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永野芽郁と佐藤健は再び交わるのか? 『半分、青い。』独特な“過去”の扱い方から読む

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リアルサウンド

 朝ドラ『半分、青い。』(NHK総合)東京編が大きな転機を迎えた。第10週から第11週にかけて、鈴愛(永野芽郁)と律(佐藤健)、それぞれの恋模様によってそれぞれの心がざわめく様と2人の別れが描かれた回は、どれも秀逸なものだった。

 このドラマの面白さ、他のドラマにない興味深い一面は、鈴愛の“フィードバック”にある。一度起こった出来事を彼女は違う視点で何度も語り直す。それは、鈴愛の口が「羽より軽い」ため、あらゆる登場人物たちに話して回るということもあるが、秋風(豊川悦司)による「実生活の中で気になったことを物語として昇華する」というメソットがあるからだ。本来なら一度で通り過ぎる出来事を、彼女は言葉にできない自分の心を見つめるため、自身の描く漫画の物語として昇華するために、何度も反芻する。そしてそれは一部始終を見てきたはずの視聴者さえも驚く発見へと繋がる。

 例えば、鈴愛と律が別れる場面、律が鈴愛を家まで送るその道中の光景は彼女の反芻によって何度も繰り返されることになる。1度目は部屋の中で、ボクテ(志尊淳)とユーコ(清野菜名)に事の顛末を語って泣き、2度目は仕事中、昼ご飯を食べながら、雲を見つめて律を思いだし、「もう聞いた」と言われながら、そのとき感じたことを語る。さらには、秋風を興奮させ、「しゃべるな、書け!」と叫ばせることになる、「月が屋根に隠れる」エピソードを語ることによって、ボクテとユーコどころか、その場面を見ていた視聴者さえも知らない“月”の存在を知らしめるのである。

 このエピソードの後、思わず2人が別れた第61話の場面を見返してみると、そこには街灯ばかりで月は存在しない。だが、鈴愛と別れ、1人残った律が鈴愛の短冊を発見し、「鈴愛の夢を1枚だけ盗んだ」とき、それを見守っている上方からのカメラは、月のそれではなかったかと思わせるのである。

 律の言葉をそのまま借りれば、10代最後の夏、鈴愛と律は別れることになった。清(古畑星夏)のスミレ色のマニュキュアを見て「私はこの先大人になっても」と語る鈴愛は、まだ大人になりきれない子供だ。鈴愛と正人(中村倫也)のデートを目の当たりにして、1人部屋に帰ってカメのフランソワにエサをやり「フランソワ、お前成長しんなあ、いや成長しきった大人?」と話しかける律もまた、高校生の頃鈴愛の初デートの日、落ち着かずにフランソワを構っていた頃と今の自分を重ねてしまうほどには、まだ子供のままなのである。「僕たちは子供で、お互いが異性だってこともまだ気づかなかった」高校時代から、彼らは“半分”大人になって、互いを少しだけ意識しつつも、他の人に恋をする。恋愛という言葉で語るには未熟な、鈴愛と律の何にも変え難い居心地のよい関係を語るには、この2週間の展開における登場人物たちの「過去」の扱い方について分析しなければならない。

 まずは、冒頭言及した「月が屋根に隠れる」エピソードだ。別れを決意し、鈴愛の家まで2人で歩くとき、鈴愛と律は「思い出ごっこ」と称して2人の共通の過去を語り合う。そのとき彼女は、目の端に引っかかっていた月のことを律に告げることができない。なぜならそれは思い出しばりのルールに反した、現在の話だからだ。楽しかった思い出に、すれ違ってしまった2人の悲しい現在を加えたくなかった。その「月、きれいだね」という言葉の裏にはもしかしたら第49話で宇佐川教授(塚本晋也)がなぜかヒンドゥー語でまくし立てた「I LOVE YOU」という言葉が隠されているのかもしれないが、それを詳らかにするのは野暮というものだろう。

 第66話のボクテと秋風の会話は、目の前に相手がいるのに過去形で語る。「一番に力があった」「センスも一番だった」「ボクテならわかっていたはずでした」と言う秋風に対し、ボクテもまた「先生を尊敬していたし、先生の描く世界が好きだったのに」と返す。それには互いの裏切られた/裏切ったことによる大きな関係性の断絶が存在するからだ。互いを尊重しあったよりよい師弟関係は終わりを告げ、少しでも現在進行形で語ることは許されない。なぜならそれは、素晴らしかった過去を現在で汚してしまうからだ。

 また、第65話の、月を見ながら後ずさりしてつまずく鈴愛が、振り返ってボクテに向かって「今ね、満月だったの」と話し出し、「今もだよ」とボクテがツッコミを入れるというくだりも奇妙だ。まるで自分が視点を外したら、月ではなくなるかのように。

 その奇妙で移ろいやすい、実に主観的な“過去”は、鈴愛と律を惑わせるそれぞれの恋人たち、正人と清にも作用する。

 正人は鈴愛と律の過去に立ち入り、その関係の深さを当事者以上に察し、だからこそ身を引いた人物だ。高校受験の失敗という律の挫折を語る上で重要なエピソードの別の側面を担い、共有していたという意味で、律とは“運命”の関係でさえある。鈴愛が上京して初めて吹いた律を呼ぶ笛に反応したのも正人だった。律にとっての鈴愛の代理にも、鈴愛にとっての律の代理にもなり得た。

 律と鈴愛の聖地とも言える、幼少期、糸電話をした川にも訪れる。だが、律から糸電話の話を聞いて「俺もやりたかった」と答えることで、律との友情を育む上でも、鈴愛と恋愛する上でも、正人はどうやっても律と鈴愛の過去、その関係の間に入り込むことができないことを示すのである。律が、鈴愛と律の関係性について語る正人に対して「俺と鈴愛の歴史を語るな」と投げかけるように、正人でさえ、鈴愛と律2人の歴史、過去は介入することはおろか、語ることも許されない。

 逆に清は自分が立ち入ることのできない過去に嫉妬し、彼らの関係を全力で壊しにかかる。モノクロの過去にすみれ色の爪でバツ印を書く。律の身体の一部をすみれ色に染めようとする。

 それに対して、鈴愛がありもしない律の所有権を主張してしまうという事件が起こるわけだが、鈴愛にとっては律の存在はなくなると「立っている地面がなくなってまうみたいで怖い」存在だったからだ。それは彼女が左耳を失聴し、「私の世界半分」失くしたときの、「か細く頼りない、足元がグラグラして、心もとない」世界と同じだ。律はいつの間にか失くした鈴愛の片耳、半分の世界の代わりになっていた。鈴愛の身体の一部だった。

 鈴愛はボクテとユーコに問いかける。正人のことは「触れたいと思った、好きだった」、それはきっと恋だった。「触れた記憶、触った記憶ない、それが私と律」、恋なんかよりもっともっと深いところにある。「(鈴愛と律の関係は)何色?」と問いかけられたユーコは「色はちょっとわからん」と答える。鈴愛がその関係性を色で例えようとしたのは、清のすみれ色に対する対抗心からだろう。

 そしてそれは恐らく「青」だ。清自身が律に言った「井の中の蛙、大海を知らず、空の青さを知る」と言う言葉どおりに、同じ青い空の思い出を共有する鈴愛に清は勝てない。

 だがそれにはまだ、時間が必要なのだろう。あまりにも片方に寄りかかりすぎた2人、共有し続けた長すぎる過去、七夕の2人という運命神話に、気づかないうちに頼りすぎてしまった2人は、それぞれが自分の足で自分の世界を形成するまでしばらくの時間を要する。その後の2人の世界を見つめるのは、鈴愛が自ら描く漫画によって新しい世界を切り開くまで待つことにしよう。(藤原奈緒)