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和田彩花のアートさんぽ

屋外彫刻や椅子のコレクションなど展示以外の見どころも満載──埼玉県立近代美術館

毎月連載

第10回

埼玉県立近代美術館の建物は、建築家・黒川紀章が初めて手掛けた美術館建築としても知られています

北浦和公園の木々の紅葉と銀杏に見惚れていると、美術館が見えてきましたよ。ここは、埼玉県立近代美術館。

美術館の周辺や、公園内の「彫刻広場」には、国内外の作家による30点近くもの屋外彫刻が点在。また、公園の中央には音楽に合わせてリズミカルに躍動する「音楽噴水」もあり、美術館に入る前から来館者を楽しませてくれます。

志水晴児《NAGATIVE BALL》1969年
重村三雄《階段》1989年
10時から20時まで2時間おきに音楽と噴水のショーが楽しめます(9月から2月までは18時で終了)

今回は、1月13日(月・祝)まで開催中の『没後30年 木下佳通代』を中心に紹介します。お話しを聞かせてくれたのは、埼玉県立近代美術館学芸員の佐藤あゆかさんです。

企画展と関連した特集展示などが見られる常設展示

まずは、4000点以上の収蔵品から厳選された作品を見られる1階の常設展示室へ。こちらでは年4回に分けて、企画性の高い展示が行われています。

「今回は3つのセクションを設けて、コレクションを紹介しています。まず、企画展『没後30年 木下佳通代』と関連させた『戦後日本美術の開拓者たち』。次に、特集展示として埼玉ゆかりの彫刻家『特集:木村直道』。一番奥にあるのが、当館の名品を紹介する『セレクション』のコーナーになっています」(佐藤さん)

埼玉県立近代美術館学芸員の佐藤あゆかさん

「戦後日本美術の開拓者たち」では、具体美術協会に所属していた元永定正さんの《聖火》などが展示されています。

元永定正《聖火》 1964年

「こちらの作品は、64年の東京オリンピックに関連して制作されたものです。キャンバスを撓ませ、そこに絵の具を流して描かれていて、偶然性と作為が融合している作品です」

「特集:木村直道」の展示風景

奥のスペースでは、壊れたもの、捨てられてしまったものを集めて組み合わせることで、別のちょっと面白いイメージを作る木村直道さんの作品が紹介されています。木村さんは英語が得意だったため、タイトルには英語の回文が使われているものもあるんだとか。埼玉県立近代美術館では、収集方針として近代に活動した埼玉ゆかりの作家と、彼らに影響を与えた西洋の作家を大切にされているようです。そのため、印象派やそれ以降の作品も多く収蔵されているんだそう。「セレクション」のコーナーで今回展示されていた作品で一番年代の古いものでは、ドラクロワの作品がありました。

ウジェーヌ・ドラクロワ《聖ステパノの遺骸を抱え起こす弟子たち》1860年 寄託作品(丸沼芸術の森蔵)
こちらは「セレクション」のコーナーで展示中の埼玉生まれの画家、田中保さんの作品《花びんのある裸婦》1920-30年。若くしてアメリカに渡り、後年にはパリに移住して日本に戻ることなく生涯を終えた画家です。田中の代表作には、裸婦像が多いのだそう

知られざる作家、木下佳通代の画業とは

次は2階の展示室へ。ここからは、企画展の木下佳通代さんの作品を見ていきましょう。

木下佳通代は、戦後、関西を中心に活動した美術家で、1970年代には幾何学図形を用いた写真作品で注目され、80年代からは抽象画を描きました。関西の美術館を中心に作品が収蔵されてきましたが、美術館での大規模な個展はこれが初めてです。今年の春から夏にかけて、大阪中之島美術館で開催された本展覧会は、ここ埼玉県立近代美術館館へやってきました。

どんな作品、作家人生に触れられるのか楽しみです

「木下さんは、関西を拠点に活動されていたということもあって、関東ではほとんど知られていない作家です。埼玉での開催をきっかけに再評価に繋げていきたいと思っています」

実は、私も木下さんの存在をこの展示で初めて知りました。木下さんの画業はどのようなものだったのでしょうか?

「初期には油彩画、70年代に版画や写真を扱うようになり、80年代になってまた油彩画に戻るというような作風の展開があります。制作の根底にあるのは、『存在』への問いかけです。若い頃から存在というものに関心を持っていて、世界が相対的存在であると考えたときに、自分自身の存在もなくなっていくような不安を感じられたそうです。木下にとって作品制作は、自身の存在を確かめる行為でもありました」

京都市立美術大学(現・京都市立芸術大学)で絵画を学んでいたころ、学校では具象画を描き、家では抽象画を描いていたという木下さんの初期作品《無題》1962年

一階の常設展示室にあったような同時代の戦後美術とは、どんな関連があったのですか?

「1965年、木下の最初のパートナーである河口龍夫が、グループ〈位〉という前衛美術集団を結成し、先駆的な試みをしていました。彼らは、個人の認識だけでは、世界の全てを把握することはできないと考え、集団でひとつの行為を実践することで、存在や認識のあり方をとらえなおそうとしたのです。グループ〈位〉の思想とは、関連性が見られると思います」

70年代になると写真を用いるようになります。第2章に入った途端、似たような写真が20枚ほど並べられています。まるで間違い探しをするように、それぞれの写真に違いはあるのか?と隅々まで見てしまう。

ビーカーの写真がずらっと並んでいる《Untitled/む60(ビーカー)》 1973年 前期展示 「私たちの認識って本当に正しいのだろうかということを考えさせられるような作品です」

この時代、写真を使ってコンセプチュアルな作品を制作する作家が多かったそう。その背景には、既存の芸術の枠組みに問いを投げかけたり、人間の知覚を見つめ直したりする動きの広まりがあったようです。

集合写真の一部が着色され、その範囲がどんどん広がっていく《無題》。今の時代から見てもかっこいい作品ですね。あと、色選びと色の組み合わせが素敵なものばかり。こういったセンスを持っていた木下さんは、かっこいい女性だったのだろうなと想像してしまいます。

《無題》 1975年
76年には、写真の上にドローイングするシリーズを制作しています。「目に見える形は楕円形だけれど、私達はこれを見て楕円形ではなくて綺麗な円を描いていると認識できる。視覚と認識のズレを表現した作品です」
《'76-C》1976 年 大阪中之島美術館蔵

この時代、女性作家の立場は困難なこともあったと思いますが、そのあたりについて木下さんは何かおっしゃられたりしていますか?

「晩年のインタビューで、いくつかエピソードを話されています。写真に移行する前に、グループでの作品制作に誘われたそうなのですが、そのメンバーの中に“女性は入れたくない”という人がいて、結局木下は友人に声をかけて制作をしたそうです。他にも、身近な男性作家たちが美術について討論しているなか、木下は食事を作ったり、お茶を出したりしてサポート役に回っていたという話も。やはり男性作家と女性作家の間の不均衡な状況はあったと思います。」

当時の木下さんが強いられていた役割は、今になって初めて美術館で木下さんの個展が開催されるという状況にまでつながっている問題だと感じます。

さて、80年代になると、写真制作からは離れて、紙とパステルを使って手を動かしていく作品が増えてきます。

展示風景より
作品プランのためのマケットの展示も

「機械的な手順を要する写真作品の制作過程では、表現に対する抑圧を感じていたみたいですね。自分の手を使って表現することに次第に欲が出てきて、このあたりから徐々に作風が変化します」

とはいえ、これまでの写真作品、写真の上に描いたドローイング作品との連続性はとても感じられますね。単純に幾何学的な模様だけを見ていたら理解は難しいけど、こうして一連の流れのなかでは、木下さんの思考と表現がわかりやすく見えてきます。

最後に油彩画に戻った木下さん。写真の制作では、存在についての概念を作品に取り込んでいましたが、画面上に存在そのものを作り出していけばいいんじゃないかという考えに変わっていったようです。

「油彩画に回帰して最初に制作されたのが《'82-CA1》1982年。キャンバスに絵の具を塗り、それを布で拭っています。木下さんは、キャンバスと絵の具を等しく扱うことで、存在そのものを表現できるんじゃないかと考えました」絵の具の拭い方で画面の表情が変わってきますね

やがて布による拭きとりは後退し、筆で線を描き重ねていくスタイルになりますが、徐々に、ストロークも減り、抜け感のある絵画空間に変わっていきます。

コンセプチュアルな作品から出発した木下さんが最後にたどり着いた抽象画は、広い奥行きが印象的でした。その奥行きは、単なる絵画空間というよりも、これまでの芸術や表現、思考の変化を積み重ねてきたからこそできる奥深さに感じられました。

1986年には同志社大学の図書館のための大型作品(横5.5m、縦2.5m)《’86-CA323》を制作しました。今回は、大阪中之島美術館でのみ本作品が展示されました。埼玉では、展示の最後に、その制作当時の様子を映像で見ることができます。

映像展示:木下佳通代《'86-CA323》、奥田善巳《CO-310》について

木下さんの作品は、生前にお付き合いのあったギャラリーの方の働きかけによって、関西の美術館を中心に収蔵されています。特に、大阪中之島美術館には多くの木下さんの作品が収蔵されているようです。関西でも、引き続き木下さんの作品を楽しんでくださいね。

たくさんの人の想いがつながり、こうして木下さんの作品に出会えました。素敵な作品に出会う機会を作ってくれたみなさん、ありがとうございました。

展示室を出ると、館内の廊下やエレベーターホールなど、あちらこちらにステキな椅子が置いてあることに気づきました。これらは同館がコレクションしているデザインチェアで、誰でも自由に座って座り心地を楽しむことができます。こちらもぜひ試してみて下さいね。

美術館のHPでは「今日座れる椅子」のリストが公開されています

撮影:源賀津己

埼玉県立近代美術館

JR北浦和駅のほど近く、自然豊かな北浦和公園内に1982年に開館。モネ、シャガール、ピカソなどの海外の巨匠から埼玉ゆかりの作家をはじめとする日本の現代作家まで、優れた美術作品をコレクションし展示。さらにさまざまなテーマや切り口で企画展が開催されている。ギャラリー・トークや講演会、親子で参加できるワークショップなども随時行われているほか、県内の学校とも連携し「対話型鑑賞」を取り入れたさまざまなプログラムを用意されている。
https://pref.spec.ed.jp/momas/

【展覧会情報】
『没後30年 木下佳通代』
2024年10月12日(土)~ 2025年1月13日 (月・祝)

神戸に生まれ、関西を拠点に活動した美術家・木下佳通代(1939-1994)の画業を通覧する初の大回顧展。京都市立美術大学(現・京都市立芸術大学)で絵画を学び、在学中から作家活動を開始した木下は、1994年に亡くなるまで、様々な作風の作品を通して「存在とは何か」という問いに向き合い続けた。同展では、初期の油彩画をはじめ、代表作である写真シリーズ、亡くなる前の病床で描かれた絶筆などからその画業を年代順にたどり、これまで大きく紹介される機会のなかった作家の全貌を明らかにしていく。

プロフィール

和田彩花

1994年8月1日生まれ、群馬県出身。

アイドル:2019年ハロー!プロジェクト、アンジュルムを卒業。アイドルグループでの活動経験を通して、フェミニズム、ジェンダーの視点からアイドルについて、アイドルの労働問題について発信する。

音楽:オルタナポップバンド「和田彩花とオムニバス」、ダブ・アンビエンスのアブストラクトバンド「L O L O E T」にて作詞、歌、朗読等を担当する。

美術:実践女子大学大学院博士前期課程美術史学修了、美術館や展覧会について執筆、メディア出演する。