池上彰の 映画で世界がわかる!
『ナワリヌイ』―プーチンがいかに危険な人物かを教えてくれる、いまこそ必見の映画
毎月連載
第49回

ウクライナへの軍事侵攻を命じる一方、ロシア国内での「戦争反対」の声を押しつぶしているプーチン大統領。そのプーチンが最も恐れた男、それがアレクセイ・ナワリヌイです。
プーチン政権の独裁的手法と汚職の蔓延に抗議し、大統領選挙に立候補しようとしていたことから、ナワリヌイはプーチン大統領の怒りを買います。いや、プーチン大統領を恐れさせたというべきでしょう。なにせ記者会見で記者からナワリヌイについての質問が出ると、プーチン大統領は、「あの男」のような表現を使い、決してナワリヌイという固有名詞を使おうとしないのですから。
このナワリヌイを襲ったのが、2020年8月に起きた暗殺事件です。シベリアからモスクワに向かう旅客機の中で、突然ナワリヌイは苦しみ出します。驚いたパイロットは緊急着陸を決断。ロシア中南部の都市オムスクに緊急着陸して、彼は入院します。

ユリア夫人やスタッフが病院に付き添いますが、病院のスタッフや警察官によって阻止され、病室に近づけません。この様子が、すべてカメラ(おそらくスマホ)によって記録されています。
緊急搬送された病院に、なぜすぐに警察官が配備されたのか、この時点では理解できなかったのですが、やがて謎が解けます。ナワリヌイを暗殺しようとしていたFSB(連邦保安庁)の工作員たちが、飛行機に乗り合わせていたのです。彼らはすぐにFSBに連絡して、オムスクの警察官たちが緊急動員されたのでしょう。
このままでは殺されてしまう。ナワリヌイの夫人やスタッフはドイツに助けを求め、ドイツに緊急搬送されます。ドイツの病院で精密検査を受けた結果、旧ソ連軍が開発した毒薬「ノビチョク」が使われていたことがわかります。旧ソ連軍が開発した毒薬ですから、一般人が入手できるはずはありません。「ロシア政府が暗殺しようとした」と自供しているようなものです。そして、そんなことを命令できるのは、ロシア国内にはたったひとりしかいません。プーチン大統領です。
真相を突き止めるべく行った大胆な行動

ナワリヌイは、ドイツの病院での治療の結果、一命をとりとめると、今度は自分を暗殺しようとしたのは何者なのかの調査を開始します。
ここで協力するのが、イギリスに本拠を置く民間の調査機関「ベリングキャット」です。これは「猫に鈴をつける」という意味で、イソップ童話から来ています。猫に脅かされているネズミたちが相談した結果、「猫に鈴をつければ、猫の接近を事前に知ることができる。猫に鈴をつけよう」と衆議一致するのですが、誰も名乗り出る者がいなかった、というオチの話です。そこで、「自分たちで危険な相手を突き止めよう」という趣旨で結成されました。
彼らの調査の結果、ナワリヌイを尾行していた工作員たちの氏名と電話番号が判明。ロシア国内には、こうした情報を買うことができる闇市場が存在しているのです。

ナワリヌイは、大胆にも彼らに次々に電話をかけ、遂には関係者を装って、工作員のひとりから犯行方法を聞き出すことに成功します。なんとナワリヌイがシベリアのホテルに宿泊中、彼のパンツにノビチョクを塗布し、体温で溶け出して皮膚から吸収するように仕掛けていたのです。
さらに工作員は、オムスクの病院で、ナワリヌイが穿いていたパンツとズボンに付着していたノビチョクを洗い流して証拠を隠滅したことまで喋ってしまいます。ナワリヌイが、この様子を暴露した後、電話で喋った工作員は消息を絶ってしまうのですが。恐ろしい国です。

自分が暗殺されそうになったのに、ナワリヌイはロシアに戻ります。逮捕されることがわかっているのに敢えて帰国し、プーチン政権打倒を主張し続けようとするのです。
ナワリヌイが逮捕された1年後、プーチン大統領はウクライナへの軍事侵攻を命じます。ナワリヌイの戦いは、プーチンがいかに危険な人物かを私たちに教えてくれています。いまこそ必見の映画です。
掲載写真:『ナワリヌイ』
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『ナワリヌイ』
6月17日(金)新宿ピカデリー、渋谷シネクイント、シネ・リーブル池袋ほかロードショー
監督:ダニエル・ロアー
出演:アレクセイ・ナワリヌイ/ユリヤ・ナワリヌイ/マリア・ペヴチク/クリスト・グロゼフ/レオニード・ボルコフほか
プロフィール
池上 彰(いけがみ・あきら)
1950年長野県生まれ。ジャーナリスト、名城大学教授。慶應義塾大学経済学部卒業後、NHK入局。記者やキャスターをへて、2005年に退職。以後、フリーランスのジャーナリストとして各種メディアで活躍するほか、東京工業大学などの大学教授を歴任。著書は『伝える力』『世界を変えた10冊の本』など多数。