうやけしはす&すうらばあずのワンマン。今でも禁煙ではないことを知って、びっくりしました。
話を戻します。
その、京都メトロで観たくるりのライブ、相当なインパクトがあった。
今のくるりのような、日本有数レベルの演奏力とアンサンブル力を誇るバンドには、まだなっていない(その方向に進み始めたのは、2003〜2004年頃からだと思う)。歌とギター・ベース・ドラムという最小編成で、ガシャガシャ音を出している、いかにも学生バンドっぽい感じの3人だったのだが、やっている曲が、演奏が、アレンジが、「何これ!?」「何を好きで聴いて影響を受けてこうなったの!?」と言いたくなるほど、独特だったのである。
三拍子の曲が多くて独特。曲のテンポが突然上がったり下がったりして独特。コード感も、不協和音?と思ったらそうではなかったり、え、このコードからこのコードに行く? と驚く瞬間があったりして、やはり独特だ。
アメリカのロックからもイギリスのロックからも影響を受けているが、それ以外の国のロックや、ロック以外の音楽からの影響も大きいんじゃないか、と感じさせるところもある。というのも含めて、そもそも、オーソドックスな3人編成のバンドでは、再現不可能なことをやろうとしているんじゃないか、という気もする。
ただ、そんな摩訶不思議なものでありながら、前衛的でわかりにくいものではない。日本語の歌が中心にあるし、メロディがスッと耳に入ってくるし、ギターとベースとドラムで奏でられているし。
つまり、謎なのにとっつきやすい、とっつきやすいのに謎、それがなんだかもうたまらなく、魅力的に思えたのである。メジャーからのファースト・アルバム『さよならストレンジャー』と、その一作前の『ファンデリア』、各ストリーミング・サービスにあるので、その両方を聴くと、この僕の言っている感じがわかっていただけると思う。
そのライブのあと、東京から来た関係者全員を招いた、大規模な打ち上げもあった。そこでメンバーと話したかどうかは憶えていないが、スピードスターのスタッフに、やはり当時京都の学生だった、つじあやのを紹介されたのは憶えている。そのスタッフが「うちからデビューしてほしいんだけど、なかなかOKしてくれないんだよ」と、言っていたことも。
当時は彼女はLD&Kからリリースしていて、のちにスピードスターからデビュー。その数年後には、マネージメントもスピードスター・ミュージックになって、現在に至る。2025年11月8日に、ビクターが開催したクラフトビールのフェスで、久々にライブを観た。このときです。
さて。翌日のインタビューで会った、岸田繁の第一声は「就職課でファイル、見ましたよ」だった。
当時彼らは立命館大学の学生で、僕はそこを7年前に卒業したOBだったのだ。
立命館大からプロのバンドが出て来るの、当時はすごくめずらしかった。僕の一学年上のチキンダンサーズというバンドくらいだが、バンドブームの末期にデビューしたが、アルバム1枚で解散してしまったし。
くるりはそのチキンダンサーズと同じ、ロック・コミューンというサークルの出身である。くるり以降は、同じロック・コミューンからキセル、おとぼけビ~バ~など、いくつものバンドが世に出ている。
で、就職課のファイルというのは、就職課に行くと、卒業生たちが就職先や自分の就職活動のことなどを書いて提出した書類がはさまっているファイルがずらっと並んだ棚があって、そこに「株式会社ロッキング・オン」というファイルもあったという。で、見てみたら僕が書いた提出書類1枚だけが挟まっていたそうです。確かに、書いた記憶がある。
くるりの3人としても、同じ大学の先輩だというので多少の親しみがあったのか、のちに彼らが上京したあと、仕事以外でも、一緒に飲んだり、遊んだりしたこともあった。
という付き合いから端を発して、彼らの上京から1年後くらいかな、自分が携わっていたオールナイトのイベントに、くるりに出演してもらうことになる。事前の発表なしで。しかも、くるりではなく別名義で、持ち時間45分で、演奏したのは1曲、というライブになった。
次回に続く。
プロフィール
兵庫慎司
1968年広島生まれ東京在住、音楽などのフリーライター。この『思い出話を始めたらおしまい』以外の連載=プロレス雑誌KAMINOGEで『プロレスとはまったく関係なくはない話』(季刊)、ウェブサイトDI:GA ONLINEで『とにかく観たやつ全部書く』(月二回)。著書=フラワーカンパニーズの本「消えぞこない」、ユニコーンの本「ユニコーン『服部』ザ・インサイド・ストーリー」(どちらもご本人たちやスタッフ等との共著、どちらもリットーミュージック刊)。最新刊は、編集で参加した忌野清志郎&仲井戸麗市の本『忌野くんと仲井戸くん』。(株式会社QANDO:qando.co.jp)。
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