兵庫慎司の『思い出話を始めたらおしまい』
第三十一話:「再始動あるある」とユニコーン(後編)
月2回連載
第62回
illustration:ハロルド作石
再結成/再始動したバンドのライブは、解散前に比べると、観客の男女比が変わる、男性客の割合が目に見えて多くなる、という現象について、「前編」では書いた。
で、以下の「後編」は、それとは関係ないような、あるような、いや、やっぱりあんまり関係ないかな、という話ではあるが、過去の、数あるバンドの再結成/再始動の中で、際立っておもしろかったユニコーンの再始動の時のことについて書きます。
書かずともファンは皆ご存知だとは思うが、ご存知ない方にとっては、興味深い事例なのではないか、と思うので。
ユニコーンが再始動を発表したのは、1993年9月21日の解散から15年4カ月後、2009年1月1日。2008年から2009年に変わるタイミングで、公式サイトが立ち上がってメンバーの挨拶動画がアップされ、続いて1月5日には、シングル「WAO!」とニューアルバム『シャンブル』のリリース、そして全国ツアー『蘇える勤労』の開催が発表された。
という時点で、多くの再結成/再始動バンドとは異なることが、わかる人にはわかると思う。何が。すでにニューアルバムが完成していて、リリース日も決まっていたことが、だ。
古今東西ずっとそうだ、とまでは言えないが、少なくとも僕が見聞きしてきた限りにおいては、再結成/再始動するバンドのほとんどは、「まずライブから」である。
いきなりツアーやワンマンを発表する場合もあるし、フェスやイベントからオファーが来たので、それに応える、という形で再結成/再始動することもある。
そうだ、せっかくなので、書いておきたい。この「フェスやイベントからオファーが来たので再結成/再始動」というケース、とても多いのである。どこそこのライブハウスの×周年イベントへの出演をオファーされた、とか、友達のバンドが大きなイベントをやるにあたって、出てくれと頼まれた、とか。
たとえば、サニーデイ・サービスの再結成のきっかけは、『RISING SUN ROCK FESTIVAL』からオファーが来たからだった(2008年)。HUSKING BEEの再結成は、幕張メッセで行われた『DEVILOCK NIGHT THE FINAL』への出演である(2012年)。JUN SKY WALKER(S)の再結成は、渋谷La.mamaの25周年と、名古屋E.L.L.の30周年のライブを行うということで、それぞれのステージに立ったのが最初だった(2007年)。
NUMBER GIRLの再結成の時、向井秀徳は「2018年のある日、俺は酔っぱらっていた。そして、思った。またヤツらとナンバーガールをライジングでヤりてえ、と」で始まるコメントを発表したが、向井が「ライジングでヤりてえ」と思った理由は、「オファーが来たから」だったかもしれない。違うかもしれないが、若林さんだったらオファーしてもおかしくない気がします。面識あるからって、ライジングのプロデューサーの名前を出さなくてもいいと思います。
とにかく、そういうようなケースが、本当に多い。なので、メンバーの誰かが自発的に「もう一回やろうよ」と言い出すよりも、「誰かに頼まれたから」という理由のほうが、再結成/再始動しやすいのかもしれない、と、僕などは考えてしまうのだった。
逆に言うと、フェスやイベントのスタッフというのは、休止や解散で活動していないバンドにも、平気でオファーを出す、ということだ。そのバンドをもう一度みなさんに観せたい、自分も観たい、という純粋な気持ちもあるだろうが、「うちのフェスで復活ってことになったらめっちゃおいしい」というのも、間違いなくあるだろう。というか、大きいだろう。
などと、他人事のように書いていてはいけません。自分もあるくせに。活動していないバンドに、出演のオファーを出したことが。
ピーズ(当時はTheピーズ)です。彼らの活動休止から4年が経った頃、ベストアルバム2作と全14巻のヒストリービデオが、発売になった。よくある「解散/休止後に、権利を持っている誰かが勝手に出したやつ」ではなく、はる(大木温之)がちゃんと自分で監修した作品だった。
はるは、活動休止以降、料理人になって、音楽をやめていたが、そのベストアルバム&ヒストリービデオを出した2001年に、ミュージシャンとして復帰した。かつてピーズのレコーディングを手伝ったこともある、the pillowsの佐藤シンイチロウと共に、ベース&ドラムのリズム隊として、真心ブラザーズのライブ時のサポート・メンバーを務めるという形で、である。その4人で、『ROCK IN JAPAN FESTIVAL』にも出演することになった。なお、真心ブラザーズは、その年の12月21日の日本武道館を最後に、活動休止に入る。
ということを、その時はまだ知らなかったし、はるが現場に帰って来たことを素直に喜んでいたら、当時、上司だった鹿野淳が、「Theピーズでも出演オファーしてみればいいじゃん」と言うのだ。
「え、だって、やってないじゃないですか」
「でも、ミュージシャンとしては復帰したんだから、もしかしたら出てくれるかもしれないじゃん。ベストアルバムとかも出したんだし」
そうなんだ? 活動していないバンドに、オファーを出してもいいんだ? と、とてもびっくりしたので、よく憶えている。
という鹿野淳の発案が、会議でもあっさり通り、僕からオファーした。が、「活動していません」という、もっともな理由で断られた。
しかし。翌年もう一度オファーしてみたら、なんと受けてくれた。で、『ロッキング・オン・ジャパン』の誌面で出演を発表し、同時にそれがTheピーズが再始動することの発表でもある──という、ものすごくうれしい結果になったのだ。
ボーカル&ベースのはる。休止前の段階で脱退したが、このタイミングで戻って来たギタリスト、アビさんこと安孫子義一。ここで初めて正式メンバーになった佐藤シンイチロウ、の3人である。
ただし。復活したTheピーズの最初のライブが、2002年8月10日、『ROCK IN JAPAN FESTIVAL』のLAKE STAGE、ということには、ならなかった。はるが、そのフェス出演の直前=7月25日に、千葉LOOKでライブを入れちゃったのだ。
一発目がいきなりフェスの大舞台、というのは怖いので、その前に一回やっておきたかったのか。それとも「復帰一発目がROCK IN JAPAN FESTIVAL」ということになるのが、なんかイヤだったのか。どちらだったのかは知らないし、その両方だったのかもしれないが、正直、「もー!」と、思いました。
観に行ったけど。で、記事にしたけど。当時THEE MICHELLE GUN ELEPHANTのベーシストだったウエノコウジが、千葉まで観に来ていて、「おお、同志!」とか言いたくなったのを憶えています。
話がそれ放題それたので、戻します。
つまり、そんなふうに、ライブから始めるのが再結成/再始動の常道なわけだが、ユニコーンは、そうではなかった。
今メンバーが集まったら、おもしろい音楽を作れるんじゃないか、とABEDONが考えたことが、ユニコーンの再始動のそもそもの動機である。「まずライブありき」ではなく、「まず音源制作ありき」だったわけだ。
ただし、実際に集まって作ってみないと、本当におもしろいものができるかどうかは、わからない。だから、それにトライしてみて、いいものができれば再始動するし、いいものができなかったら再始動自体をやめる。だから、再始動をするか、やめるかを決めるまでは、外に絶対情報は漏らさないようにしながら、制作する。
ということで、5人で曲を持ち寄ってアルバムの制作に入った結果、いいものができたので、もしくは作っている最中で、「あ、これはいいものができるわ」となったので、作り終えて、いろいろ準備を整えてから、再始動を発表した──。
というのは、当時、ABEDONがいろんなインタビューで話していたし、僕も本人からきいたことがある。
しかし……待て。ここまで書いて気がついたが、この先を書き続けると、連載一回分のマックスの文字数を、余裕でオーバーしてしまう。
でもこれ、「次回に続く」ってことにして、次回の前編と後編の二回分、いけるのか? 二回分の文字量になるくらい、書きたいこと、書けること、あるのか?
ということを、冷静に考えてみた結果、「ある」という結論に達したので、今回はここまでにいたします。
では、次回に続く。
プロフィール
兵庫慎司
1968年広島生まれ東京在住、音楽などのフリーライター。この『思い出話を始めたらおしまい』以外の連載=プロレス雑誌KAMINOGEで『プロレスとはまったく関係なくはない話』(季刊)、ウェブサイトDI:GA
ONLINEで『とにかく観たやつ全部書く』(月二回)。 最近の著書は「ウルフルズ『バンザイ』ザ・インサイド・ストーリー」で、その前の著書は「ユニコーン『服部』ザ・インサイド・ストーリー」、どちらもリットーミュージックより発売中。
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