池上彰の 映画で世界がわかる!
『ネタニヤフ調書 汚職と戦争』──戦争状態が続いていたのは、現職のイスラエル首相の保身のためだったのではないかという疑惑
毎月連載
第89回
『ネタニヤフ調書 汚職と戦争』
イスラエルがガザのハマスばかりでなく、レバノンのヒズボラやイエメンのフーシ派、さらにイランへの攻撃を繰り返し、戦争状態が続いていたのは、ネタニヤフ首相の保身のためだったのではないかという疑惑を持ってしまう。これは、そんな映画です。
ベンヤミン・ネタニヤフ首相は2019年11月、詐欺および背任、さらに贈収賄の罪で起訴され、2020年5月からエルサレムの裁判所で裁判が始まっています。現職の首相が起訴されるという、イスラエル史上初の出来事です。
ところが、ガザのイスラム組織ハマスがイスラエルに対して奇襲攻撃をかけると、ネタニヤフ首相は、「これは戦争だ」と宣言します。戦争は非常事態。首相が非常事態宣言をすると、裁判はストップ。つまり、イスラエルが戦っている種々の戦闘が終了すると、ネタニヤフ被告の裁判は再開されてしまうのです。
この映画には、警察によるネタニヤフ首相の取り調べの様子が映し出されます。尋問の様子はすべて撮影されていたのです。そんな動画が、映画の制作チームによってもたらされたことによって、この映画が成立しました。
たとえ現職の首相であっても容赦なく取り調べる警察の存在は、イスラエルが民主国家であることの証左でもありますが、尋問を受けることになったネタニヤフ首相は、警察に対して高圧的に罵ります。ふだんニュース映像に登場する人物とは異なる裏の顔が見えるのです。
ネタニヤフ首相の容疑は3件。ひとつは映画プロデューサーやオーストラリアの大富豪から、葉巻やシャンパンなど総額約30万ドル相当の個人的贈り物を受け取り、その見返りとして、映画プロデューサーに有利な税法改正を推進したり、米国ビザの件で便宜を図ったりした罪に問われています。
こうした豪華なプレゼントはネタニヤフ首相のサラ夫人を通じて送られました。取り調べは夫人に対しても行われ、贈り物に弱く、警察に対して居丈高に振舞う夫人の姿がわかります。
映画化に当たって、彼の汚職がいかに国家の腐敗を招いていったのか、元イスラエル首相や国内諜報機関シンベトの元長官、ネタニヤフの元広報担当、著名な国内の調査報道ジャーナリストたちがカメラの前で堂々と証言します。
刑事被告人となった首相が、なぜ政治の表舞台から引きずり降ろされないのか。それは、ユダヤ強硬派や極右政党と組むことで、政権を維持することができるからです。
ユダヤ強硬派や極右勢力の政治家たちは、「イスラエルは神から与えられた土地に建国されたのであり、パレスチナなど認めない」と主張しています。ネタニヤフ首相は、自らの保身のために、こうした極右勢力と組んでいるのです。
この映画は本国では上映禁止、親イスラエルのアメリカでも劇場公開されていません。イスラエルと良好な関係を保ちつつも過度な肩入れをしていない日本だからこそ上映できるというわけです。
人間は、どうして金と権力に弱いのか。イスラエルを奇襲攻撃して多数のイスラエル国民を殺害したハマスは許されませんが、イスラエル軍の攻撃で6万人以上のガザの住民が殺害されたことも心を締め付けます。その背景に、ネタニヤフの汚職裁判があるとしたら……。早く和平が訪れ、ネタニヤフ首相の裁判が再開されることを願います。
『ネタニヤフ調書 汚職と戦争』
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『ネタニヤフ調書 汚職と戦争』
製作総指揮:アレックス・ギブニー
監督・製作:アレクシス・ブルーム
11月8日(土)シアター・イメージフォーラム他にて公開
プロフィール
池上 彰(いけがみ・あきら)
1950年長野県生まれ。ジャーナリスト、名城大学教授。慶應義塾大学経済学部卒業後、NHK入局。記者やキャスターをへて、2005年に退職。以後、フリーランスのジャーナリストとして各種メディアで活躍するほか、東京科学大学などの大学教授を歴任。著書は『伝える力』『世界を変えた10冊の本』など多数。