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湯浅政明 挑戦から学んだこと

スタートはアニメーターから。大きな財産にもなった『クレヨンしんちゃん』

全13回

第1回

── 現在は監督として活躍している湯浅政明さんですが、キャリアはアニメーターからスタートしています。

湯浅 最初は演出や監督にはまるで興味がなかった。単にアニメの画を描きたかっただけだったので、将来はアニメーターを生業にしたいと思っていたんです。

そう考えるようになったのは中学時代。アニメは物心ついた頃から好きでずっと観ていたんですが、どうやってアニメが作られているのかという部分には注目していなかった。その頃は、漫画とアニメの区別もついてない感じでした。

でも、中学1年生のときに、劇場編集版『宇宙戦艦ヤマト』(77)が公開されてアニメブームが起きた。その後も宮崎(駿)さんの『ルパン三世 カリオストロの城』(79)や、出崎(統)さんの『エースをねらえ!』(79)、さらにりんたろうさんの『銀河鉄道999』(79)が公開されて、アニメーターという仕事があるということを初めて知ったんですよ。相次いで創刊されたアニメ雑誌では、アニメーターはクリエイターとしてスターのように扱われていたのを覚えています。

── でも、アニメの専門学校のようなところに通ってはいないんですよね?

湯浅 大学ではファインアートを専攻していて、実際にアニメに触れたのは亜細亜堂にアニメーターとして参加してから。そうなると当然、学生時代からしっかりアニメを勉強していた人の方がダンゼン上手いんです。彼らは、ちゃんとアニメ映えする画を描ける。僕の場合、紙に描いた状態だとそれほど悪く見えないんですが、色がついて動くと情けない画になってしまう。どう頑張っても自分の思ったとおりにはならなかったんです。

原画になっても数年は本当につらくて、(アニメーターを)もう辞めちゃおうかと思うようになり、実際、一度は辞めたんです。でも、そんなときに本郷(みつる)さんが声をかけてくれた。

天職とさえ思った『クレヨンしんちゃん』での経験

『映画クレヨンしんちゃん アクション仮面VSハイグレ魔王』DVD発売中(税込価格 1,980円)
発売元:シンエイ動画 販売元:バンダイナムコアーツ
(c)臼井儀人/双葉社・シンエイ・テレビ朝日・ADK 1993

── 本郷さんは亜細亜堂で『チンプイ』(89~91)や『クレヨンしんちゃん』(92~)の監督をなさっていた方ですね。

湯浅 そうです。『しんちゃん』のTVシリーズに声をかけてくれて、「じゃあ、ちょっとだけ」という感じでもう一度始めたんだけど、意外とマイウェイでやらせてもらって、だんだん仕事が楽しくなってきた。(※実際には『21エモン・宇宙いけ!裸足のプリンセス』(本郷みつる監督)を挟む)

『しんちゃん』の劇場版1作目(『クレヨンしんちゃん アクション仮面VSハイグレ魔王』(93))だったと思うんですが、クライマックスのひとつのシーンを決めるとき、本郷さんが意見を求めてくれたんです。「これどう思う?」みたいな感じで。だから僕、正直に「面白くない」と言ったら、「じゃあ、どういうのがいい?」と言われたので、アイデアを提出してみました。それを本郷さんがまとめて絵コンテにしてくれて、自分でそのシーンの原画を描いたら、自分的にめちゃくちゃ気持ちのいいものになった。作画の動きはいつもの感じですが、画面全体がイメージどおりに動いてるのが爽快で、観ている人もとても喜んでくれたんです。僕は、もう最高って大コーフンしちゃって、頭からすげえ気持ちのいい汁が出て来た感じ(笑)。

このコーフンと気持ち良さと楽しさは、アニメーターになって初めてのことだったというレベルじゃなく、まさに子供の頃以来だった。

── ということは、子供の頃も、よく絵を描いていた?

湯浅 はい。幼稚園の頃、前の晩に観たTVアニメの絵を園で描いて、みんなが喜んでくれるのがすごく嬉しかった。それと同じ快感を味わったのは、まさに幼稚園以来だったんです。

それまで、アニメーターをやっていて褒められることも結構ありましたが、やっている本人が納得いかない。これが僕にとっては大きな問題だったんです。でも、自分で絵コンテを描いた『しんちゃん』のときは褒められて、なおかつ自分がすっごく楽しかった。ちょっと前までは「もう辞める」なんて思っていたにもかかわらず、そのときはもう「これ、天職だったんだ!」と思うまでになっていましたからね(笑)。

── 180度変わっちゃったんですね(笑)。

湯浅 そうそう(笑)。以来、絵コンテを切りたくてしょうがなくなったんです。でも、実を言うと、最初は絵コンテがそんな重要なものだとは知らずに、「へー、絵コンテというのがあるんだ」くらいの感じだったんですけどね(笑)。

── ということは湯浅さん、もしかして現場で発見したり体験しながら学習していくタイプなんですか?

湯浅 そうだと思います。

実は昔、漫画を描いて応募したこともあるんです。漫画を描き始めた頃に気づいたのは、漫画にはストーリーが必要なんだということ。それまで“ストーリー”という発想がなかった(笑)。だからなのか、子供の頃観ていたアニメや特撮もののストーリーはひとつも覚えていないんですよ。

それでは漫画が描けないと思って、意識的に本を読んだり、映画も観るようになった。でも、それもやっぱり、ストーリーを追うというより、シーンや映像の展開の面白さの方に目が行ってましたね。

たとえば“どんでん返し”。ストーリーの面白さから生まれるのは分かっていたんですが、全体のストーリーには気づいてなかったんですよ。絵コンテを描くのが好きになって初めてストーリーの重要性に気づいたくらいで。

カメラワークを意識するきっかけになったデ・パルマ作品

── ちなみに、どんな映画を観ていたんですか?

湯浅 最初はホラーをよく観ていました。『ウィラード』(71)とか『ベン』(72)とかをテレビで観て、その後劇場に行くようになり『サスペリア2』(75)を観たんですが、そのときの同時上映が『フューリー』(78)だったんですよ。

── ホラーばっかり(笑)、しかも映像優先のブライアン・デ・パルマじゃないですか!

湯浅 デ・パルマに出会ってから、カメラの向こう側にいる人(監督)を意識して観るようになった。でも、そのときもまずカメラワークだったので、『しんちゃん』の絵コンテを描くようになったときも、カメラワークが特徴的な映画をたくさん観ましたね。だからデ・パルマになっちゃう(笑)。

僕、カット割りやカメラワークは文章に似てると思うんです。ショットが言葉で、そのつながりが文章。スタッフに話して共感されたことないけれど、『プレバト』というTVバラエティ番組で俳句の先生が説明してることなんか、もうまんま絵コンテなんですよ。もちろん俳句に絵はないんですが、先生は俳句も“映像”が浮ぶようになってないといけない、言葉を効果的に並べて、観客をより感動させなくてはいけないと言うんです。これはカメラワークですよね。同じ情景を描写しても、カット割りや順番で語り口が全然変わるから。

それに番組では先生が、出されたお題の俳句から映像的でない単語を省いたり、効果的な言葉を入れ替えたり足したりすると、その俳句が鮮やかに感動的な“映像”に変わるんです。さすが!と思っちゃうんですよ。

そういう影響もあったからなのか、その頃は、映画を観ても、全体のストーリーよりそういう部分に感動していましたね。

設定の仕事を通して学んだ「いろいろなモノを見て、知って、発想すること」

── 『しんちゃん』のときは設定もやっていましたよね?

湯浅 それも大きな転機でした。本郷さんが「アニメーターが描いた設定は動きがあって面白いだろう」という事で宇宙船の設定などを任せてくれたんですが、これがまたとても楽しい仕事になりました。『しんちゃん』だから変な宇宙人だったので、従来の宇宙船デザインに囚われなくてもよくて、科学的な裏付けよりも、まずは面白いフォルムと動きを考えればいいんじゃないかなって。その経験が後に、リサーチの面白さや重要性に気づかせてくれたんです。

実はそれまで、アニメや映画にばかり目が行っていて、現実や世間をほぼ見てなかったんですよ、僕。複雑だし、世の中が面白いと感じたことがなかった。ところが、設定を頼まれて世間に目を向けるようになると、これが驚くほど面白い。たとえば電車の設定を創るとすると、まずはいろいろ電車について調べますよね。その過程で電車を形作っている仕組みを深掘りして行くと、本当にいろんな発見があってびっくりするという感じ。反対に、複雑なものも、解いていけばシンプルに分かる面白さがあるということにも気づきましたね。おかげで世の中に目を向けると、いろんな面白いこと、興味深いことがあると分かり、そういうのを画にしたいと思うようになったんです。

── ということは湯浅さん、それまで世間をまるで見ていなかった?

湯浅 そうなりますよね(笑)。学生時代は精神論者的なところもあって、「精神を集中させられる者ほど優れたアーティストになれる」とか「何も考えずに、ひたすら創作に集中すればいい絵が描ける」と思っていましたから(笑)。でも、実際は上手い絵の描き方的な方程式があって、それを使えばある程度は描けちゃうから「なーんだ」って感じで。

アニメをやり始めた頃もそういうときがあって、「表現したいものがない」なんて思っていたけれど、実は何も見ていなかっただけ。世間に目をやるようになって、いろいろ表現したいという欲求が湧いてきましたね。小さい頃の自分に教えてやりたい感じ(笑)。

── つまり、『しんちゃん』と本郷さんに出会ったことでアニメを創る楽しさを知ったわけですね?

湯浅 そうですね。『しんちゃん』は本当に楽しくて、リアルなものも入れられるし、ギャグにしようと思えばそれもOK。最高のキャンバスでした。

本郷さんは僕のアイデアを拾い上げたり、個性を尊重した使い方をしてくれたので、のびのびと楽しく仕事ができた。今は僕も監督をするようになり、この制作メンバーならこういうふうにすると面白いというように、みんなの個性やアイデアを活かす仕事をするように心がけています。

── 『クレヨンしんちゃん』ではどんなことを学びましたか?

湯浅 いろいろなモノを見て、知って、発想することですね。本郷さんが「いろんなアイデアを出して。でも、ひとつひとつ見てジャッジするのは大変なので、たくさん出しておいてくれれば、僕が勝手に見るから」と言われて、本当にたくさん描いた。自分で調べ、画にして吐き出す。それを2、3カ月続けたんです。これが本当に楽しくって(笑)。

後にこのやり方が習慣になっただけでなく、自分の大きな財産にもなった。面白いと感じたことは何でもアニメで表現できるのかもしれないと、徐々に思うようになりましたからね。

取材・文:渡辺麻紀 撮影:源賀津己