兵庫慎司の『思い出話を始めたらおしまい』
第二十三話:くるりが別の名前で行ったライブ(後編)
月2回連載
第46回
illustration:ハロルド作石
1998年のメジャー・デビューのタイミングから、くるりのライブを観たり、インタビューしたりするようになった、その当時。僕はロッキング・オン社が出していた、BUZZという隔月刊の音楽雑誌の編集部にいた。
同じ会社の洋楽誌、ロッキング・オンとの差別化のため、どまんなかのロックもやるけど、テクノやヒップホップとかのクラブ的な音楽も多めに取り上げる、あと邦楽ロックも取り上げる、そして毎号特集を考えて表紙巻頭に持って来る、という編集方針の雑誌だった。ざっくり言うと。
にしても、今になると、BUZZってだいぶアレな名前ですね。いわゆる「バズる」というような言葉が使われるようになるよりも、はるか前の時代のことなので、まあ、しょうがないんだけど。現に僕も、この雑誌ができるまで、BUZZという単語があることすら知らなかったし。
僕が編集部に異動になって、1年くらい経った頃、そのBUZZが、クラブイベントを始めた。名前はそのまま『BUZZ NIGHT』で、会場は渋谷のClub Asia、23時オープン&スタートで、朝5時終了。2カ月に一回開催で、奇数月だったか偶数月だったか忘れたが、確か、毎回第一金曜日だったと思う。
フロアはふたつあって、メインフロアの方はハウス/テクノ/当時流行っていたビッグ・ビートなどのダンス系のDJが中心で、バーカウンターがあるサブフロアの方は、ロック系のDJが中心、というふうに分けていた。サブフロアは「バーカウンターがある」というより、「バーカウンターの中にDJブースがある」作りだったんだけど。
で。そのイベントは、メインフロアの方で、「事前発表なしのゲストあり」ということを、毎回行っていた。途中から、当日朝の編集部のブログでチラッと発表するようになったりもしたが、つまり、そのゲストでお客さんを集めたいわけではなく、来てくれたお客さんへのサービスとしてゲストをブッキングしていた、ということです。基本的にバンドで、時々DJ。
毎回、編集長と僕でブッキングしていて、バンドなら、たとえばPOLYSICS、NUMBER GIRL、BOOM BOOM SATELLITES、DMBQ、RIZE、smorgas、AIR(フランスのじゃなくて日本の)、などなどが出演してくれた。DJは、CAPTAIN FUNKや、サワサキヨシヒロ等が、オファーを受けてくれた。Co-Fusionも出てくれたが、DJだったっけ、ライブだったっけ。ライブだったような気がする。
来日中の海外アーティストにオファーしたら、通ったこともある。エイジアン・ダブ・ファウンデーションのリーダーがDJで登場したこともあったし(しかも当時のボーカルのディーダーがそれに合わせてラップした)、当時プライマル・スクリームのベースだったマニが、サブフロアでDJをやってくれたこともあった。出演はしていないけど、ケミカル・ブラザーズのふたりが現れたこともある。これは、イベントの前の時間、編集長&レコード会社のスタッフと一緒に飲んでいて、その流れで遊びに来たのだった。
いずれにしろ、普段の誌面での付き合いがあるからこそ、できたことである。じゃなかったら、そんな豪華なメンツが、超満員でも600人強ぐらいのキャパのハコで、ギャラは激安のイベントに、来てくれるわけがない。
その、マニが出てくれたサブフロアのDJも、友人知人のDJとか、ミュージシャンとかにいろいろ頼んでいたのだが、そんな中で、くるりの岸田繁にも何度かプレイしてもらった。という流れで、バンドでも出てくれませんか、と、オファーしたところ。
普段のくるりではない形で出たい。45分の持ち時間をフルで使ってインストゥルメンタルの曲を1曲やりたい。バンド名も「くるり」ではなく「田主」で出演したい。それでいいなら出る、という返事だった。
オファーした出演日が、何月何日だったのかは憶えていないが、そのくるり側の提案をきいて、自分が「え? 何それ?」と、一瞬戸惑った、ということは、ジム・オルークが共同プロデュースで参加した、くるりのセカンド・アルバム『図鑑』が出るよりも前だったのだと思う。
あのアルバムに入っているインストゥルメンタル曲「惑星づくり」を聴いたあとだったら、「ああ、ああいう感じのことがやりたいのか」と、思っただろうから。もしくは、まだ『図鑑』を聴いていなかったとしても、次のアルバムにジム・オルークが参加することを知っていれば、やはり「そうか」とか思っただろうから、それも知らなかったのかもしれない。
トータスの『TNT』は1998年だし、モグワイのセカンド・アルバム『カム・オン・ダイ・ヤング』は1999年だ。どちらもちゃんと日本盤が出ていたし、BUZZの誌面でも取り上げていた。
トータスの初来日は『TNT』より前の1996年だそうだし(今調べました)、モグワイの初来日は、たぶん2000年の『フジロック』だと思う(BUZZのフジロック特集で、フジ開催中の苗場でポートレート撮影を行った記憶があります)。
つまり、そうした「音響系」とか「ポスト・ロック」とか呼ばれたバンドたちを、日本のロックファンも普通に聴くようになっていた時期なので、くるりのようなバンドがそれに刺激を受けるのも、自分たちもやってみたくなるのも、よくわかる。
ただ、普段のライブでそれをやるのは、さすがにちょっとあれだけど……というときに、『BUZZ NIGHT』の話があったら、「あ、そこでやればいいじゃん」と思うでしょ、それは。今考えても納得である。
というようなことまで、そのときの自分が考えたかどうかは憶えていないが……というか、考えなかった確率の方が高いが、とにかく、一瞬戸惑ったものの、すぐに「あ、でも、ありかも」と、考え直した。
普段のくるりを目当てに来たお客さんに、それをぶつけるのはリスキーかもしれないけど、そうではないし。それに、ここでしか、このときしか観れない特別なライブを観れる、というのは、貴重では? とも思うし。
メインフロアのピークタイムで、インストゥルメンタルの生演奏で1曲45分。踊れるものにはならないだろうし、戸惑う人もいるだろう。
でも、深夜のクラブイベントなんだから、それでもいいんじゃないか。そういうパフォーマンスを45分観るのがしんどい人は、サブフロアに移動して、そっちで踊ったり飲んだりしゃべったりできるわけだし。
というわけで編集長に相談したら即OKで、改めてオファーして、数カ月後に実現したのだった。
そして。当日のその、くるりの、いや、田主のライブは、予想以上に独特なものだった。
先に名前を挙げた、ジム・オルーク、トータス、モグワイの中で言うなら、エレキギターとベースとドラムの音でできていて、轟音である、という点では、いちばん近いのはモグワイ、かもしれない。が、あんなに淡々とはしていなくて、もっと緩急があって、展開があって、刺激的。過去の、プログレッシブ・ロックやハードロックやジャズやブルースやそれ以外のさまざまな音楽の要素を、音響系とかポストロックとかのフィルターを通して鳴らしている、というか。
それまで自分が知っている、ロック・バンドの編成で演奏されるインストゥルメンタルのどれとも違う。しかも、それが45分、止まらずに続いていく。
ただただ呆気にとられながら、音を浴びたのを憶えている。オーディエンスもみんなそんな感じで、棒立ちでステージを凝視していた。
2026年1月31日土曜日。『くるりツアー25/26 ~夢のさいはて~』最終日=Zepp Haneda(TOKYO)2デイズの2日目を観た。
岸田繁・佐藤征史のメンバーふたり、レギュラーのサポート・メンバー3人=ギター松本大樹、ドラム石若駿、キーボード野崎泰弘に、バイオリンの山田周とコーラス畳野彩加(Homecomings)が加わった7人編成。その全員でやる曲も、そうでない曲もある。
歴代の代表曲も、ライブで聴けるのはちょっとレアな曲も、この11日後にリリースが迫ったニューアルバム『儚くも美しき12の変奏』に収録される既発曲(5曲あるうちの4曲)も演奏された、本編23曲・アンコール3曲の全26曲。
自分が知っている中で日本最高峰の、いわゆるロック・バンドの編成で、目の前で生で奏でられる演奏と歌に、ただただ浸れる、本当に気持ちのいい、気分のいい時間だった。
そのライブの後半、21曲目の「さよならリグレット」が終わったところのMCで、岸田繁が、昨年10月の、東京ドームの、オアシスの来日公演を観に行った、という話を始める。
「ドント・ルック・バック・イン・アンガー」で、ノエル・ギャラガーはサビを歌わない。お客さんに歌わせる。自分は、「いや、きみらの歌を聴きに来てるわけじゃない。ノエル、あなたの歌を聴きに来てるんだ」と思う方だけど、気がついたら自分も一緒に大合唱していた。目の両端から涙を流しながら。
俺もあれをやりたい! と思ったが、くるりにはなかなかそういう曲がない。あれも違うし、これもちょっとはまらないし……あ! 1曲ある!
というわけで、『儚くも美しき12の変奏』の12 曲目の「ワンダリング」の、〈Hobo! Hobo! Wandering〉の部分を、オーディエンスに教えて、みんなで何度か練習してから、くるりはその曲に入った。みんな笑いながらMCを聴いていたのに、かなり感動的な大シンガロング状態になりました。
その光景にじーんとしながら、そうか、当時そりゃあ岸田もオアシス聴いてたよな、あたりまえに……とか考えていて、まさにその頃、つまりオアシスがもっとも頻繁に来日していた時代に、くるりが「田主として45分1曲のライブ」をやったことを、思い出したのだった。
なので、書いてみたのだった。東京ドームのオアシスのくだりとも、ニューアルバム『儚くも美しき12の変奏』とも、なんにもつながらない話だけど。
でも、『儚くも美しき12の変奏』、「いい」とか「すばらしい」ではおさまらない、「とんでもない」アルバムだと思う。そんなアルバムだらけのくるりのキャリアの中においても、トップレベルで。
リリースされて以降、ほぼ「これしか聴いていない」くらいの状態で、毎日聴いている。それでもなかなか、その全容を把握しきれない、解釈しきれない、感じ尽くせないくらい、深くて広い。
なお、その『儚くも美しき12の変奏』の12曲の中で言うと、6曲目の「C’est la vie」には、ちょっとだけ、田主の要素、あるかもしれない。インストゥルメンタルじゃなくて歌ものだけど、イントロや間奏の無国籍ハードロックみたいな感じに、ちょっと、そう思いました。
プロフィール
兵庫慎司
1968年広島生まれ東京在住、音楽などのフリーライター。この『思い出話を始めたらおしまい』以外の連載=プロレス雑誌KAMINOGEで『プロレスとはまったく関係なくはない話』(季刊)、ウェブサイトDI:GA
ONLINEで『とにかく観たやつ全部書く』(月二回)。著書=フラワーカンパニーズの本「消えぞこない」、ユニコーンの本「ユニコーン『服部』ザ・インサイド・ストーリー」に続いて、2026年3月19日に「ウルフルズ『バンザイ』ザ・インサイド・ストーリー」が発売になります(3冊ともご本人たちやスタッフ等との共著で、リットーミュージック刊)。
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