柳家花緑 私の落語人生
戦後最年少真打~光と闇
全10回
第3回
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僕が“戦後最年少真打”になれたのは、やっぱり祖父の、落語協会の会長という太いパイプがあってこそ、実現したことだと今でも思っています。高座でも、自虐的にそんなふうに話していますね。9歳から落語を始めて、10代の頃は物真似が上手かったのか、ちょっとは達者に聞こえていたと思います。その当時のVTRとかたまに見ると、確かにウチの弟子よりも僕のほうがマシなんですよ。間とか、緩急も悪くない。だってウチの師匠の、一流の真似をしていますから。いいものを真似すると、よく見えるんですね。真打になるには、理事会で、理事と呼ばれる先輩方の話し合いによって「そろそろ席亭に持っていってもいいでしょう」ってことで認められる。僕もそのようにして真打昇進が確定し、その後、40日間の披露興行をやりました。挨拶回りの時には取材も随分ありました。パーティから何から何千万ものお金がかかったんですが、全部祖父が出してくれました。ひとりじゃとてもできませんでしたね。扇子と手ぬぐい、口上書きを用意して。パーティは東京會舘で、お客様を600人くらいお呼びして、盛大にやらせてもらいました。