川本三郎の『映画のメリーゴーラウンド』
『月は上りぬ』『お嬢さん乾杯』にでてくる、ジョイス、ショパン、万葉集。この映画の若者たちは誰も教養がある。
隔週連載
第61回
田中絹代が監督した『月は上りぬ』は、安井昌二が北原三枝に言うセリフがひどく乱暴なのは困るが、基本的に、法隆寺や二月堂など奈良の落ち着いた、まさに「まほろばの大和」が描かれていて好きな映画。
1990年代の終わり、JTBで発刊されていた旅の雑誌『旅』の仕事で、そのロケ地を歩いたことがある(単行本『日本映画を歩く ロケ地を訪ねて』1998年、JTB刊)。
映画の冒頭、父親の笠智衆が三人の娘たち、山根寿子、杉葉子、北原三枝と能の謡曲のおさらいを、ある寺でする。この寺は、東大寺の塔頭(たっちゅう)、龍松院と分かった。取材で訪れると、いまは亡い住職の筒井寛秀さんが応じてくれた。
案内していただいた部屋はまさに『月は上りぬ』の撮影に使われた部屋だった。さらに長老は気さくな方で、撮影中の田中絹代を自分のカメラで撮った写真まで見せてくれた。
老師は戦前、東京の大正大学で学んでいた頃、映画が好きで日劇や新宿の武蔵野館によく映画を見に行ったという。オートバイにも乗った昭和のモダンボーイだった。
長老に『月は上りぬ』の撮影当時の話を聞けたことは、いい思い出になっている。