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小西康陽 5243 シネノート

3月から10月

毎月連載

第22回

『月世界の女』

 今週も観たい映画が多かったり、とても悲しい報せを受け取ったり、要するに原稿を書く気が全く起きない。どうして引き受けてしまったのだろう、などと考えているうちに、また映画を観に出掛ける時間が迫ってきている。
 たしか4月の初めに、よく通っていた名画座が営業を休止して、それでもまだ上映を続けている劇場もあるにはあったのだけれども、こんどは周囲がうるさく言うようになって、それでじぶんも部屋に籠って暮らす生活に入った。たしかそんな感じだった。
 予定の入っていた仕事も全て中止、レギュラーで入っていたDJの仕事も休止、近所のスーパーマーケットの他はどこにも出掛けず、映画を観ることもしなかった4月、そして5月。いま思い出すなら、あの2ヶ月間は、寝たいときに寝て、起きたい時間に起きて、お腹が空いたら台所で何か買い置きのものを食べ、好きなレコードを聴いて、そのレコードのことを調べては別のレコードに興味を持ち、また眠くなったら寝て、という自堕落な生活のループ。けれども振り返ってみれば、あの2ヶ月間がここ数年のうちでもっともリラックスしていて寝不足もなし、ストレスもまったくなし、の健康的な日々だった。
 いったい、映画に行ったり、お金にもならないDJをしたり、その準備に明け暮れたりするのは義務なのか。そんなことを考えてしまうこともあった。
 思えば二十代前半、かなり集中して映画館に通っていた時期も、ときどき生活のスケジュールが映画に縛られてしまうことが苦痛になったりした。行きたくなければ行かなければよいのに、なんとなく行かなくては、観なくてはいけない、という気持ちになるのがいつも不思議だった。
 だから、この「世界/同時/春休み」のようなロックダウン、とは我が国では言わなかったのか、半強制的外出自粛・営業自粛要請の時期というのは、じぶんの心の健康のためには案外と貴重な時期だった、と考えている。
 とはいえ6月。劇場の営業が再開すると、けっきょく足を運んでしまう。まだ両隣りの席を使用禁止として、入場者数を半分ほどにしている。たしか営業再開してから最初にラピュタ阿佐ヶ谷に行ったとき、満員札止めで入場できずにすごすごと帰ったのは、何という映画だったか。
 上映中もマスク着用、ロビーでの食事は禁止、会話もお控えください。最終回の上映は休止。こちらも戸惑ってしまったが、劇場側の困惑はもっと大きなものだったに違いない。いつもの劇場のいつものスタッフの方々が、上映が終わる度に、劇場のドアや座席の肘掛けを拭いて消毒している。仕事は何倍も増えたのに、入場者数は半分。やってられない、ですよね。だが、やってられない、と閉館してしまった劇場がなかったのは感謝するほかない。
  劇場に戻ると、久しぶりにお見かけする知り合いの方々の、お元気そうなお顔が嬉しい。いっぽう、このコロナ禍以降、すっかり劇場で見かけなくなってしまった人も。そういうじぶんもどこかのタイミングでぷい、と劇場に行かなくなる日がいつかきっと来る。