池上彰の 映画で世界がわかる!
『チェルノブイリ1986』―悲惨な歴史的事故を起こしたソ連、ロシアになっても状況は変わらない……
毎月連載
第47回

チェルノブイリはロシア語読み。ロシアによるウクライナ侵攻を受けて、日本政府も日本のメディアもウクライナ語読みに変更しました。新しい名前はチョルノービリです。映画の中ではキエフの地名もしばしば登場しますが、こちらもウクライナ語読みのキーウに変更されました。
とはいえ、もはや歴史的事故なので、ここは「チェルノブイリ原発事故」という表記にしておきましょう。
今回、ロシア軍は、この原発に突入。現場の作業員を監禁しながら占拠していましたが、3月末までに撤退しました。
ロシア軍は原子力発電所を占拠中、不用意に施設内に足を踏み入れたり、周辺の汚染地帯で塹壕を掘ったりして、多数の兵士が被曝したと伝えられています。
汚染地帯を戦車や装甲車が走行した際、汚染された土砂を大量に巻き上げたとも伝えられていますので、放射性物質を吸い込んだ兵士たちは、内部被曝していることでしょう。これは対策が厄介です。今後、兵士たちの多くに放射線障害が現れることでしょう。

チェルノブイリ原発事故が起きたのは、表題通りの1986年。もう36年も経っているのですから、多くのロシア軍兵士は、ここがどんな事故が起きた場所か、知らないのでしょう。
というのも、事故が起きた当時、ここはソ連の一部。社会主義国だったソ連は秘密主義を徹底していたので、事故についての国内での報道は僅かだったのです。ソ連が崩壊してしまうと、現場はウクライナ領内となり、ロシアは知らん顔だったからです。
事故は、保守点検のため前日より原子炉停止作業中であった4号炉で、緊急炉心停止装置を外しての試験が行われていました。実に危険な試験です。その結果、原子炉が暴走。止めることができないまま、原子炉が爆発したのです。

事故が起きたのは4月26日。5月1日は「労働者の祭典」メーデーです。ソ連としては全国で大々的に祝賀パレードなどを開催するため、事故が起きた後も、子どもたちが屋外で予行演習をしている様子が描かれています。これは、本当にそうだったのです。
こんな状態ですから、周辺住民の避難は遅れました。多くの住民が被曝したはずですが、詳しい情報は不明です。それでも事故後数年経って、周辺の子どもたちに甲状腺がんが非常に高い比率で発見されています。

また、悲惨だったのが、事故直後に現場に駆け付けた消防士たちです。「火災発生」と聞かされて現場に急行したのですが、実際は原子炉が爆発し、大量の放射性物質が飛散していました。放射線を防護する準備もないまま消火に当たったのですから、大量の放射線を浴びることになりました。この映画でも、消火作業中に急性放射線障害で倒れる消防士たちの様子が描かれています。

当時のソ連の公式発表では、消防士を中心に33人が死亡したとされていますが、実際には、もっと多くの人が死亡したのではないかと見られています。
事故当時、ソ連のあまりに杜撰な対策に呆れたものですが、日本も他人のことは言えませんでした。2011年3月には東京電力福島第一原子力発電所で事故が起きてしまったのですから。
この映画では、さらに大規模な爆発にならないように奮闘する作業員の決死の覚悟の様子が描かれていますが、福島でも、現場の人たちが奮闘したことを思い出しながら見てしまいました。
あんなひどい事故を起こしたソ連は、ロシアになっても状況が変わらないように見えてしまうのですから、悲しいことです。
掲載写真:『チェルノブイリ1986』
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『チェルノブイリ1986』
5月6日(金)新宿ピカデリーほか全国ロードショー
製作・監督・主演:ダニーラ・コズロフスキー
製作:アレクサンドル・ロドニャンスキー
出演:オクサナ・アキンシナ/フィリップ・アヴデエフほか
プロフィール
池上 彰(いけがみ・あきら)
1950年長野県生まれ。ジャーナリスト、名城大学教授。慶應義塾大学経済学部卒業後、NHK入局。記者やキャスターをへて、2005年に退職。以後、フリーランスのジャーナリストとして各種メディアで活躍するほか、東京工業大学などの大学教授を歴任。著書は『伝える力』『世界を変えた10冊の本』など多数。