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黒沢清、10人の映画監督を語る

サム・ペキンパー

全11回

第1回

初めて“監督名”を意識して作品を観たのがサム・ペキンパー

 はっきり監督名というものを意識して、監督とは如何なるものかある程度わかった上で見始めたのは、おそらくサム・ペキンパーではないかと思います。きっかけになったのは、たぶん高校生の頃に観た『わらの犬』。ただ、どうして観に行ったのか。おそらく雑誌の『映画評論』が、やたらとペキンパーを特集していたのが影響していたと思います。

 僕の地元は神戸なんですが、元々映画は好きだったので、高校生の頃になるとハリウッド映画を中心に積極的に観ていました。学校帰りに寄れるウニタ書店という左翼系の雑誌をたくさん置いてある小さなマニアックな本屋に『映画評論』が売っていて、読んでみると石上三登志さんなんかが、サム・ペキンパーというのはすごいと書いていました。それを記憶していた中で、『わらの犬』が公開されたんじゃなかったかな。それで僕も観てすごいということになって、順番は忘れましたが、立て続けに二番館で『ワイルドバンチ』、『砂漠の流れ者/ケーブル・ホーグのバラード』を観ました。

『映画評論』サム・ペキンパー特集号

 当時『ぴあ』はまだありませんでしたが、関西だと『プレイガイドジャーナル』という、ちっちゃな情報誌があったので、とにかく食い入るように読んでどこかでやってないか探して追いかけましたね。といっても関西ですから東京ほど映画館もなかったので、普通は行かないような遠くまで駆けつけていました。『ワイルドバンチ』はどこの二番館、三番館だったか本当にひなびた地方の映画館で観ました。そこからちょっと経ってから、『ゲッタウェイ』だの『ビリー・ザ・キッド/21才の生涯』だのを立て続けに観て、やはりこの監督は観なければならないと強く意識しました。

 といって、アカデミックな価値観をそこに見出していたわけではなくて、やっぱり銃撃戦がすごい、スローモーションで人が撃たれる描写がカッコいいということが、観ていて興奮するポイントでした。後々、冷静によく観れば、サム・ペキンパーって、他の例えばドン・シーゲルだのロバート・アルドリッチだのに比べると随分のんびりしています。よく言えば叙情的なんですが、始まると派手なアクションなのに、そこに至るまでがダラダラしていてなかなか始まらない。典型的なアメリカのアクション映画の中に置くと異質で、そういう意味で黒澤明に似ています。妙にウエットなシーンが2、3分続いたりして、これはプロデューサーも切りたくなるよなっていう。

 この時期は、もちろんペキンパーだけ観ていたわけではなく、それこそ『ダーティハリー』とか『フレンチ・コネクション』とか挙げていくときりがないんですが、アメリカのアクション映画を楽しく観ていました。とりわけペキンパーに思い入れが強かったのは、派手な銃撃戦のせいもありますし、『映画評論』でやたら褒めていたというのもあります。ひょっとするとこのダラダラした叙情的なところに何か妙な気持ち良さを感じていたのかもしれません。

 それと、やはり俳優ですかね。当時、イーストウッドが余りにも強く孤高であったのと比較して、ウォーレン・オーツでもダスティン・ホフマンでもマックィーンでも、ペキンパーの男優はみな華奢で家庭的で、日本人には分かり易かったのでしょう。中でもジェームズ・コバーンは最も気に入っており、当時の僕のヒーローでした。

ペキンパー的なものはいつもやりたいと思ってる

 ペキンパー本人が意識していたのかどうか、人がまるで物のように扱われるスペクタクルなアクションとその間に挟まるウエットな人情ばなしとがミックスされたちょっと異質な活劇だったのは、『ガルシアの首』までなのかなという気がします。『キラー・エリート』以降の作品は全く違いますね。『戦争のはらわた』は独自に評価されてはいるんですが、ペキンパーの後期の作品はどう語っていいか、大変難しく錯綜したものだと思います。遺作になった『バイオレント・サタデー』は、『ワイルドバンチ』のような派手なものではないんですが、アクションが始まれば、それなりに小気味よい銃によるアクションがあるんですけど、それ以外の描写はほとんどが組織内の権謀術数ばかりで本当に陰鬱な映画でしたね。ここで死んじゃっているから、この先どうしようとしていたのかもう分からないんですけど。自分が作り上げた痛快なアクションと抒情の合体を、これ以上続けることが辛くなってきてるのかなという気もしましたね。その分何か新しいものを目指し始めていたのかもしれないですね、『バイオレント・サタデー』で。

 自分の映画では、『ニンゲン合格』は露骨に『砂漠の流れ者/ケーブル・ホーグのバラード』をベースにさせてもらったんですが、ペキンパー的なものはいつもやりたいと思っています。ドライで冷酷非情で痛快な銃撃アクションって、マイケル・マンとか結構うまいですけど、ああいうのをこれまでも何度かやろうとしたんですが、日本の風土の中では本当に難しいなとつくづく思っています。でも、やはりちゃんとしたアクション映画をいつかやりたい。日本でやるなら、ペキンパーだったらできるかもしれないという淡い期待があります。愛する人とダラダラ生活していると突然アクションが開始されるみたいな作りだったら日本映画でもできるかもしれない。いつかこういう映画を自分で作ってみたいと思った最初の監督だったんでしょうね、ペキンパーは。

(取材・構成:モルモット吉田/写真撮影:池村隆司)