黒沢清、10人の映画監督を語る
トビー・フーパー
全11回
第6回

全てのカット、全てのシーンが衝撃的だった『悪魔のいけにえ』
僕らの世代ぐらいの映画好きは似た経験をしていると思いますが、トビー・フーパーの『悪魔のいけにえ』は、テレビでしきりにやっていた予告のようなものを観た段階で、この映画は普通じゃないと感じていました。ただ、傑作かもと言うような期待はしていなかったです。タイトルがえらく三流な感じがしましたし、監督も全く聞いたことがない。スピルバーグとかイーストウッドとかに比べると、フーパーって何か軽い響きの名前ですしね。
最初に観たのは池袋の文芸坐地下でした。ということは、封切りでは観ていないんです。まあ、高い金を払って観るほどじゃないだろうとたかをくくっていたんだと思います。それが実際に観ると、最初の1カット目、暗い中でフラッシュが焚かれて本当に腐乱死体のようなものが一瞬キーンという音とともに映るところで、僕はものすごいものを観ていると直感しました。そこから太陽のコロナがあり、磔にされている骸骨があり、アルマジロが路上でひっくり返っているところへ車がやってきて――と言い出すときりがないんですが、全てのカット、全てのシーンが衝撃的でした。出てくる人たちは本当の狂人で、映っている死体は本物で、これを撮った人間は普通ではない人だろうと思いました。レザーフェイスさんは本当にこんな人を連れてきたんだと。よく考えたら、俳優が演じてるに決まっているんですが。
次が『悪魔の沼』になるんですが、これもすごい映画でした。この時はもう当たり前なんですが、本物を出したドキュメンタリーではないということが、はっきりしていました。トビー・フーパーはちゃんとしたっていうと変ですが、普通にフィクションを作っているアメリカの映画監督なんだなと。その後、『ファンハウス/惨劇の館』『ポルターガイスト』『スペースバンパイア』を観ると、日本でまだホラーという呼称がなく、怪奇映画と呼ばれていた時代の映画にトビー・フーパーはものすごく強い影響を受けているんだなというのがわかってきました。
僕も小さい頃から、いわゆるゴシックホラーというか、アメリカのユニバーサルからロジャー・コーマンのもの、イタリアのバーヴァたち、そしてイギリスのハマーなどをたくさん観ていたものですから、僕と同じような趣味を持っているのかもしれないと思えてきて、すごく親しみ深い存在になりました。そういう人が今後ハリウッドで何を撮っていくのかが気になって追いかけていくようになります。
その後、『スペースバンパイア』ぐらいまではもう順風満帆と言っていいのかわかりませんが、この人はどんどんすごくなると。つまりハリウッドのメジャーな存在になっていくのだろうと思っていたんですが。さすがに色々紆余曲折あったんでしょうね。スピルバーグやカーペンターなどとはまた違ったキャリアをその後進んでいきます。
どうしてそう言えるかというと、本人に実際会って話したら、やはり本当は違うものを色々撮りたかったのに、『悪魔のいけにえ』1本でそういうレッテルを貼られてしまって、どうしてもそこから逃れたいと思っても戻ってしまうのが自分では残念であると言っていたので。僕も色々複雑な心境でトビー・フーパーの話を聞いていました。でも個人的には『悪魔のいけにえ2』もびっくりしたんですが。それから、何といっても僕が一番大好きかもしれないのが『スポンティニアス・コンバッション〜人体自然発火〜』。これは大ラブストーリーとして感動しましたね。『悪魔の起源 ジン』は、ヒューマントラストシネマ渋谷へ駆け込んで観ました。これは純然たるホラーですが、実に若々しく素晴らしかったです。
ほかの監督とは異なる“思い出の中”にいる監督
自分で映画を撮るようになってからも、『悪魔のいけにえ』の衝撃的な冒頭に憧れます。あんな出だしで観客を釘付けにできたらいいなといつも思います。僕が初めて商業映画を撮ったのは以前もお話したピンク映画の『神田川淫乱戦争』ですが、その前に書いたのが『犯して殺せ』ってタイトルの女囚の話です。女囚たちを乗せた護送車が、変な屋敷の近くに止まって休憩するんですが、その屋敷に『悪魔のいけにえ』のような狂ったやつらが住んでいて、たちまち看守がやられて残った女囚たちだけで、どうやって狂人たちから逃げるのかというような話を書きました。ピンク映画でしたから、2回ぐらいは男女の絡みのシーンのようなものも入れたと思うんですけど、ほとんど殺し合いと脱出という話です。ピンク映画のプロデューサーからは、「これはピンクじゃないね」って一笑に付されて、「すいません、別なもの考えます」と言って『神田川淫乱戦争』にしたんです。
『犯して殺せ』みたいな話は、何本かノーマルなピンク映画を撮った暁には出来ていたのかも知れないんですが、僕も若かったというか子供だったというか、低予算で男女の絡みも多少ある娯楽映画というと、ごく限られた場所で少人数のキャストでサスペンス風な物語が展開するものなら行けるだろうと。『悪魔のいけにえ』もストーリーにしてみれば、よくあるといえばよくある、この手の低予算映画の定番ですから。そんなに変な脚本を提出したつもりはなかったんですけど、ピンク映画ではなかったようですね。
トビー・フーパーとは、2000年前後にロサンゼルスで初めて会ったんですが、知り合いのアメリカ人プロデューサーが親しいからと電話したら突然「いいよ」と言ってきたんです。あれは感激しました。その時、こっちから全く言ってないのに、「あまり世間では評価されてないんだけど、本当はもっと評価されていい監督が色々いる」と。「例えば誰ですか?」と訊いたら「リチャード・フライシャー」と言うのでびっくりしました。あと、ベルナルド・ベルトルッチとは映画の趣味も合って結構親しく話していると言っていました。凄い取り合わせですよね。その後、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭で日本に来日された時に、事実上の奥さんであるアマンダ・プラマーさんと一緒に東京で会ったんですけど、僕の『アカルイミライ』とかを観てくれていて、あのカットは素晴らしかったよとか、俳優がいいねとか色々言われて、いたく感激した記憶があります。
亡くなったのは突然でした。アマンダ・プラマーさんから亡くなってすぐにメールが来て。プラマーさんは撮影か何かでイギリスに行っていたらしいんですけど、2週間前まで会っていて元気だったのに信じられないって。2週間前にスマホで撮ったトビー・フーパーの自撮り写真みたいなやつを何枚か送ってくれましたけど、全く元気そうでしたね。
晩年――という言い方も何かしっくりこないのですが、やっぱり自分はホラーでいいのだとどこか割り切って、そういう小粒というか低予算のホラーを着々と撮っていたので、たぶんまたそういったキャリアを重ねてから、自分の望みにかなった予算のかかった企画を、満を持してやろうとしていたのではないかなと思います。
なかなかこれまでの作品を見返す気分になれなかったんですが、「丸の内ピカデリー爆音映画祭」で『悪魔のいけにえ』を爆音上映という形では初めて観たんですが、トビー・フーパーが亡くなった直後ということもあって、僕はほとんど冒頭から泣きそうでした。すごい映画だったんだなということを改めて感じました。徐々にまた観ていこうと思っていますが、長らく見返してない『スペースバンパイア』あたりから観たいですね。
そういうわけで、トビー・フーパーは、少しだけですけど個人的にも親しくお付き合いしたので、ほかの監督とは違ってプライベートな思い出の中にいる人なんです。ですから、あまり客観的に冷静には語れないんですが、『悪魔のいけにえ』をきっかけにして、ハリウッドの監督とこれぐらいプライベートで親しくできたのは幸運だったと思います。
(取材・構成:モルモット吉田/写真撮影:池村隆司)