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池上彰の 映画で世界がわかる!

『TATAMI』──試合で勝ち進めば進むほど高まる政府の圧力。その背景にあるイランとイスラエルとの敵対関係

毎月連載

第80回

『TATAMI』

原題のタタミとは畳のこと。柔道場を意味します。舞台はジョージア(旧グルジア)の首都トビリシ。ここで開催中の女子の国際柔道大会で快進撃を続けるイラン選手のレイラ・ホセイニと、それを指導する監督のマルヤム・ガンバリに、イラン柔道協会会長から思わぬ電話が入ります。「試合を棄権しろ」という指示でした。それに従わないでいると、やがて脅迫に発展します。

イランはイスラム教シーア派の政教一致国家。イスラム法学者の最高指導者ハメネイ師が国家の頂点に立ち、国民は彼の指示・命令に従わなければなりません。国民の直接選挙で選ばれる大統領はいるのですが、大統領も最高指導者の下に位置します。

『TATAMI』

イランはイスラエルを目の敵にしています。イスラエルと闘うガザ地区のハマスを支援するばかりでなく、イスラエルの北隣のレバノンにいるヒズボラも支援しています。

一方のイスラエルも、ハマスの指導者をイラン訪問中に暗殺したり、レバノンのベイルートに潜伏していたヒズボラの最高指導者を空爆で殺害したりしてきました。

これに激怒したイランはイスラエルにミサイル攻撃。イスラエルも報復するなど、イランとイスラエルが敵対関係にあることは、すっかり知られるようになりました。

イランとしては、イスラム教の聖地であるエルサレムをイスラエルが占領していることが許せないのです。

『TATAMI』

そこでイランは、自国の選手が国際大会でイスラエルと対戦することを認めていません。そもそもイスラエルを国家として認めていないからですが、万が一対戦してイスラエルに負けでもしたら国家のメンツ丸つぶれということでもあるのでしょう。

この映画自体はフィクションで、女子柔道に60キロ級は存在しません。しかし実話に触発されて制作されました。事件が起きたのは2019年に日本武道館で行われた世界柔道選手権です。

イランの男子柔道選手、サイード・モラエイは、敵対するイスラエルの選手との試合を棄権するようにイラン政府に圧力をかけられたのです。

『TATAMI』

大会でモラエイはイスラエル選手が決勝進出を決めた直後の準決勝で敗れると、勝てばイスラエル選手と同じ表彰台に立たなければならない3位決定戦でも敗れて5位に終わりました。

ところが、モラエイは大会後、イランオリンピック委員会会長とスポーツ大臣から試合中に棄権を強要されたことを明らかにします。棄権しなければ家族の身に危険が及ぶと脅迫されていたのです。

イラン政府からの脅迫を暴露したモラエイはイランに帰国できず、ドイツに難民申請し、以後は国際大会に難民選手団の一員として参加するようになります。

『TATAMI』

本作品では、舞台の設定が女子柔道に変えられましたが、イラン政府が選手や監督にどのように圧力をかけるものなのかをリアルに描いています。レイラが試合で勝ち進めば進むほど、イラン政府の圧力は強まります。イランにいる家族にも危機が迫ります。レイラは、試合のプレッシャーと政府の圧力の中で戦い続けなければならないのです。畳の上での緊迫した試合が展開されます。

この作品の画期的なところは、イランとイスラエルの監督による合作だということです。

もちろん、このような映画を制作したり出演したりしたイランの人たちは祖国に戻ることができなくなることを覚悟してのことでした。

そもそもスポーツに政治を持ち込むべきではないのですが、実際には、このような事態が続いています。 国家は対立していても、選手たちはスポーツマンシップにもとづいて正々堂々と戦う。その日が来るのはいつのことなのでしょうか。

掲載写真:『TATAMI』
(C)2023 Judo Production LLC. All Rights Reserved

『TATAMI』

『TATAMI』
2月28日(金)より新宿ピカデリーほか全国順次公開
監督:ガイ・ナッティヴ、ザーラ・アミール 脚本:ガイ・ナッティヴ、エルハム・エルファニ
出演:アリエンヌ・マンディ、ザーラ・アミール、ジェイミー・レイ・ニューマン、ナディーン・マーシ
配給:ミモザフィルムズ

プロフィール

池上 彰(いけがみ・あきら)

1950年長野県生まれ。ジャーナリスト、名城大学教授。慶應義塾大学経済学部卒業後、NHK入局。記者やキャスターをへて、2005年に退職。以後、フリーランスのジャーナリストとして各種メディアで活躍するほか、東京工業大学などの大学教授を歴任。著書は『伝える力』『世界を変えた10冊の本』など多数。