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池上彰の 映画で世界がわかる!

『バビ・ヤール』―1941年、ウクライナで起きたユダヤ人虐殺事件

毎月連載

第52回

ロシアによるウクライナへの軍事侵攻をきっかけに、ウクライナの悲しい歴史が知られるようになりました。

たとえば「ホロドモール」です。これはウクライナ語で「飢饉」と「絶滅」の合成語。ウクライナではソ連支配時代の1932年から33年にかけて、大規模な飢餓が発生し、数百万人の犠牲者が出ました。ソ連式の集団農場化に抵抗したウクライナの農民に対する独裁者スターリンによる弾圧とされています。

ウクライナの国旗は、青空の下に広がる小麦畑をイメージしています。それだけ肥沃な大地に恵まれていたにもかかわらず、悲惨な飢餓が襲ったのです。

そして今度は軍事侵攻です。今年4月、ロシア軍がウクライナ南部の港町マリウポリを攻撃した際、マリウポリ近くの共同墓地に新しい墓が掘られている様子が衛星写真で確認されました。ウクライナはここに数千人の民間人が埋められたとして、ロシアの「戦争犯罪」を強く非難しました。

マリウポリの市長は声明で、「21世紀最大の戦争犯罪がマリウポリで行われた。これは新しいバビ・ヤールだ」と批判しています。「バビ・ヤール」とは何か。これは、ウクライナの首都キーウ(キエフ)郊外にあるバビ・ヤール渓谷で、第二次世界大戦中の1941年、ナチス・ドイツ軍によって多数のユダヤ人が虐殺された場所のことです。

ここで何があったのか。ウクライナの映画監督セルゲイ・ロズニツァは、ドイツやロシア、ウクライナに残る記録映像を再編集することで、この虐殺事件に焦点を当てました。

1941年6月、独ソ不可侵条約を破棄してドイツ軍はソ連に侵攻しました。真っ先にドイツ軍の犠牲になったのがウクライナです。

映像は、ドイツ軍によって捕虜となったソ連軍兵士の姿を映し出しますが、それに続くシーンは衝撃的です。ドイツ軍の戦車を歓呼の声で出迎えるウクライナ市民の姿があるのです。ドイツ軍の戦車に花束を渡す女性たちも。

当時のウクライナは、ソ連に組み込まれたことにより、人々は圧政に苦しんでいました。そこにやってきたドイツ軍を「解放軍」と受け止めて歓迎した人たちがいたのです。

とりわけウクライナ民族主義者たちは、ナチス・ドイツに協力。ソ連軍と戦ったのです。

ロシアのプーチン大統領が「ウクライナのネオナチ」とウクライナ政府を非難するのは、現在のウクライナ政府が、当時のソ連に対する抵抗運動を肯定的に評価しているからです。

当時のウクライナでは、もちろんソ連軍の兵士として戦ったウクライナ人もいました。ウクライナ人同士が殺し合うという悲劇があったのです。

そして1941年9月、ドイツ軍占領下のキーウで大規模な爆発が起きます。これはソ連の秘密警察がキーウを撤退する際に仕掛けておいた爆弾だったのですが、ナチス・ドイツはユダヤ人の仕業と決めつけ、一気にユダヤ人を絶滅させようとします。ユダヤ人たちはバビ・ヤールの渓谷に連行され、実に3万3771人のユダヤ人が射殺されました。

このときナチス・ドイツに協力したウクライナ国民もいました。民族主義者たちはユダヤ人を嫌っていたからです。

ソ連軍がドイツ軍を撃退してウクライナを解放した後、ソ連政府は捕虜にしたドイツ兵を裁判にかけ、公開処刑しましたが、事件そのものは、大きく報道されることはありませんでした。当時のソ連でも反ユダヤ主義が蔓延していて、ユダヤ人虐殺事件を非難しようとはしなかったからです。

こうしてウクライナでのユダヤ人虐殺は、世界に知られることはありませんでした。ソ連が崩壊し、ウクライナが独立を果たしてから、追悼施設が建設されたのです。

今年3月、ロシア軍はキーウ近郊のテレビ塔を砲撃して破壊しましたが、その隣がバビ・ヤールでのホロコーストの記念館でした。

掲載写真:『バビ・ヤール』
(C)Ex Nihilo - Opera national de Paris - Fondation Rudolf Noureev - 2021

『バビ・ヤール』

9月24日(土)よりシアター・イメージフォーラム他全国劇場公開

監督・脚本:セルゲイ・ロズニツァ

プロフィール

池上 彰(いけがみ・あきら)

1950年長野県生まれ。ジャーナリスト、名城大学教授。慶應義塾大学経済学部卒業後、NHK入局。記者やキャスターをへて、2005年に退職。以後、フリーランスのジャーナリストとして各種メディアで活躍するほか、東京工業大学などの大学教授を歴任。著書は『伝える力』『世界を変えた10冊の本』など多数。