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押井守の あの映画のアレ、なんだっけ?

印象に残っている“走る姿”を教えてください!<後編>

月2回連載

第122回

Q.
『マッドマックス:フュリオサ』に出てきたアリーラ・ブラウンの走る姿が、まるで宮崎アニメのようでとてもかっこよかったです。押井監督が印象に残っている走る姿を教えてください!

── 前回に続き、実写やアニメーションにおける“走る”というアクションについて語って頂いています。

押井 『パト1』(『機動警察パトレーバー the Movie』(89))についてだったよね。

最後はレイバー同士の一騎打ちになるんだけど、それだけだと映画は終わらないと思ったんだよ。アクション映画は最後、ロボット同士が戦ってどちらかが勝つというんじゃダメということ。だから野明は一号機のコックピットを降り、暴走している零式の首のところに乗って、思いきり銃弾を浴びせるんです。全部ぶち込んでやっと止まるからね。

アクション映画というのは、主人公が最後は汗まみれになってヘトヘトになるまで戦って勝つというのが王道なんです。だから私もあえてそうしたの。ヘトヘトになってぶっ倒れた主人公の横顔で終わるのが正しいアクション映画だから。アクション映画の王道をやるというのが『パト1』のテーマのひとつだったからですよ。ロボットものだからこそ、最後は主人公がコックピットから降りて戦うべきだって。

── なるほど! カーアクションで有名な『ブリット』(68)もスティーヴ・マックィーンが最後は空港の滑走路を走ってましたね。

押井 最後は主人公が肉体を酷使しないと、本当の爽快感は得られない。アクション映画というのは、最後の爽快感にすべてをかけているんだから! 車に乗ったまま、ロボットに乗ったままじゃ終われないんですよ。

でも、日本のロボットアニメでは、誰もコックピットから降りない。だから『パト1』ではやろうと思ったんだよ。

── 敵がロボットであっても、そうしたかったんですね。

押井 警察だし、人を殺すのはNGというお約束があったから、レイバーが制御できなくて暴走したという設定にした。生身の人間がロボットを止めるためには、首筋にあるメモリーチップに弾をぶち込む……それは最初から考えていたから。

── 勉強になります!

押井 何が言いたいかというと、走るというのは身体的な表現。アクション映画に限らず走るシーンというのは何かがあるし、何かがなきゃいけない。漫然と走っているのはよほど無能な監督がやることです。

モノが分かっている監督が走るシーンを撮る場合は、ちゃんと意味があるんです。景気づけに走るのは『太陽に吠えろ』(72~86)だけでいいの! 毎回、ラストは路地裏などを犯人を追って走りまくる。主人公は最後、自分の肉体で頑張る。車なんて乗ってるんじゃないの!と言っているわけなんだけど、それが定番になっちゃダメなんです。走るという行為に独特の意味を絶えず見出さなきゃいけない。それが監督の仕事なんですから。

だから走るシーンを観ると分かるよ。この監督は単なる景気づけで走らせているとかね。役者は大変なんだから! 役者は反吐を吐くまで走るから。

※続きは無料のアプリ版でお読みください

取材・文:渡辺麻紀
撮影:源賀津己

『押井守の人生のツボ2.0』

東京ニュース通信社
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