池上彰の 映画で世界がわかる!
『種まく旅人~醪のささやき~』──老舗の酒蔵が直面する課題とは
毎月連載
第87回

『種まく旅人~醪のささやき~』
日本酒製造の発酵過程で生まれる醪(もろみ)は、成長する際、やさしい雨音のような音を立てるとか。この映画の副題の「醪のささやき」とは、そんな日本酒を愛する人にだけ聞こえる声なのかもしれません。
「種まく旅人」は日本の第一次産業を応援するシリーズ。シリーズ5作目は、兵庫県淡路島で作られる日本酒の酒蔵が舞台です。日本酒をこよなく愛する農水省の地域調査官・神崎理恵(菊川怜)は、現在の日本酒が抱える課題とその解決策を探るべく、淡路島の「千年一酒造」を訪れます。

老舗の酒蔵が直面する課題とは、後継者問題と老朽化する施設、それに資金不足。さらにはM&A。
抱える問題を詳しく知りたいと、神崎は酒造に泊まり込み、実際に酒造りの手伝いをすることになるのですが……。
日本酒になるコメの種類は、なんといっても山田錦。このコメが、どのようにして日本酒になっていくかを丁寧に紹介するストーリーを追うことで、観る人は日本酒が生きていることを痛感します。なにせ醪がささやいているのですから。
「日本酒オタク」の異名を取る神崎が訪れた千年一酒造では、伝統的な手法を貫こうとする蔵元の松元恒雄(升毅)と、新しい方法を取り入れていこうとする息子の孝之(金子隼也)の意見が対立しています。息子は物心ついたときから「酒蔵を継ぐ5代目」と言われ続けてプレッシャーを感じています。

しかし、それだけではない秘密を持っているように思える孝之。データを重視した酒造りを志向し、ネットでの拡散を目指しているのですが、酒造会社同士の会合にも出席せず、酒の飲み比べにも参加しようとしません。なぜなのか。やがて神崎は、ある出来事をヒントに、その理由を突き止めるのですが、さて、突き止めた秘密は、酒蔵の伝統を維持することに疑問符を投げかけることになってしまいます。

その一方、伝統的な酒づくりには優秀な杜氏が求められますが、この酒造では、大ベテランの杜氏の草野(たかお鷹)が、そろそろ引退を考える年齢に達していたのですが、後継者を育てることはできるのか。
そして男性ばかりの蔵人の中で働く女性蔵人の夏美(清水くるみ)は、「いつか自分の酒を造りたい」という夢を持って働いています。

しかし、施設の老朽化は如何ともしがたく、資金繰りにも苦しむ社長は、M&Aの申し出を検討することになります。M&Aは、後継者不足に悩む中小企業の事業継承の解決策として注目される手法なのですが、果たしてこの場合は、解決策になるのか、どうか。
この酒蔵が抱える課題は、まさに現代の日本酒の酒蔵が多かれ少なかれ抱えています。最近の日本酒は、海外で高く評価されているのですが……。
この映画は、日本酒づくりの醍醐味と魅力、そして課題を一気に味合わせてくれます。その味は苦いのか、ほのかな甘みがあるものなのか。

『種まく旅人~醪のささやき~』
(C)2025「種まく旅人」北川オフィス

『種まく旅人~醪のささやき~』
10月10日(金)公開
監督:篠原哲雄
出演:菊川怜、金子隼也、清水くるみ、朝井大智、山口いづみ、たかお鷹、白石加代子、升毅、永島敏行
プロフィール
池上 彰(いけがみ・あきら)
1950年長野県生まれ。ジャーナリスト、名城大学教授。慶應義塾大学経済学部卒業後、NHK入局。記者やキャスターをへて、2005年に退職。以後、フリーランスのジャーナリストとして各種メディアで活躍するほか、東京科学大学などの大学教授を歴任。著書は『伝える力』『世界を変えた10冊の本』など多数。