池上彰の 映画で世界がわかる!
『夜の外側 イタリアを震撼させた55日間』──東西冷戦のさなかに起きた元首相誘拐事件
毎月連載
第74回
1978年3月、戦後30年にわたりイタリアの政権を握ってきたキリスト教民主党の党首で5度の首相経験を持つアルド・モーロが、極左武装グループ「赤い旅団」に誘拐されました。世界に衝撃を与えたこの事件の内幕はどうなっていたのか。一部フィクションを交えながらも克明に描いています。
「赤い旅団」などと聞いても、何のことと思う人が多いでしょう。でも、「旅団」とは軍隊用語。軍団だと思えば、「赤い軍団」つまり「赤軍」とほぼ同じような名称です。となると、日本にも「赤軍」という組織がありましたでしょう。1968年から日本の各大学の学生自治会は、「安保反対」「ベトナム戦争反対」などの政治的スローガンを掲げて、次々にストライキに突入しました。
その学園闘争(学園紛争)の中から過激派組織がメンバーを獲得して成長します。当時は学生運動が盛り上がり、「ベトナム戦争反対」の集会には、常に数万人が集まる勢いでした。このため「革命は近い」と考える過激派が生まれ、「すぐに世界同時革命を」と主張する分派が生まれます。それが「赤軍派」です。
赤軍派は、世界同時革命を実現させるには世界各地に革命の拠点を作らなければならないと考えます。こうして赤軍派の一部は日航機「よど号」を乗っ取って北朝鮮に向かいました。しかし、その後の連絡が途絶えてしまいます。そこで残されたメンバーは反イスラエルの戦いを続けているパレスチナの組織に連帯を示そうと、1972年、テルアビブ銃乱射事件を引き起こし、空港にいた26人の民間人を無差別に殺害したのです。彼らは、中東で「日本赤軍」を名乗ります。
こうしてみると、イタリアで「赤い旅団」が引き起こした数々のテロ事件も、当時の世界情勢の中では、決して異質な事件ではなかったことがわかります。「赤い旅団」は、主観的にはイタリアで武力革命を引き起こそうとしていたのです。
そのためには社会にインパクトを与える必要がある。しかし現職の首相を狙うのはハードルが高すぎる。そこで元首相の誘拐を計画。モーロ(当時の日本のメディアはモロと表記)元首相を路上で誘拐します。警護員は5人いましたが、いずれも現場で射殺されてしまいました。その上で「赤い旅団」は、過去に逮捕されている仲間の釈放を要求。要求に応じなければ元首相を殺害すると脅迫したのです。
日本でも1977年に日本赤軍が日航機を再び乗っ取り、バングラデシュのダッカに着陸させて仲間の釈放を要求しました。この要求に対して、当時の福田赳夫首相は、「ひとりの生命は地球より重い」と述べて、身代金の支払いと仲間の釈放に応じたのです。これは当時、「テロリストに屈した」と世界各国から非難を浴びます。
その翌年に起きたモーロ元首相誘拐事件。「赤い旅団」の要求にどう対応すべきか。内閣の緊迫した様子が活写されます。
最終的にジュリオ・アンドレオッティ首相は「赤い旅団」の要求を拒絶します。これは、「テロには屈しない」「テロリストの要求は受け入れない」という世界のスタンダードの対応でしたが。モーロ元首相とアンドレオッティ首相はライバルであり、犬猿の仲。ライバルを消すのに絶好のチャンスと考えた首相が、「赤い旅団」の要求を拒否したのではないかという疑惑が生まれるのです。
映画は、大学生たちの抗議行動の様子も紹介します。東西冷戦のさなかに起きた誘拐事件。当時の空気感を少しでも味わってもらえれば。
掲載写真:『夜の外側 イタリアを震撼させた55日間』
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『夜の外側 イタリアを震撼させた55日間』
8月9日(金)公開
監督・原案・脚本:マルコ・ベロッキオ
原案:ジョヴァンニ・ビアンコーニ、ニコラ・ルズアルディ
原案・脚本:ステファノ・ビセス 脚本:ルドヴィカ・ランポルディ、ダヴィデ・セリーノ
出演:ファブリツィオ・ジフーニ、マルゲリータ・ブイ、トニ・セルヴィッロ、ファウスト・ルッソ・アレジ、ダニエーラ・マッラ
プロフィール
池上 彰(いけがみ・あきら)
1950年長野県生まれ。ジャーナリスト、名城大学教授。慶應義塾大学経済学部卒業後、NHK入局。記者やキャスターをへて、2005年に退職。以後、フリーランスのジャーナリストとして各種メディアで活躍するほか、東京工業大学などの大学教授を歴任。著書は『伝える力』『世界を変えた10冊の本』など多数。