湯浅政明 挑戦から学んだこと
過去4回も映像化された作品を再び……。『日本沈没2020』で描きたかったこと
全13回
第11回
── 小松左京と湯浅さんというのは、あまり考えられない組み合わせだと思いました。
湯浅 僕もそう思いました(笑)。自分ではまず考えつかない企画だったので、かえって興味が沸いたんです。自分でもどんな作品になるのか想像もつかないからやることにしてしまおうって。今までとまた違った人に観てもらえる可能性もあるし、スタジオ(サイエンスSARU)にとってもスタイルが違う、良い経験になるだろうと思いました。
原作はもちろん、これまで作られた映画もスペクタクルじゃないですか? それを配信シリーズ枠で、ハリウッドのドラマや映画と同じ枠で並べて観る。しかもアニメでやるというのも想像がつかない。想像がつかないことだらけ(笑)。
── 湯浅さん、本当にそういう企画にヨワいですね(笑)。
湯浅 つい、挑戦してみたくなる(笑)。
この企画、当初は実写で考えられていたようで、何かのタイミングでアニメの方がいいんじゃないかということになり、僕たちのところに持ち込まれたようです。原作どおりの進行じゃなくてもいいというのは最初から言われていて、その段階で準備されていた要素が、オリンピックを絡め、家族をフィーチャーするというものでした。僕たちにとってはスペクタクルより少人数のキャラクターに焦点を当てる方が現実的だったし、今の時代に合わせてアップデートしやすい。そういう意味では、わりとお膳立ては整っていましたね。
── 『日本沈没』は1973年製作の森谷司郎監督版と、2006年の樋口真嗣監督版と、これまで二度、実写映画化もされ、TVドラマ版は最近のものを含めて2回作られている。日本ではとても馴染みのある作品ですよね。
湯浅 僕、1973年版は昔、観た記憶があったんですが、今回、観直しました。2006年版は初めて観ました。本で最初に読んだのはさいとうたかをの漫画版。これが原作に一番近いというので、まず手に取り、それから原作小説や続編も読みました。
小松さんが本来書きたかったのは、日本という国がなくなったとき、日本人はどうなるのかというシミュレーションだったという話を聞きました。でも、日本沈没が起きる過程をしっかり書いていたら、時間がなくなってしまい、前半だけで終わったようなかたちになったらしいんです。小松さんはその後も自分で書きたかったけれど、それができなくて、最終的には他の作家さんが小松さんの意向を継ぐかたちで続編を書かれたそうです。
この原作は、TVドラマも含めて4回も映像化されている上に、日本が大きな震災も経験した後、再び天変地異のプロセスに焦点を当てた展開にするのもナンセンスに思えたんです。小松さんが、地震の遥か先にある、一国の沈没という大災害を辿ってまでも描きたかったのは、やはりそのときの日本人のメンタリティなんだろうなって。
僕自身もそこに興味があって、今現在の国民意識や、“国民”ってなんだろうという疑問も描いてみたくなったんです。国の中心人物からはほど遠い、日本が沈没すると聞いてもピンと来ない市井の人々が、ひたひたと忍び寄ってくる天変地異に対してどういう意識でいるんだろうということを考えながら作っていこうというわけです。
── 湯浅さんが表紙のイラストを描いてくださった『押井守のニッポン人って誰だ!?』で、押井さんも独自の考察をしていましたね。『日本沈没』で政界の黒幕が口にする言葉「何もせん方がええ」が、日本人の心情を端的に表しているとおっしゃっていました。
湯浅 そうなんです。だからあの本も興味深く読みました。コロナ渦で起きた出来事の数々は、そんな感じがしましたよね。
── ほんと、「何もせん方がええ」って雰囲気でした。
湯浅 でも僕は、昔から「結局何もしないところに落ち着く」というのが一番嫌いだったんです。コロナ渦では、ポリティカルな方針に強い意見を持つ人が多い中、「パンデミックが鎮まるまでおとなしく待とう」という保守的で大雑把で先見性のない意見が蔓延していました。その一方で、声を上げることもなく、自分の意思と責任の中で粛々と行動する人たちもいた。僕は前者の、ただ“待つ”人たちの要求に応えるような内容はイヤで、ポリティカルな場所で活躍するヒーローを描くようなファンタジーも観たくなかった。後者のような人たちを描きたいと思い、今回の方向へ舵を切っていきました。そのとき配慮したのは、なるべくナショナリズムに加担しないこと。これを一番考えていましたね……と言いつつも、コロナ前にはすっかり作品は完成していたんですけどね。
テーマは“日本人であることとどうつき合っていけばいいのか?”
── コロナになって、あらためて日本人について考えた人は多いと思いますよ。
湯浅 普段、自分を含めて平凡な人は、そんなに国民性とか、日本人であることとか、深くは考えていないと思うんですが、その一方で日本が褒められると嬉しいし、バカにされると腹が立つという単純な気持ちもある。そういう感情って何だろうなって。
単に、日本人であるという事実にぶら下がっているだけ、乗っかっているだけにも感じられるけど、その一方で、こうして日本が国家として成り立っているということは、必死で現実的に国を支えている人たちもいるということですよね。今回はその前者のふわっとしたところにスポットを当てて、僕たちは、どういう立ち位置で日本人であることとつき合っていけばいいのか? そういうことを考えてみようというのが自分のテーマになりました。
── 原作との違いで言うと、主人公の姉弟がハーフだったり、それゆえに救命ボートに乗せてもらえないというエピソードがあったり、彼らと行動を共にするカイトというキャラクターがLGBTを意識していたりと、キャラクターが多様性を考慮したものになっていると思ったんですが。
湯浅 全体的にはさまざまな立場から状況を描いて、観ている人が自分の意識を明らかにしやすいようにしたいと思ったんです。国籍によって日本人であることを意識しているのか、あるいは血筋なのか、それとも見た目なのか、はたまた精神構造の傾向なのか。海外から日本に来ている人は、漫然と日本に暮らす人より国家に対する意識が強いんじゃないかと思って。海外に暮らす日本人も同じような意識をもつんじゃないですかね。
どこの国の民かでカテゴライズした場合、恩恵をもらえる国もあれば、縛りやマイナスな面が大きくなる国もある。多様性と言いながら、逆に何かとカテゴライズしたがる風潮に対して、カイトはそういうことにとらわれない存在にしたいという想いで創造したキャラクターでした。
だからLGBTでもないんです。国の要人だからとか、一般人だからとか、若いから年配だから、男だから女だから、そういうのもすべて関係ない。たとえば、大坂なおみ選手を応援するのは、彼女が日本人だからというのなら、カテゴライズしていることになりますよね? 大谷翔平選手が日本人でなかったら、野球ファンじゃない人がこんなに盛り上がるでしょうか?
そういうカテゴライズや認識から、すべて逃れて生きたい人としてカイトは描きました。ファンタジーに近いのかもしれないけど、カテゴライズすることで得られる恩恵がまったくなくても生き抜く力を持っているという設定にしたんです。つまり、自分の力だけでサバイバルするのが、カテゴライズからも自由になれる手段という考え方ですよね。
姉弟も最終的には国籍にぶらさがらず、恩恵を受けた分、自分たちの何らかの能力を使って国にお返しすることで、国と対等になれるといいなと考えて、あのラストを選びました。彼らを、多様性やグローバリゼーションというカテゴリーも外したところに立つ、無印の個人として描く。僕にとって、それが重要だったんです。
── ということは世間の価値観より一歩先、というわけですね。その世間の価値観に沿って言うと、こういう作品でキャラクターがガンガン死んでいくのもびっくりでした。
湯浅 基本的には未曾有の天変地異なので、画面外ではもっと多くの人が亡くなってるはずです。主人公家族だけ死なないのは不自然だし、サバイバルに関して全くの素人なんだから、意外な危険も招いてしまう。本作ではわりと淡々としたタッチ、危機感弱いタッチで描けたらとも思っていたので、死をドラマっぽくも描かないようにしたんです。
宣伝のためもあって便宜上、主人公は姉弟と表明していますが、実際は誰が生き残るか分からないように作りたいと思っていました。毎回のように誰かが死んでいくことは僕が提案したんですが、海外ドラマと一緒に並ぶNetflixなので、誰が死んで、誰が生き残るのか分からないという方が、シリーズとして見せる場合、引っ張る要素になるのではないかと思ったというのもありましたね。
誰もが俯瞰で状況が分かっているわけではなく、最善の行動をしているわけでもないので、実際は皆が助からないのが自然だとは思います。どんどん死んでしまって、主人公と思った人も次々と亡くなっていく。災害自体は対処できないものとして、人間関係や、彼らの思考や想いの方に視聴者の意識が向けば良いと思っていました。
新作ラッシュで現場は大混乱に……
── ところで、この時期の湯浅さんは新作のラッシュで、とてもお忙しい感じでしたが、どこまで本作には関わったんでしょう?
湯浅 『きみと、波にのれたら』が絶賛制作中の中、『映像研には手を出すな!』と『SUPER SHIRO』、『犬王』もやりながら『日本沈没』の脚本を作成しました。
『日本沈没』はシリアスな内容で『映像研』よりさじ加減はしやすいと考えたので、脚本作りが終わった後は、ある程度そのときのシリーズ監督に任せていたんです。『SUPER SHIRO』は絵コンテまで見て、あとは霜山(朋久)監督にお任せしました。『映像研』は若手の登用が多く、初めて仕事をする人もたくさんいたので、彼らにチャンスをあげながら全体は監督する必要があると思っていました。
ところが、『きみと、波にのれたら』が終わってみれば、『日本沈没』はスケジュールが遅れ、1話以外はシリアス路線とは違うコンテが上がっていました。そのタイミングでシリーズ監督をもうひとりの方にバトンタッチして、コンテはできる限り修正したんです。でも、リアルな作画を設定できる人が少なく、エピソードの多くが、脚本に想定されているリアルな描写ができていない状態になってしまい、テコ入れをする必要に迫られたんです。
── それはもう、話をお聞きしているだけでも大混乱な感じです。
湯浅 このままでは新しいシリーズ監督の対応もままならなくなりそうだったので、僕は『犬王』の絵コンテ作業を中断し急遽、自分も『日本沈没』の絵コンテから直しをやって、上がりの悪い作画の修正にも参加したものの、なかなか思うようにはかどらなかった。音響はしっかりやって、ダビング、納品にも立ち会ったんですが、今度は『映像研』の方も厳しいコンテや厳しい作画描写のエピソードが多くなり、必要な場面設定の直しができる人もあまりいなかったのでそちらもやってという感じで……。直しの作業は2作品とも同じくらいやっていましたが、時間と人も少なく、リアルテイストな分、『日本沈没』の方が困難を極めていましたね。
── その上に『日本沈没』は劇場版もありましたよね。
湯浅 音が良かったこともあって、画ができ上がる前に、劇場編集版をやりましょうということになっていた。画を新しく描き足すようなことはしない前提で、シリーズがすべて完成した後、作画的に弱いところは削り、引っかかる部分を少なくして、できるだけすんなり見られるように再編集したのを公開したんです。
取材・文:渡辺麻紀 撮影:源賀津己
関連情報
『日本沈没2020』Blu-ray BOX
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©“JAPAN SINKS : 2020”Project Partners
Netflixオリジナルアニメシリーズ
『日本沈没2020』配信中