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池上彰の 映画で世界がわかる!

『6月0日 アイヒマンが処刑された日』──知られざるナチス戦犯・アイヒマンの最期の舞台裏

毎月連載

第63回

アイヒマンといえば、イスラエルで処刑された元ナチスの将校のこと。ナチスドイツとイスラエルの現代史では必ず登場する人物です。

第二次世界大戦中、ヨーロッパを占領したドイツのヒトラーは、占領下のユダヤ人に関し、「ユダヤ人問題の最終的解決」を指示します。要はユダヤ人を皆殺しにしろという命令でした。この命令により、ユダヤ人600万人が強制収容所で虐殺されるのです。

強制収容所は各地に作られますが、有名なのはポーランドに設置されたアウシュヴィッツ収容所。アイヒマンは、多数のユダヤ人をこの収容所に送り込む責任者でした。

ドイツが敗北すると、アイヒマンはドイツを占領したアメリカ軍によって逮捕されますが、隙を見て逃げ出し、偽名を使って南米のアルゼンチンに逃亡。潜伏生活を送ります。

しかし、イスラエル政府はユダヤ人虐殺に関わった元ナチスへの追及の手を緩めず、アルゼンチンにモサド(諜報特務庁)の要員を送り込み、長期にわたる捜査によってアイヒマンの居所を突き止めて拉致。1960年、極秘のうちにイスラエルに連行します。

この行為はアルゼンチンの主権を犯すことでしたから、イスラエルの首相がアイヒマンの拉致・連行を発表すると、一大センセーションを引き起こします。

アイヒマンは人道に対する罪や戦争犯罪の罪で起訴され、1961年4月から始まった裁判は国際的に注目されます。

経歴からして、どんな極悪人かと注目されましたが、本人は「命令を実行しただけだ」と弁解。その小役人ぶりに世界は戸惑います。

裁判を傍聴したニューヨークの大学教授だった哲学者のハンナ・アーレントは、アイヒマンについて“悪の凡庸さ”を見出します。平凡な人間が思考停止によって悪を実行するものだと指摘したのです。

しかし、アーレントの指摘はイスラエルや世界のユダヤ人たちからは猛反発を受けます。アイヒマンは、ナチスドイツによる犯罪を象徴する人物になっていたからです。

結局、同年12月にアイヒマンに死刑が言い渡され、翌年6月1日未明に処刑されます。

イスラエルでは死刑が言い渡されるのは極めて凶悪な犯罪に関してだけです。このため「死刑を行使する唯一の時間」の定めがあり、これに該当する1962年5月31日から6月1日の真夜中に執行されました。これが「6月0日」というタイトルの所以です。

しかし、問題は遺体の処理でした。イスラエルの国民の大多数はユダヤ教徒のユダヤ人かイスラム教徒のアラブ人。どちらも土葬にしなければなりません。しかしイスラエル政府は、アイヒマンを土葬にして墓ができると、反ユダヤ主義者にとっての聖地になりかねないと危惧します。

そこで絞首刑にした後、遺体を火葬することにしたのです。でも、イスラエルに火葬場はありません。そこで焼却炉が作られることになります。このとき何があったのか。この映画は、知られざる歴史を発掘し、13歳の少年の目を通してアイヒマンの最期の舞台裏を描きます。

かつてアウシュヴィッツに収容されていたユダヤ人たちは焼却炉で灰にされました。今度はアイヒマンを灰にするのです。ユダヤ人たちの怨念が、いまもこうした映画となるのです。

掲載写真:『6月0日 アイヒマンが処刑された日』
(C)THE OVEN FILM PRODUCTION LIMITED PARTERNSHIP

『6月0日 アイヒマンが処刑された日』

9月8日(金)公開

監督:ジェイク・パルトロウ
脚本:ジェイク・パルトロウ、トム・ショバル
撮影監督:ヤロン・シャーフ
美術:イータン・レヴィ
編集:アイェット・ギル・エフラット
衣装:インバル・シュキ
ヘアメイク:リナト・アロニー
オリジナルスコア:アリエル・マルクス
音響:アヴィヴ・アルダマ
製作:デヴィッド・シルバー、ミランダ・ベイリー、オーレン・ムーヴァーマン

プロフィール

池上 彰(いけがみ・あきら)

1950年長野県生まれ。ジャーナリスト、名城大学教授。慶應義塾大学経済学部卒業後、NHK入局。記者やキャスターをへて、2005年に退職。以後、フリーランスのジャーナリストとして各種メディアで活躍するほか、東京工業大学などの大学教授を歴任。著書は『伝える力』『世界を変えた10冊の本』など多数。