兵庫慎司の『思い出話を始めたらおしまい』
第二十六話:1996年の曽我部恵一と1997年の永積崇(後編)、の予定でしたが……。
月2回連載
第52回
illustration:ハロルド作石
前回の続き。僕が初めて観たサニーデイ・サービスのライブ、1996年4月24日、東京・渋谷クラブクアトロについて、です。
セカンド・アルバム『東京』(1996年2月21日発売)のタイミングで、この日の渋谷クラブクアトロと、翌日の今はなき心斎橋クラブクアトロで行った2本が、サニーデイ・サービスの公式なデビュー・ライブとされている、らしい。
というのは、サニーデイ、それまでは、まともにライブ活動を行っていなかったのだ。ライブをまったくやっていなかったわけではないが、数が非常に少なかったし、「ライブやってます!」と、公に向けて謳ってもいなかった。学園祭とか、新宿JAMとか、下北沢のSLITS(クラブ)とかで、それこそ(雑誌の)ぴあのライブハウスのスケジュール欄でチェックしないとわからないくらいのレベルで(インターネット普及前の時代です)、まるで人目を避けるかのように、細々とライブをやっていたのだった。
そもそもサニーデイは、アマチュア時代も、数えるほどしかやらないまま、デビューしたバンドだった。というか、最初は、いわゆるバンドの編成ではなかった。ボーカル&ギターの曽我部恵一、ベースの田中貴、パーカッションとリズムボックスの片山紀夫、キーボードの児玉清の4人。要は、まともに楽器を演奏できる人がいなかったわけだ。おそらく、曽我部と田中も含めて。
インディー・リリースしたN.G.THREEとのスプリット・シングル1枚・EP1枚・アルバム1枚・メジャーからのEP2枚は、曽我部がひとりで、歌以外すべてサンプリングで作った作品である。メジャー・デビューの時にインタビューした際、彼は「各楽器の担当というよりも、お笑い担当のメンバーとか、ゲーム担当のメンバーとかがいる感じ」というようなことを言っていた。いわゆる世間で言うところのロック・バンドではありません、という話だ。
それから4年くらい経った頃、曽我部に、当時を振り返るインタビューを行ったところ、アマチュア時代はまともなライブができなかった(当然だけど。演奏できないんだから)、だからどこのライブハウスにも冷たくあしらわれた、それで「ライブは苦手」という意識が染みついてしまい、デビュー以降も最初はまともにライブをやらなかった、という話をしていた。
その後、1994年の冬に片山と児玉が脱退し、1995年の年明けに、元ELECTRIC GLASS BALOONのドラマー丸山晴茂が加入して、ようやく、歌&ギターとベースとドラムのバンド編成に。その年の4月にリリースとなったファースト・アルバム『若者たち』の素晴らしさで、彼らは一気に注目を集めることになる。
が、それまでの全編サンプリングをやめ、バンド・サウンドでレコーディングされたアルバムであるにもかかわらず、彼らの「あんまりライブやんない」姿勢は変わらず、ファースト・アルバムを出したのに、リリース・ツアーをやらなかった。
で、前述のように、翌年=1996年の2月に、セカンド・アルバム『東京』を出してから、4月24日に渋谷クアトロ、25日に心斎橋クアトロで、ようやくちゃんとしたワンマンライブを行ったわけだ。その渋谷の方を、僕は観に行って、ロッキング・オン・ジャパンの1996年7月号にライブ・レビューを書いた。
その記事には、
・メンバー3人とサポート・キーボードの4人編成でのライブ。
・曽我部恵一、1曲目の「いつもだれかに」の2コーラス目で歌詞を忘れ、曲を止めて、「ごめんごめん、もう一回やり直し」になった。
・ドラム丸山晴茂は、速い曲でも静かな曲でも叩き方が変わらない。よって、「恋におちたら」みたいな曲になると、スネアがうるさくて、曲に合っていない。
・そして曽我部は、どうやら、自分の歌のキーを考えずに曲を作っているっぽい。なので、レコーディングでは問題ないのかもしれないが、ライブで声を張り上げて歌うとなると、高音部がきつい曲がある。
と、書いてある。
でも、総じてヘロヘロなんだけど、すごくよかった、この3人+1人でしかなしえない新しさがある──みたいなことを、僕はその記事の結論として記しているのだが、まあ、あんまり身もフタもないことを書くわけにもいかないので、そういうことにしたのだと思う。
その現場で感じた印象は、正直ヘロヘロ、それ以上でもそれ以下でもなくただただヘロヘロ、だった。演奏できてないし、歌えてないし、パンク・バンドや、当時流行っていたいわゆるローファイ系のバンドみたいな、「歌と演奏が下手なことも表現になっている」感じでもなかったし。
というわけで、僕は、曽我部恵一に対して、「音源は素晴らしいけどライブは苦手なんだな」という印象を抱いたのだった。
その年内に、二回のツアーを行っているが、サニーデイが、本気で、本格的に、ライブ活動に取り組み始めるのは、1997年の1月にサード・アルバム『愛と笑いの夜』をリリースし、3月スタートで回ったツアーからである。
この時から、サポートがキーボード高野勲&ギター新井仁に固定され、2000年12月に解散するまで、ばりばりライブをやっていくようになった。それに伴って、バンドの演奏も、曽我部のボーカル・パフォーマンスもみるみるレベルアップしていって、解散の頃には、ちゃんとしたライブ・バンドの域に達していた。
が、曽我部恵一の歌が本当にすごくなっていったのは、さらにその先だ。サニーデイ解散後、2002年から本格的にソロとして始動、ユニバーサル・ミュージックと契約して『曽我部恵一』『瞬間と永遠』の2枚のアルバムをリリース。その時期もツアーやフェス出演は行っているが、まだここではない。独立してROSE RECORDS/有限会社スタジオ・ローズを作り、リリースもマネージメントも自身で行うようになった、2004年から2005年の時期に、活動のしかたが大きく変わってからだ。
ひとりで弾き語りでライブ、バック・バンドと共にライブ、あと曽我部恵一ランデヴーバンドというのもあったな。で、2005年には曽我部恵一BAND(以下ソカバン)を結成。さらに、2008年には、サニーデイ・サービスを再結成する。
という時期に、ライブの本数がすさまじく多くなっていった。ランデヴーバンドはそんなに多くなかったが(基本的にセッション・ミュージシャンの集まりだったし)、弾き語りもソカバンもがんがんライブをやるし、サニーデイでも動く。一時期は、ソカバンとサニーデイ、同時にやっていたような頃もあった。
たとえば、「このたび自分でカフェをオープンしました、ぜひ歌いに来てください」みたいなオファーが、地方のファンからあった場合、事務所があったら自分に届く前に断ってしまう。でも、連絡が自分に直なら受けられる。地方でも、自分ひとりだけで行けば赤字にはならないので、受けた方がいい。
その頃にインタビューした時、彼はそう言っていた。というような按配で、ソカバン/サニーデイと並行して、ソロの弾き語りもどんどん増えていったのだろう。
なんでそんなにいっぱいライブをやるのか。「修行」みたいな意味合いもあったのかもしれないが、主な理由は、シンプルに、食うためだと思う。自分が社長だし、社員もいるし、家族もいる。その人たちと自分自身の生活を成り立たせるために、いちばんてっとり早い方法は、ライブをどんどんやっていくことだったのだろう。
そして、その経験が、曽我部恵一の歌を、ライブ・パフォーマンスを、どんどん鍛えていったのだと思うし、そんな日々の間に「こういうふうに歌えば届く」とか、「こういうマインドでステージに上がればうまくいく確率が上がる」というようなことを、体で覚えていったのではないか。
その2000年代から2010年代の時期、バンドも弾き語りも含めて、彼のライブを観るたびに、「うわ、またすごくなった」と思っていたのを記憶している。そして、その「うわ、またすごくなった」感が、ここ数年で、また増しているように感じるのだ。
推測だが、コロナ禍以前/以降で、もう一段階、変化があったのだと思う。コロナ禍の間は満足に人前で歌えなかったわけなので、それによって鍛えられることはなかっただろうが、コロナ禍を経験したことで、考え方や感覚などが変わった、そのことがコロナ禍が落ち着いて、普通にライブをできるようになって以降の、自身に影響を及ぼした、というのは、あると思う。
現に、それ以降、サニーデイ・サービスのツアーの数は、目に見えて増えている。そして、内容の方も、去年〜今年あたりから、ライブ1本の尺が3時間半とか4時間、曲数は45曲とか47曲、というような按配になっている。
すごすぎる。ブルース・スプリングスティーンじゃないんだから。あ、でも、そうね、そうか、もうそういう感じなのかもしれませんね、存在としては。
とにかく。バンドの時はもちろん、ギター1本持ってステージに上がれば、誰にも負けない。そんなすごい歌を歌う人になっているのが、今年の8月26日で55歳になる、曽我部恵一さんなのだった。
で。ここまでで4,000字を越えてしまったので、この続きに書こうと思っていた、永積崇(ハナレグミ)については、次回持ち越し、に、せざるを得なくなったのだった。
というわけで、次回に続く。
プロフィール
兵庫慎司
1968年広島生まれ東京在住、音楽などのフリーライター。この『思い出話を始めたらおしまい』以外の連載=プロレス雑誌KAMINOGEで『プロレスとはまったく関係なくはない話』(季刊)、ウェブサイトDI:GA ONLINEで『とにかく観たやつ全部書く』(月二回)。6年ぶりの著書「ウルフルズ『バンザイ』ザ・インサイド・ストーリー」、リットーミュージックより発売中(全320ページ、2,500円+税)。
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