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池上彰の 映画で世界がわかる!

『オフィサー・アンド・スパイ』―フランス国家の陰と陽 を知る“ドレフュス事件”

毎月連載

第48回

フランスにおける反ユダヤ主義の根強さを浮き彫りにした冤罪事件と、その冤罪を晴らそうとする情報組織の幹部の戦いの実話が映画化されました。

テーマとなった“ドレフュス事件”といえば、世界史で必ず出てくる事件です。

1894年、フランス軍大尉でユダヤ教徒のドレフュスが、ドイツのスパイの嫌疑を受けます。本人は無罪を訴えますが、軍法会議(一般の裁判ではなく軍の内部の裁判。軍人が裁判長を務める)で有罪が言い渡されます。監獄島での終身刑です。

しかし、かつてドレフュスを指導したことのあるピカール大佐が防諜担当者つまりスパイを摘発する立場に就任すると、ドレフュス大尉の有罪の証拠とされた文書が、別人によって書かれたことを示す証拠を入手します。

ドレフュスは無罪で、真犯人のスパイは別にいる。衝撃を受けたピカール大佐は、ドレフュスの再審を請求しようとしますが、軍の幹部は、自分たちの過ちが明らかになるのを恐れ、再審請求を認めようとしません。それどころかピカール大佐を逮捕してしまうのです。

この不正を知った作家のエミール・ゾラは、新聞に「私は弾劾する」というタイトルで軍の不正を告発します。すると、ゾラも名誉棄損で有罪になってしまう有様です。

ドレフュスを擁護したり、ゾラを弁護したりすると、「金持ちのユダヤ人に買収されたのか」と非難されます。これが、自由・博愛・平等のはずのフランスの実態でした。

映画は、カトリック社会のフランスで、ユダヤ人がいかに差別されていたかを如実に表す描写が続きます。ユダヤ人は、「イエス・キリストを磔に追い込んだ者たちの子孫」として差別されたのです。

その後、ドレフュスやピカール大佐を有罪に追い込んだ軍の部下の証拠の捏造が明らかになり、ピカール大佐は釈放されます。ドレフュスは罪が軽減されますが、有罪判決は覆りませんでした。

やがてドレフュスは恩赦を受けて釈放。その後、ようやく無罪が確定します。

この様子を、衝撃を持って受け止めたのが、ハンガリー出身で、ジャーナリストとしてパリに滞在していたテオドール・ヘルツルでした。彼もユダヤ人。彼は、ユダヤ人の安住の地をヨーロッパ以外に建設すべきだと考え、かつてユダヤ人の王国があったエルサレムの「シオンの丘」に帰ろうという運動を起こします。これが“シオニズム”です。

1897年、スイスのバーゼルで第1回シオニスト会議を開催します。会議には各国のユダヤ評議会によって選出された代表200人が参加しました。

ヘルツル自身は“ユダヤ人国家”の設立を見ることなく1904年に死去します。しかし、やがてナチス・ドイツのヒトラーが第二次世界大戦でユダヤ人虐殺を実行します。実に600万人もの犠牲者が出たのです。

この悲劇を受けて大戦後、シオニズム運動が高まり、イスラエルが建国されます。ヘルツルは一時イスラエルの紙幣の肖像にも採用されました。

こうして見ると、この映画で描かれたドレフュス事件は、やがてイスラエル建国へとつながっていく重大な事件なのです。

実はいまもフランスには反ユダヤ主義の底流が流れています。根強い反ユダヤ主義の存在と、それにも関わらず正義を貫いたピカール大佐。フランスという国家の陰と陽を見る事件でもあるのです。

掲載写真:『オフィサー・アンド・スパイ』
(C)2019-LEGENDAIRE-R.P.PRODUCTIONS-GAUMONT-FRANCE2CINEMA-FRANCE2CINEMA-ELISEO CINEMA-RAICINEMA

『オフィサー・アンド・スパイ』

6月3日(金)TOHOシネマズシャンテ他全国公開

監督:ロマン・ポランスキー
脚本:ロバート・ハリス、ロマン・ポランスキー
原作:ロバート・ハリス
出演:ジャン・デュジャルダン/ルイ・ガレル/エマニュエル・セニエ/グレゴリー・ガドゥボワ/メルヴィル・プポー/マチュー・アマルリックほか

プロフィール

池上 彰(いけがみ・あきら)

1950年長野県生まれ。ジャーナリスト、名城大学教授。慶應義塾大学経済学部卒業後、NHK入局。記者やキャスターをへて、2005年に退職。以後、フリーランスのジャーナリストとして各種メディアで活躍するほか、東京工業大学などの大学教授を歴任。著書は『伝える力』『世界を変えた10冊の本』など多数。