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池上彰の 映画で世界がわかる!

『ミセス・クルナス vs. ジョージ・W・ブッシュ』──この映画を理解するために知るべきグアンタナモ基地の存在

毎月連載

第71回

映画の題名は、ドイツに住むトルコ移民の母親がアメリカ合衆国を訴えたという意味です。アメリカの司法制度では、政府を訴えた場合、そのときの大統領との間の訴訟という形式をとるからです。

映画は実話が元になっています。2001年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロの1か月後。ドイツのブレーメンに暮らすトルコ移民のクルナス一家の長男が、旅行先のパキスタンでイスラム原理組織タリバンのメンバーの嫌疑をかけられて拘束され、米軍に引き渡されます。米軍は、彼をキューバのグアンタナモ基地に移送。逮捕状もないまま長期間拘束されてしまいます。

法律の仕組みも知らず、ただただ母親として息子の無実を信じる母ラビエは、ドイツ国内で息子の解放のために奔走しますが、事態は動きません。途方に暮れたラビエは、電話帳で見つけた人権派弁護士ベルンハルトに助けを求めます。

ところが長男はドイツの国籍を取得せず、トルコ国籍のままでした。ドイツ政府は他国民を救出することは無理だと拒否。一方、トルコ政府は「ドイツ政府の責任だ」と言うばかり。両国の狭間で、どうすれば救出ができるのか。

そこでベルンハルトが出したアイデアが、「アメリカ合衆国を訴えよう」というものだったのです。

この映画を理解するためには、米軍のグアンタナモ基地の存在を知る必要があります。反米国家のキューバに、なぜか米軍基地が存在するのです。

もともとキューバはスペインの植民地でしたが、米西戦争(アメリカとスペインの戦争)の結果によって、独立を達成します。このときキューバの独立を支援したアメリカは、見返りにキューバ国内に米軍基地を置くことを認めさせます。

その後、キューバはカストロによる革命で社会主義国となり、アメリカと対立することになりますが、アメリカは米軍基地を維持し続けているのです。

では、なぜここにタリバンの疑いがかけられた人間が収容されたのか。当時のブッシュ政権は、同時多発テロを起こしたオサマ・ビンラディンの行方を突き止めようと、ビンラディンを匿っていたタリバンのメンバーを次々に拘束します。

しかし問題は、彼らの法的地位でした。もし犯罪者として逮捕したのであれば、アメリカに連行して裁判にかけなければなりません。そうなるとアメリカの司法制度の下で弁護士がつきます。拷問などできません。

そこでブッシュ政権は、グアンタナモ基地に連行し、「ここは米国内ではないからアメリカの法律は適用されない」という理屈を考えだします。ここで長期に渡って多数の“容疑者”を拘束して尋問。拷問までしたのです。

ただし、最近の拷問は容疑者の身体に証拠が残るようなことはしません。24時間明るい部屋に閉じ込め、大音量の音楽をかけて精神的に追い詰めたり、逆さづりにして頭を水につけて呼吸ができないようにしたりするのです。グアンタナモ基地は無法地帯になっていたのです。

こんな状況の中で、子どものことを一心に思い続けるラビエの願いは叶うのでしょうか。

ラビエはもちろん悲劇のヒロインのはずですが、実は天真爛漫。コーラが大好きで、スピード狂でベンツのオープンカーを乗り回すなど、どうもヒロインらしくないのですが、そんな彼女をドイツの人気コメディアンが見事に演じます。

深刻な中にも奇妙なユーモアがあり、それが一転して悲劇になり、再び喜劇に転じます。

結局は「母は強し」ということになるのですが、いまもグアンタナモ基地に収容されている“容疑者”たちが存在しているのです。

掲載写真:『ミセス・クルナス vs. ジョージ・W・ブッシュ』
(C)2022 Pandora Film Produktion GmbH, Iskremas Filmproduktion GmbH, Cinema Defacto, Norddeutscher Rundfunk, Arte France Cinema

『ミセス・クルナス vs. ジョージ・W・ブッシュ』
5月3日(金)公開
監督:アンドレアス・ドレーゼン
脚本:ライラ・シュティーラー
出演:メルテム・カプタン/アレクサンダー・シェアー
配給:ザジフィルムズ
後援:ゲーテ・インスティトゥート東京

プロフィール

池上 彰(いけがみ・あきら)

1950年長野県生まれ。ジャーナリスト、名城大学教授。慶應義塾大学経済学部卒業後、NHK入局。記者やキャスターをへて、2005年に退職。以後、フリーランスのジャーナリストとして各種メディアで活躍するほか、東京工業大学などの大学教授を歴任。著書は『伝える力』『世界を変えた10冊の本』など多数。