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『大統領暗殺裁判 16日間の真実』──韓国の軍事独裁政権下で起こった衝撃的事件
毎月連載
第86回

『大統領暗殺裁判 16日間の真実』
1979年10月26日、韓国の朴正煕(パク・チョンヒ)大統領が、宴会の席で当時ナンバー2の実力者だったKCIA(韓国中央情報部)の金載圭(キム・ジェギュ)部長によって暗殺されるという衝撃的な事件が起きました。
ちなみに殺害された朴正煕の娘が、その後、大統領になる朴槿恵(パク・クネ)です。
そもそもクーデターで権力を握った朴正煕大統領は、長期独裁政権を維持し、金KCIA部長を使って反政府の学生運動を容赦なく弾圧していました。
その金KCIA部長が、なぜ朴大統領を暗殺したのか。不明な点が多いのですが、日頃から関係が悪化していた上に、学生運動への弾圧が生温いと叱責されたことに切れたという説があります。
この夜も激しく叱責されるや、金部長はいったん席をはずし、随行秘書官の朴興柱(パク・フンジュ)大佐らに対し、「銃声が聞こえたら大統領警護員を射殺せよ」と命じて席に戻り、大統領と警護室長を銃殺したのです。
外に待機していた朴興柱大佐らは、金部長の命令通りに警護員を射殺しました。

この映画は史実をベースにしていますが、フィクションもあり、パク・フンジュ大佐は、映画ではパク・テジュの名前になっています。
パク・テジュを誰が弁護するのか。選ばれたのは、勝つためには手段を選ばない弁護士のチョン・インフでした。映画オリジナルの人物です。
チョンはパクの罪を軽くしようとパクに有利な供述をさせようとしますが、生粋の軍人魂を持つパクは「上官の命令は絶対だ」と主張し続けます。

チョンは軍人だったので、裁判は軍事裁判(軍法会議)にかけられ、控訴は認められません。実際に裁判が始まると、裁判長には頻繁にメモが届けられ、そのメモの指示に従って裁判は進行します。裁判の結果は初めからわかっている茶番劇だったのです。
裁判で被告たちの弁護に当たった弁護士たちは、次々に脅迫を受けて裁判から抜けていきます。チョンも何者かに襲撃を受けるのですが、この過程で、チョンは真の弁護士として成長していきます。
裁判を裏でコントロールしていたのは、事件の合同捜査団のチョン・サンドゥ団長でした。映画では仮名になっていますが、これは全斗煥(チョン・ドファン)のこと。全斗煥は朴正煕亡き後に大統領に就任した人物に実権がないことを利用して権力を振るい、遂にはクーデターを起こしてしまいます。同年12月12日のことでした。これが韓国現代史の「粛軍クーデター」です。

以後、全斗煥は大統領になって軍事独裁を始めます。朴正煕という独裁者が消えても、韓国は独裁政治が続くのです。
全斗煥の独裁政権に反対する市民たちが立ち上がったのが「光州事件」です。この事件も韓国ではたびたび映画化されています。
しかし、こうした過去の出来事が映画化できるのも韓国が民主化されたから。韓国の軍事独裁政権が終わりを告げ、民主化されたのは1987年のことだったのです。

掲載写真:『大統領暗殺裁判 16日間の真実』
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『大統領暗殺裁判 16日間の真実』
8月 22日(金) 公開
監督・脚本:チュ・チャンミン
出演:チョ・ジョンソク/イ・ソンギュン/ユ・ジェミョンほか
プロフィール
池上 彰(いけがみ・あきら)
1950年長野県生まれ。ジャーナリスト、名城大学教授。慶應義塾大学経済学部卒業後、NHK入局。記者やキャスターをへて、2005年に退職。以後、フリーランスのジャーナリストとして各種メディアで活躍するほか、東京科学大学などの大学教授を歴任。著書は『伝える力』『世界を変えた10冊の本』など多数。