押井守の あの映画のアレ、なんだっけ?
映画の上映フォーマットや画角が様々になりましたが、この状況をどう考えていますか?<前編>
月2回連載
第139回
Q.
近年、IMAXや4DXなど上映フォーマットが多彩になっていて、画角も様々です。映画監督としてこの状況をどのように考えていますか? ひとつの映画に複数の画角がある場合、レイアウトや画面設計に変化はあるのでしょうか?
── 今回は映画の技術的な質問です。3Dは影を潜めた印象ですが、代わってIMAXや4DXなどが使われるようになっています。1本の映画の中に異なる画角が存在しているといえば、公開中の『ミッション:インポッシブル/ファイナル・レコニング』のIMAX版がそうでした。トム・クルーズの決死のアクションになると画面がズズっとデカくなってIMAX仕様になってましたね。

押井 映画の画角にはなんの根拠もありません。フィルム会社が勝手につくった規格ですよ。日本だとコダックとかフジとか。ヨーロッパだとアグフアかな。(ジャン=リュック・)ゴダールもアグフアを使っていた。
私は『アヴァロン』(01)のときポーランドでカメラマンの(グジェゴシ・)ケンジェルスキにアグフアを使いたいと言ったら、「今どきそんなヤツはいない。みんなEK(イーストマン・コダック)の高感度を使う」って。彼の着ているジャンパーにはコダックのロゴが入っていたけどさ(笑)。
『ガルム・ウォーズ』(15)のときにカナダのラボに行って驚いたのは、世界でここだけまだカラーフィルムを生産しているって言っていたこと。メーカーの意地かじいさんの道楽か知らないけど、特殊な人向けですよ。
── (クエンティン・)タランティーノのような人ですね。
押井 フィルムに郷愁をもっている監督はたくさんいる。映画マニアが転じて監督になったというタイプが多いよね。職業として監督をしている人は、逆にそういうことにはこだわらない。当然です。だって映画を撮るための道具、中間生産物ですよ。スクリーンに投影されて初めて映画になるんだから、フィルムが映画だと思っているような監督はいません。
映画の実態はどこにあるのかっていつも言ってるでしょ? 映画の実態はないんです。体験するものなんだから。体験するならいろんなバリエーションがあった方がいい――つまり、今のようにさまざまな規格があるのはウェルカムですよ。
── 「1本の映画に複数の画角があるときは画面設計は変えるんですか?」とも聞いています。
押井 変えます。特殊な例だけどね。『ヤマトよ永遠に』(80)もヤマトが発進するときサイズが広がって、みんな「わー」と喜んでいたから一定の効果はある。でも、それは映画の評価とはなんの関係もない。トム・クルーズの映画も効果はあるんだろうけど、評価が変わるわけではない。
── 私が最初に観た画角が変わる映画は、ダグラス・トランブルの『ブレインストーム』(83)でした。ブレインストームのシーンになると、画角が35ミリから65ミリへとブローアップする。それを確認するためでっかい劇場で観ました。
押井 トランブルは技術の人だから。監督にはそういうことに興味がある人とない人、ふたつのパターンがある。
── 意外なことにロバート・レッドフォードの『モンタナの風に抱かれて』(98)が、主人公たちがモンタナに入ってから画角が広がっていましたね。
押井 一気に視界が広がることをそういうテクニックで表現するわけだけど、私はレイアウトでもできると思うけどね。どんなにスクリーンをでっかくしても所詮は映画なので。とはいえ無視できる問題ではなく、程度問題だと思っている。
── 押井さんはどの画角が好きなんですか?
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取材・文:渡辺麻紀
撮影:源賀津己
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