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『木の上の軍隊』──戦後2年間、終戦を知らずに潜伏した日本兵がいた──伊江島“不沈空母”計画から見る沖縄と本土の関係性

毎月連載

第85回

『木の上の軍隊』

太平洋戦争が終わってからも2年間にわたって、戦争が終わったことを知らずに沖縄の木の上で過ごしていた日本兵がいた……。

この実話が映画化されたのが、『木の上の軍隊』です。

太平洋戦争が終わったことを知らずに現地に潜伏していた日本兵としては、グアム島に28年間いた横井庄一さんやフィリピンのルバング島に29年間潜伏していた小野田寛郎さんが有名ですが、沖縄本島の北西部に位置する伊江島でも、戦争終結を知らずに2年間を過ごした日本兵がいたのです。

『木の上の軍隊』

この話を聞いた作家の井上ひさしさんが原案を作り、井上さんの娘が代表を務める劇団「こまつ座」が上演してきました。これが、戦後80年経った今年、映画化されたのです。

映画は、沖縄への米軍の上陸を迎え撃つため日本軍の飛行場を建設するシーンから始まります。伊江島を“不沈空母”にするという構想が語られます。

しかし、米軍の空襲で建設はストップ。さらに1945年4月、米軍が伊江島にも上陸し、激しい戦闘が繰り広げられますが、物資に乏しく大した武器もない日本軍は壊滅的な被害を受けます。

『木の上の軍隊』

米軍上陸前、女性たちが竹槍で米軍に見立てた案山子に突撃する訓練が行われていたのですから、勝負になりません。

沖縄県史によると、伊江島での日本側の死者は兵士と民間人合わせて4794人に上ります。

ちなみに、このとき建設されていた飛行場は、現在は米軍の飛行場として使われています。

映画では本土から派遣された軍国主義に凝り固まった少尉(堤真一)と、沖縄の地元で召集された新兵(山田裕貴)のふたりが、米軍に追われ、ガジュマルの木の上に身を潜め、援軍が来るのを待ちます。

『木の上の軍隊』

しかし、実際には6月に沖縄の地上戦は終わっていました。その後、伊江島には米軍の演習場が作られ、米軍の射撃訓練などが行われたので、米軍の射撃の音を聞いていたふたりが「戦争が続いている」と誤解したのも無理はないでしょう。

ふたりは、昼間はガジュマルの上で過ごし、夜になると地上に降りて水や食料を探し回ります。その悲惨で涙ぐましくも可笑しい行動の数々とふたりだけの日々。本土から派遣された上官と現地で召集された新兵とは、考え方も違い、しばしば対立しますが、生き延びるためには別れるわけにいきません。ここに本土の人間と沖縄の人との違いが投影されます。

『木の上の軍隊』

今年6月17日付の毎日新聞によると、撮影の過程で、日本兵20人の遺骨と遺品が見つかったといいます。沖縄戦で亡くなった大勢の人たちの遺骨は、まだまだ見つかっていないものが多数あることがわかります。

この映画は沖縄では沖縄戦が終結した6月に先行上映され、本土では7月25日から上映されます。沖縄と本土では、映画の印象は異なったものになるのでしょうか。

掲載写真:『木の上の軍隊』
(C)2025「木の上の軍隊」製作委員会

『木の上の軍隊』
沖縄先行公開中/7 月25 日(金)新宿ピカデリー他全国ロードショー
監督・脚本:平 一紘
出演:堤 真一/山田裕貴/津波⻯斗/玉代㔟圭司/尚玄/岸本尚泰/城間やよい/川田広樹(ガレッジセール)/山⻄ 惇

プロフィール

池上 彰(いけがみ・あきら)

1950年長野県生まれ。ジャーナリスト、名城大学教授。慶應義塾大学経済学部卒業後、NHK入局。記者やキャスターをへて、2005年に退職。以後、フリーランスのジャーナリストとして各種メディアで活躍するほか、東京科学大学などの大学教授を歴任。著書は『伝える力』『世界を変えた10冊の本』など多数。