池上彰の 映画で世界がわかる!

『ホールディング・リアット』──さまざまな視点から考えさせられる「中東問題」

毎月連載

第92回

『ホールディング・リアット 』

一筋縄ではいかない「中東問題」を考えさせるドキュメンタリーです。「リアット」は、ハマスによって人質になったユダヤ人教師の名前です。

イスラエル軍によるガザ地区への攻撃は、現時点で停戦とはなっていますが、いまも散発的な戦闘が続いています。

イスラエル軍によるガザ地区への攻撃で、多数のパレスチナ人が犠牲になりました。実に悲しいことですが、その一方で、イスラエルのユダヤ人たちも多数が犠牲になっています。

この映画は、娘と、その夫がハマスの人質にされてしまった夫婦とその孫たちという家族に密着したドキュメンタリーです。

『ホールディング・リアット 』

人質になった夫婦が生活していたのはガザ地区との境界線から2キロ足らずの場所にあるキブツです。キブツとは農業共同体のこと。かつてこの地にユダヤの王国を築いたユダヤ人たちは、2000年前、ローマ帝国によって追い出されました。彼らはキリスト教社会の欧州で差別され、第二次世界大戦ではナチスによって600万人もが犠牲になりました。

戦後、ユダヤ人たちは、かつて祖先が住んでいた地に戻ってきたことから、パレスチナと呼ばれるこの地に住み着いていたアラブ人とトラブルになります。住んでいた土地を追われたアラブ人たちは、パレスチナ人と呼ばれます。いわゆる「中東問題」の発生です。

パレスチナの地に早くから移住してきたユダヤ人たちは、住民すべてが平等に農業に従事する共産主義的な共同体を築きます。これがキブツです。

このキブツのひとつが、ガザ地区から近い場所にあったことからハマスの戦闘員によって襲撃され、住民400人のうち30人が殺害され、40人が人質となって連れ去られます。

『ホールディング・リアット 』

ここに住んでいた歴史の教師リアット・ベイニン・アツィリと夫アヴィヴもガザに拉致されてしまいます。これを知った父イェフダら家族はふたりを救うために奔走します。リアットがアメリカ国籍も持っていたことから、バイデン政権に人質救出を求めてアメリカを訪問。アメリカ議会の共和党や民主党の議員にも働きかけます。

リアットの次男はアメリカでハマスの非人道的な行動を非難しますが、その一方、リアットの父イェフダは、パレスチナ人の立場に同情的で、イスラエルとパレスチナの2国家共存を主張。父と孫の主張が対立してしまいます。

『ホールディング・リアット 』

イスラエルのネタニヤフ首相は、イスラエル軍にガザ攻撃を命じますが、イェフダは、この方針に批判的です。イスラエル軍が攻撃すれば、人質が犠牲になってしまうからです。

ネタニヤフ首相は、実は贈収賄事件の被告なのです。ハマスとの戦闘開始によって、裁判は中断。戦闘が続いていれば、首相の座を保つことができます。イェフダは、ネタニヤフは人質の安全など考えず、自分の地位を守ることしか頭にないと批判します。

ガザでの被害が大きく報道される一方で、イスラエルの側にも犠牲者が出ています。そのイスラエルの人々も、ガザ攻撃を支持する人たちと、パレスチナ人に同情的な人たちとに分断が進んでいるのです。

このドキュメントは、ハマスによって家族を人質にとられた家族の焦燥を描く一方で、人質になったことでガザ地区の実情を知ってパレスチナ人たちに同情的になるユダヤ人の姿も描きます。

いわゆる「中東問題」をさまざまに考えさせる重層な構造の映画です。

『ホールディング・リアット 』

『ホールディング・リアット
(C)Meridian Hill Pictures

『ホールディング・リアット』
監督:ブランドン・クレーマー
プロデューサー:ランス・クレーマー 、ダーレン・アロノフスキー他
登場人物:リアット・ベイニン・アツィリ、イェフダ・ベイニン、ジョエル・ベイニン他
3月7日(土)シアター・イメージフォーラムほか全国順次ロードショー

プロフィール

池上 彰(いけがみ・あきら)

1950年長野県生まれ。ジャーナリスト、名城大学教授。慶應義塾大学経済学部卒業後、NHK入局。記者やキャスターをへて、2005年に退職。以後、フリーランスのジャーナリストとして各種メディアで活躍するほか、東京科学大学などの大学教授を歴任。著書は『伝える力』『世界を変えた10冊の本』など多数。