Download on the App Store ANDROID APP ON Google Play
Download on the App Store ANDROID APP ON Google Play

小西康陽 5243 シネノート

2月から3月

毎月連載

第21回

『火口のふたり』 (c)2019:「火口のふたり」製作委員会

 それはラピュタ阿佐ヶ谷のモーニング・ショーの回、桑野みゆき主演・井上和男監督の『明日をつくる少女』を観た日だった。
 客席で上映を待っていると、場内がすこし寒いので、劇場の入り口に置いてあるブランケットを取りに行くと、いつものところに置いていない。階段を降りて劇場スタッフの女性に、ブランケットを借りたい、と伝えると、ああ、いま新型コロナウイルス対策でブランケットの貸し出しをしていないんです、とのこと。ああ、そこまできているのか。そこからさまざまなことを考えているうちに上映が始まる。
 『明日をつくる少女』は最高に素晴らしい映画だった。前の週からスタートしたラピュタ阿佐ヶ谷のモーニング・ショー、桑野みゆきの特集は井上和男監督、桑野と山本豊三のコンビによる『野を駈ける少女』からスタートしたのだが、その作品はあまり楽しめず。同じ監督に同じ主演コンビなので、今週は起きられなければパスしようか、と思っていたのだが、やはり早起きはするものである。
 『野を駈ける少女』『明日をつくる少女』と続くのでシリーズ物なのかと思いきや、さにあらず。舞台は東京の下町にあるハーモニカ工場。そこに務めている若い工員の山本豊三と桑野みゆき。といっても、主演のふたりはむしろ狂言回し。渡辺文雄、瞳麗子、石井伊吉、草薙幸二郎、伊藤雄之助、殿山泰司、それぞれの切ない事情が交差する。ハーモニカ工場の素晴らしいセット。すぐ隣りは小学校で、悪童たちにからかわれる工員が披露する驚きの音楽場面はこの映画のハイライトだった。なによりも、物語が動き出すきっかけとなる桑野みゆきから山本豊三へのプレゼントが、もうたまらなく愛おしい。
 じっさいにハーモニカ工場で就労していたという早乙女勝元の原作をみごとに脚色してみせたのは馬場当と山田洋次。それを知ると、どうしても連想してしまう映画が倍賞千恵子の主演した『下町の太陽』。以前、あの映画を観たときも、今後いっさい山田洋次の悪口は言わない、と心の中で最敬礼したものだった。そしてこれは木全公彦さんが教えてくださったのだがこの映画、もともとは家城巳代治監督が撮るはずだったのに、直前にレッドパージで監督交替、『野を駈ける少女』の井上和男監督の起用となった、ということ。まさしく「スクリーンの裾をめくってみれば」という話。それにしても、それにしても。この『明日をつくる少女』という映画の中で工員たちは誰もがみな、これから出荷する商品のハーモニカを舐めては吹いて検品する。コロナ対策で膝掛けも貸し出しを停止している劇場で鑑賞するこのゾクゾク感といったら。