池上彰の 映画で世界がわかる!
『ぼくたちの哲学教室』──「平和の壁」に分断された街・ベルファストで行われる小学生と校長先生の“対話”の授業
毎月連載
第60回

小学生に哲学の授業をしている校長の活動を記録したドキュメンタリー映画です。小学生に哲学の授業ができるものなのでしょうか。
舞台となっている小学校は、北アイルランドのカトリック地区にあります。北アイルランドは、かつてイギリスがアイルランドを支配していた名残です。アイルランドは多大な犠牲を払って独立戦争を戦い、イギリスから独立を果たしましたが、アイルランド北部にはイギリスの支配時代にイギリス本土から多くのプロテスタントが移住していたために、イギリスに留まることになりました。それが、「北アイルランド問題」を引き起こします。カトリックの過激派「IRA」(アイルランド共和軍)は武力でアイルランドとの統一を求め、武力闘争を始めます。

北アイルランドの警察力だけでは手に負えなくなったイギリス政府はイギリス軍を派遣。激しい戦闘となります。
さらに、IRAの武力闘争に反発したプロテスタントの過激派は“アルスター義勇軍”を組織し、IRAのメンバーを襲撃します。“アルスター”とは、イギリスから見た北アイルランドのことです。
紛争は1970年代に激化し、IRAはロンドンでも爆弾テロを展開し、サッチャー首相ですら暗殺されそうになりました。
1998年の“ベルファスト合意”により、とりあえずの停戦が実現しましたが、北アイルランドの中心都市ベルファストに行くと、カトリックの居住地とプロテスタントの居住地の間に壁を建設して双方が往来できないようにしたことで、和平が維持されています。「平和の壁」という皮肉な名前がつけられています。

映画は、当時の激しい衝突の映像を交え、この小学校がどんな場所にあるかを示しています。高い壁で遮られているのか守られているのか。高い壁の横に、この学校はあります。
カトリック地区には貧困な家庭が多く、薬物の乱用が問題になり、犯罪も多発しています。そんな地域に、子どもたちは暮らしています。
その地区の小学校の校長先生が採用したのが、“ソクラテスの対話法”。子どもたちに次々に質問を投げかけ、自分の頭で考えるように仕向けて解決策を探ります。世の中には答えが見つからない問題も多数あります。どこかにある正解を探すのではなく、自分で答えを見いだすのです。

たとえば喧嘩をした級友を呼んで、校長先生は、「君たちは友達ではないのか?」などと質問を投げかけ、最終的にふたりに仲直りをさせる手法が紹介されます。
ただし、これで一件落着とはなりません。子どもたちのことですから、再び喧嘩になるのです。

また、子どもたちに「暴力はいけない」と教えていても、家で父親に「やられたら、やり返せ」と言われてしまう子どもに、校長は何と声をかけるのでしょうか。

2年間にわたるドキュメンタリーの撮影の最中にコロナ禍が発生。学校は休校を余儀なくされます。
どんな局面にもめげることなく子どもたちと向き合う校長と副校長の姿勢は、教育の可能性を教えてくれます。
掲載写真:『ぼくたちの哲学教室』
(C)Soilsiu Films, Aisling Productions, Clin d?oeil films, Zadig Productions,MMXXI

『ぼくたちの哲学教室』
2023年5月27日(土)公開
監督:ナーサ・ニ・キアナン/デクラン・マッグラ
出演:ケヴィン・マカリーヴィーとホーリークロス男子小学校の子どもたち
プロフィール
池上 彰(いけがみ・あきら)
1950年長野県生まれ。ジャーナリスト、名城大学教授。慶應義塾大学経済学部卒業後、NHK入局。記者やキャスターをへて、2005年に退職。以後、フリーランスのジャーナリストとして各種メディアで活躍するほか、東京工業大学などの大学教授を歴任。著書は『伝える力』『世界を変えた10冊の本』など多数。