池上彰の 映画で世界がわかる!
『占領都市』──なぜ欧米諸国の政治家たちはパレスチナ問題に声を上げないのか?
毎月連載
第78回
『占領都市』
イスラエルによるガザへの攻撃やレバノンのヒズボラに対する攻撃に、なぜ欧米諸国の政治家たちは声を上げないのか。
第二次世界大戦中、欧州諸国で多数のユダヤ人たちが迫害され、殺害されたことを知っているからです。彼らを助けることができなかった、あるいは自国の政治家や官僚組織がナチスに協力してユダヤ人狩りを手伝ったことを記憶し、ユダヤ人たちに贖罪意識を持っているからです。
それはオランダも同じこと。オランダのアムステルダムといえば、アンネ・フランクが家族と共に隠れていた場所としても知られています。アムステルダムに隠れていたのはアンネ・フランクだけではなかったことを、この映画は気づかせてくれます。
街の中心を運河が流れ、「飾り窓」があることでも知られるアムステルダムは欧州有数の観光地です。
しかし、ここは第二次世界大戦中の1940年5月から5年間、ナチス・ドイツの占領下に置かれました。強制収容所に送られたユダヤ人は10万7000人。そのうちの10万2000人が収容所で処刑されました。
ユダヤ人ばかりではありません。ユダヤ人を助けようとしたオランダ人も逮捕・処刑されています。
さらに定住の習慣を持たない少数民族のロマ人も収容所に送られて処刑されています。
ところが、いまのアムステルダムでは、そのような過去の暗い歴史を見ることが難しくなっています。そこで英国出身の映画監督スティーヴ・マックイーンは、歴史家の妻ビアンカ・スティグターが2019年に著した「占領された都市の地図」(原題は「Atlas of an Occupied City (Amsterdam 1940-1945)」)を元にして、4時間11分の大作ドキュメンタリーを完成させたのです。
あまりに長編なので、途中に15分間の休憩時間があります。トイレタイムですね。
過去の歴史を描く場合、よくあるのは当時の映像を流したり、経験者の回想を紹介したりするものですが、この映画では、そのようなシーンは出てきません。
その代わり、新型コロナ対策のためにロックダウンされた都市の様子や、ロックダウンに抗議して集会を開き、警官隊によって解散させられる街の光景が映し出されます。
いまは民主化されたオランダですが、コロナ禍に対処するという政府の方針が、ナチス・ドイツによって占領され、自由が失われた過去と二重写しになっています。
また、運河を中心とした美しいアムステルダムの130か所にも及ぶ場所が描かれますが、これらがどのような場所だったかが、ナレーションによって明らかにされます。
人々の記憶は薄れがちになるけれど、街には街の記憶が残っているのだということを私たちに教えてくれます。
美しいレンガ造りの街並み、賑やかにはしゃぐ子どもたちの姿。そこには、しかし忌まわしい過去の亡霊が潜んでいるのです。
オランダが解放されたとき、オランダの植民地だったインドネシアからの留学生の声も紹介されます。オランダはドイツに対しては被害者でしたが、インドネシアに対しては加害者であったのです。
そのインドネシアで、オランダ軍は日本軍と戦い、多くの犠牲者を出しました。戦後長らくオランダには反日意識が残っていたのです。
このように、いまもナチスの蛮行とユダヤ人の苦難の歴史の映画が作られ続けていることが、世界の首脳たちがイスラエル軍のパレスチナでの振る舞いに及び腰になる背景となっている。そんなことも考えてしまいます。
掲載写真:『占領都市』
(C)2023 De Bezette Stad BV and Occupied City Ltd. All Rights Reserved.
『占領都市』
12月27日(金)ヒューマントラストシネマ渋谷&有楽町ほか全国ロードショー
監督:スティーヴ・マックイーン(『それでも夜は明ける』)
原作:ビアンカ・スティグター「Atlas of an Occupied City (Amsterdam 1940-1945)」
提供:TBSテレビ 配給:トランスフォーマー、TBSテレビ
プロフィール
池上 彰(いけがみ・あきら)
1950年長野県生まれ。ジャーナリスト、名城大学教授。慶應義塾大学経済学部卒業後、NHK入局。記者やキャスターをへて、2005年に退職。以後、フリーランスのジャーナリストとして各種メディアで活躍するほか、東京工業大学などの大学教授を歴任。著書は『伝える力』『世界を変えた10冊の本』など多数。