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池上彰の 映画で世界がわかる!

『クレッシェンド 音楽の架け橋』―音楽の力で和平を取り戻せるのか? 対立するイスラエルとパレスチナ

毎月連載

第44回

タイトルの「クレッシェンド」とは、音楽用語で「だんだん強く」という意味です。音楽での架け橋の試みは、果たして「だんだん強く」なっていくのだろうか。

音楽で和平を実現する。そんな理想論は通用するのでしょうか。しかし、その試みはあるのです。激しく対立するイスラエルとパレスチナ。その両方から若者たちを集めてオーケストラを結成してコンサートを開く。実在する楽団をモデルに描いた作品です。

映画の冒頭、バイオリン演奏の練習に励むパレスチナの女性が、突然玉ねぎを目に当てるシーンがあります。これは家の外で、パレスチナの若者の抗議行動に対して、イスラエルの治安部隊が催涙弾を発射したからです。玉ねぎには、催涙弾の刺激を中和する働きがあるからです。

こんな状況の中でも音楽に打ち込むパレスチナの女性がいるという苛酷な現実から映画は始まります。

世界的に名の知られる指揮者のエドゥアルト・スポルクは、紛争中のイスラエルとパレスチナから若者たちを集めてオーケストラを編成し、平和を祈ってコンサートを開くというプロジェクトに参加します。

まずはオーケストラを結成するためのオーディションが行われます。イスラエル側で実施されたため、参加するパレスチナの若者たちは、イスラエルの治安部隊の検問所を通過しなければなりません。ところが、所持する楽器は武器と疑われ、簡単には通過できません。こうした光景は、現地で私も何度も経験しました。それでも私は日本のジャーナリストですから、パスポートを見せれば容易に通過できましたが、パレスチナ人は、許可証がなければ通れません。これが悲しい現実です。

パレスチナにとって“敵国”のイスラエルで演奏活動をすることに対しては、パレスチナの家族が猛反対。それでも音楽家になる夢を抱いた若者たちは、検問を越えます。

ようやく実施されることになったオーディション。演奏者は白いスクリーンに隠れて演奏します。人種や性別に関係なく、音楽の技量だけで選抜するためです。この方式は、確かに公正なのですが、結果的に経済格差が反映され、パレスチナの若者の合格者は少なくなってしまうという現実が描かれます。

そこでオーケストラの規模を縮小してコンサートを実現させることになりました。

しかし、イスラエルのユダヤ人にとってパレスチナ人は“テロリスト”に思えてしまいます。パレスチナ人にとってイスラエルは“占領者”でしかありません。互いの憎しみは容易には解消されず、練習は暗礁に乗り上げます。

そこでスポルクは、彼らをイタリアの南チロルでの合宿に連れ出します。なぜ南チロルなのか、その秘密がやがて明かされるのですが、そこで彼らは寝食を共にしながら練習を重ねます。と同時に、彼らの苛酷な身の上が語られていくうちに、次第に心がひとつになっていきます。

そのうちに恋も芽生えます。彼らが演奏する曲は、誰でも知っているクラシックの名曲ばかり。それぞれの場面で演奏される曲目にも意味があるのです。

ところが、コンサート前日に、思いもかけぬ事件が起きてしまいます。彼らの夢は実現するのでしょうか。

映画の終盤、不覚にも私は涙ぐんでしまいました。こんなことは久しぶりのことです。

この映画は2019年にドイツで製作され、各国で上映されていますが、イスラエルとパレスチナでは上映が認められていません。これもまた悲しい現実なのです。

掲載写真:『クレッシェンド 音楽の架け橋』
(C)CCC Filmkunst GmbH

『クレッシェンド 音楽の架け橋』

2022年1月28日(金)新宿ピカデリー、ヒューマントラストシネマ有楽町、シネ・リーブル池袋ほか全国公開

監督:ドロール・ザハヴィ
脚本:ヨハネス・ロッター、ドロール・ザハヴィ
出演:ペーター・シモニシェック/ダニエル・ドンスコイ/サブリナ・アマーリほか

プロフィール

池上 彰(いけがみ・あきら)

1950年長野県生まれ。ジャーナリスト、名城大学教授。慶應義塾大学経済学部卒業後、NHK入局。記者やキャスターをへて、2005年に退職。以後、フリーランスのジャーナリストとして各種メディアで活躍するほか、東京工業大学などの大学教授を歴任。著書は『伝える力』『世界を変えた10冊の本』など多数。