エリック・ロメール監督はつんく♂だった!? 小川紗良が語る、その独自の手腕と同時代性
映画
ニュース
選択肢が少ないながらも、その独自のセレクトでジワジワと注目を集めつつある配信系ミニシアター、【ザ・シネマメンバーズ】。エリック・ロメール生誕100年である2020年、日本でも各地での上映会をはじめ、ロメール作品に触れる機会が増える中、【ザ・シネマメンバーズ】でも9作品を〈レトロスペクティブ:エリック・ロメール〉として配信。SNSなどでのプロモーションを通じて、今年のロメール人気の盛り上がりに一役買っている。
>ザ・シネマメンバーズはこちら
ザ・シネマメンバーズでは、エリック・ロメール作品以外にも、今までなかなか観る機会が無かった映画が厳選され、特集のイントロダクションとなる記事とともに楽しむことができる。今回、リアルサウンド映画部では、つい最近ロメール作品を一気に鑑賞、その魅力に惹かれたという女優・監督の小川紗良にインタビュー。ロメール作品との出会いから、オススメの作品、今ロメールに夢中になった理由についてまで語ってもらった。
「映画を観ていて衣装の色で笑ったのは初めてでした」
ーーそもそも小川さんは、いつ頃どんな風に、ロメールの映画に関心を持つようになったのでしょう?
小川:いちばん最初にロメールの映画を観たのは、私がまだ学生だった頃です。都内の映画館で『ロメールと女たち』という特集上映をやっていて、そこで『海辺のポーリーヌ』(1983年)と『夏物語』(1996年)を観たんですね。その頃から、ヌーベルバーグの雰囲気を引き継いでいるような作品に興味を持つようになって、今年になって、これはもうまとめてちゃんと観てみようと思って、ロメールの作品8本ーー『木と市長と文化会館/または七つの偶然』(1993年)はまだ観ていないのでーー今回ラインナップされている9作品のうち8作品を、ひと通り全部観ました。
>エリック・ロメール配信作品はこちら
ーー実際に映画を観る前は、ロメールの映画に対して、どんなイメージを持っていましたか?
小川:やっぱりアート系というか、ちょっと変わったオシャレな映画を撮る監督、という本当にふわっとしたイメージしか持っていませんでした(笑)。ただ、個人的に日本の昔のATGの作品などにも興味があって、その周辺も掘っていて。かつてフランスにヌーベルバーグというものがあって、その影響みたいなものが、ATGの映画にも繋がってくるのかなとは思っていました。
ーー最近まとめてご覧になったということですが、何かきっかけみたいなものがあったのですか?
小川:うーん、どうだったかな。ただ、私は最近、わかりやすくて情報量の多い映画を観ることに、ちょっと疲れてきてしまったところがあって。それとは真逆のもの、観客の想像力に委ねているような映画を、じっくり観たいなという思いはありました。ロメールの映画って、まさにそういう感じじゃないですか。
ーーということは、最初に観た2本(『海辺のポーリーヌ』『夏物語』)の印象が、結構良かったわけですね。
小川:そうですね。『海辺のポーリーヌ』はまさにそうですけど、ロメールの映画って、登場人物たちが見えている世界が、ひとりひとり違うじゃないですか。観客が持っている情報量と、それぞれの登場人物が持っている情報量が違って、観ている私たちはわかっているんだけど、登場人物たちはわかっていなかったりして。
――「その男は、こっちの子と浮気してるよ!」とか(笑)。
小川:そうそう(笑)。これは、あくまでも個人的な感想ですけど、最近のエンタメ映画には、作り手が色々なセリフやシーンで全て提示してくれるところがあるように思っていて。そうじゃなくて、一見するとダラダラ会話が続いているだけだったり、ただ2人で海辺を歩いているだけだったりするのに、観ている私たちが、そんな映像から何かを発見していく感じがすごく楽しかったんですよね。
ーーなるほど。
小川:あと、これはヌーベルバーグという一連の流れの中での試みだったのかもしれないですけど、ずっと長回しで撮りながら、アドリブのような会話が延々続いていくとか、明らかにゲリラで撮影したような撮影方法とか、そういう手法の部分も、私にはすごく興味深かったです。ドキュメンタリー性のある作品、生っぽいものが垣間見れる作品がもともと好きだったから、そういう意味でも、ロメールの作品は私にすごくしっくりきました。
ーー確かに、ドキュメンタリーっぽい生々しさはありますよね。
小川:あと、今年の夏は、新型コロナウイルスの影響で、海とか山に行ったりすることが、ほとんどできなかったじゃないですか。その代わりにロメールの作品をたくさん観て、ちょっとしたバカンス気分を楽しんでいたようなところもあったのかもしれないです(笑)。
――今回のラインナップは、ロメール中期の「喜劇と格言劇シリーズ」6本と、『レネットとミラベル/四つの冒険』(1987年)など3本の計9本という構成になっていますが、小川さんはどの作品が、特に気に入りましたか?
>エリック・ロメール配信作品はこちら
小川:『海辺のポーリーヌ』は2回目だったので普通に面白かったんですけど、『友だちの恋人』(1987年)と『緑の光線』(1986年)、あと『レネットとミラベル/四つの冒険』の最初の「青い時間」が、私は好きでしたね。『友だちの恋人』は、ちょっと笑えたというか。あの映画も『海辺のポーリーヌ』と同じように、だんだんグチャグチャになっていく恋愛模様を描いた話じゃないですか。それぞれの登場人物が見たり考えたりすることのちょっとしたズレで、だんだんおかしなことになっていくという。でも最後は、なぜかハッピーな感じで面白かったんですよね(笑)。あの映画は、やっぱり衣装の色ですよね。青や緑だったり、赤だったり、衣装の色がすごくはっきりしていて綺麗だなって思いながら観ていたんですが、いちばん最後に「そんなのアリなの?」っていうぐらい、思いっきり衣装で遊んでいて(笑)。映画を観ていて衣装の色で笑ったのは初めてでした。「映画って、こういう遊びをやってもいいんだ」と映画の自由さを感じました。
ーー(笑)。
小川:あと、『友だちの恋人』は、仕事にも恋愛にも悩んでいる24歳の女性が主人公なんですが、そんな彼女が、フラッと自然の中に入っていって、いきなり泣き出すシーンが、すごく印象に残っていて。私も24歳で、主人公と同い年だったので、いろいろ思い詰まったときに、自然の中に行きたくなる気持ちがすごくわかるし、この映画は、等身大な気分で観ていたかもしれないです。
ーーなるほど。
小川:『緑の光線』と『レネットとミラベル』の「青い時間」のふたつは、自分の中では似ているところがあると思っていて。タイトルに色がついているのもそうなんですけど、『緑の光線』は、序盤に「緑のものがいいらしい」みたいな話をするシーンがあるんですよ。そこから、観ているこっちも、映画の中に緑色のものが出てくるたびに、気になっちゃうんですよね。緑色のトランプが落ちていたり、緑のスカーフを巻いた女の人が出てきただけで、「あ、これはあとで何かがあるのかもしれない」と思ってしまう。最初のきっかけひとつで、それ以降の映画の見方が変わっていくのがすごく面白くて。それも、観客を映画の中に入らせていく、ひとつの手法だなと思ったんですよね。
――なるほど。それは作り手ならではの発想かもしれないですね。
小川:「青い時間」のほうは音がすごく印象的で。「深夜に無音の時間が訪れる」「それが青い時間なんだ」という掛け合いがあって。その話が出てきてから、『緑の光線』と同じようにやっぱり観ているこっちも、それまで以上に音を気にしながら映画を観るようになるんですよね。さっきの色の話もそうですが、そういうちょっとした仕掛け、マジックみたいなものがロメールの映画にはあるんですよね。
「ロメールの描く女性は、すごく自然」
――パッと見、ヌーベルバーグならではの手作り感覚で、非常にラフに撮っているようにも見えますが、その“仕掛け”みたいなものは、周到にできていると。
小川:そうですね。やっぱり色や音を、すごく計算しているんだろうなと。だけど、その一方で……今回、連続して8本観て思ったんですが、ロメールの映画って、登場人物たちがすごくバッタリ出会うじゃないですか。『友だちの恋人』でも、一日に2、3回続けて同じ人にバッタリ会ったりして。自分で脚本を書くときって、人と人が会うための理由をどうにかして探そうとしてしまうんですが、確かに何の理由もなしにバッタリ出会ってしまうことって実際あるし、それこそ映画的だなと感じました。今まで映画を観たり作ったりしてきた中で、出来上がった固定観念みたいなものが、パッと取り払われるような瞬間が、ロメールの映画にはたくさんあったような気がします。
ーーいろいろ周到でありながら、ときにはかなり大胆であるという。
小川:そう、『レネットとミラベル』の2人も、いちばん最初の出会いは、すごい偶然じゃないですか。ミラベルの乗っていた自転車がパンクして立ち往生していたら、たまたまレネットが通りかかるっていう。日本のアニメでも、女子高生がパンをかじりながら走っていて、角で男の子にぶつかるみたいなものがテンプレートとしてありますが、ロメールの映画って、意外とそういうことがたくさん起きているなと思って(笑)。でも、全然違和感なく観られるんですよね。そのあとの展開次第で、そういうことを普通に受け入れることができるんです。あと、ロメールの映画は、音楽の使い方も印象的ですよね。よくよく考えたら結構ドロドロした恋愛の話なのに、最初にめちゃめちゃポップでピコピコした音楽が流れることで、「これから始まるのは喜劇なんです」っていうことが示されていたりして。
ーー『美しき結婚』(1982年)ですね(笑)。
小川:そう(笑)。あと、『パリのランデブー』(1995年)でも、それぞれの話の間に、アコーディオンを持った人たちが、すごく陽気に歌うシーンが挟まれていることで喜劇みたいになっていて。もちろん、そこで描き出される人たちは、ああでもない、こうでもないと、重々しく悩んでいたりするんですが、それを傍から見ていたら、やっぱり可笑しくなってしまう。そういう映画全体の骨組みを音楽で作っている感じがして、それもすごい面白かったですね。
ーー今回のラインナップの多くは「喜劇と格言劇」シリーズの映画で……それらはみな、映画の冒頭に「言葉多きものは災いの元」といったように、ある「格言」が提示されるじゃないですか。
小川:あれも、すごく面白いですよね。映画を観ているうちに忘れちゃったりするんですけど(笑)。でも、最初にその言葉を見ながら、「どういうことだろう?」って一回考えて、それから物語を観始めています。
ーーあと、ロメールと言えばやはり会話のシーンが有名ですが、会話のシーンについては、どうでしたか? ほかの映画と比べると、かなり長いとは思いますが。
小川:本当に長いですよね(笑)。でも、何故か観ていられるんですよね。私、カフェとかで作業しているときに、となりの席に座っている女子高生たちの会話をずっと聞いているのがすごく好きなんですけど、どこかそれと同じような感覚があるんです(笑)。たまたま居合わせた人の会話を、ただずっと聴いている、その時間がまた心地良いというか、癒しになるんですよね。
ーー何かを説明するための会話ではなく、グダグダも含めてすごくリアルな感じがする会話だっていう。
小川:意味もないものこそ、意外と大事というか。今って、無駄がどんどん省かれているような時代でもあるじゃないですか。でもやっぱり、映画は無駄なものが入っていれば入っているほど私は好きというか、世界がちゃんとその作品にある感じがするんです。だから、そういう無駄話を聞くために観ているようなところもあったかもしれないです。意味がなかったり、多少分からなかったりしても、たまに笑えるぐらいの感じが、ちょうどいいというか。
ーーあと、ロメールの映画の特徴として、とにかく女性が主人公の映画が多いという。それについては、いかがでしたか?
小川:そうですね。毎回毎回違うヒロインが出てくるんですけど、みんなひとりの女性として、ちゃんと人格があるというか……それって、当たり前のようでいて、案外そうでもない気がするんです。そう、これはちょっと全然違う話になっちゃうかもしれないんですけど、私、ハロー!プロジェクトがすごく好きなんですね。
ーーはい(笑)。
小川:つんく♂さんの書く歌詞の世界が好きで。つんく♂さんの描く女の子って、いわゆるめんどくさい女の子というか、わがままだったり、どうしようもなくウジウジしていたりするんですが、だからこそものすごくリアルだなって私は思うんですよね。ちょっとした生活の一場面に共感できるというか。なので、ロメールって、どこかつんく♂さんみたいだなっていうのを、実は映画を観ながらずっと思っていて。ロメールの映画に登場する女の子たちって、つんく♂さんが描く女の子に、ちょっと近いところがあるんですよね。強いんだか弱いんだかわからない感じが似ているなと思って。ひとりのハロオタの視点として、そんなふうに思いながら実は観ていました(笑)。
ーー(笑)。でも、何となくわかるような気もします。ロメールの映画って、男女が揉めていても、案外男の立場に寄らないところがあるじゃないですか。
小川:そうなんですよ。すごく女性の視点に立っているんですよね。だからと言って、女性を変に神格化しているわけでもない。女の子のめんどくさいところや泥臭さみたいなものも、ちゃんと描いている。だから、すごく安心して観られるんです。男性が描く女性って、やっぱりどこか観にくいところがあったりするんですが、ロメールの描く女性は、すごく自然なんですよね。だから共感して、主人公と自分が重なっていくにも思えて……。
ーーわりとみんな、躊躇なく浮気とか不倫とかしていますが(笑)。
小川:あ、そうですね(笑)。でも、そういう自由奔放さみたいなものも、変に神格化していない感じがあるというか。人としてちゃんと描いている感じがするんですよね。むかつくシーンがあっても、登場人物の女性たちが、ちゃんとケリをつけてくれるので、そこにスカッとしたり。そこがまた、つんく♂さんの歌詞っぽいなって思ったりするんですけど(笑)。
「映画って、やっぱり残って伝わっていく」
ーー(笑)。ちなみに、小川さんの同年代の方々は、ロメールの映画を観たりするのでしょうか? そもそも、ロメールという存在は、若い人たちのあいだで、どれくらい知られているのかなと。
小川:私のまわりの人たち、同世代の若い映画監督とかは、ロメールが好きっていう人が多いような気がします。最近『アボカドの固さ』という映画が公開された、私の大学の先輩でもある城真也監督とか。長回しの会話のシーンが多かったり、ストーリーも、傍から見ると、ちょっと滑稽だったりする恋愛模様を、面白おかしく描いている映画なので。パンフレットを読んだら、実際ロメールの『緑の光線』を参考にしたと書いてありました。だから、そういう意味でも、ちょっと“流れ”みたいなものが、今、きているのかもしれないですよね。
ーーほほう、“流れ”というと?
小川:すごくミニマムな世界を描いた映画なんだけど、登場人物にとってはそれがすごい切実な世界だったりするっていう。そういうある意味、ロメール的とも言えるような映画が、今、求められているのかなという気はします。今泉力哉監督の作品も、そういう感じがします。
ーーああ、今泉監督の映画も、ちょっとロメールっぽいところがありますよね。『愛がなんだ』は、若い世代にも支持されたようですし……。なぜ今、若い人たちに、そういう映画が求められているのでしょう?
小川:うーん、どうなんでしょう。でも、最初に言ったように、もしかしたらみんな、大きくてわかりやすい映画、いわゆる大作映画みたいなものに、ちょっと飽きてきているところがあるのかもしれないですよね。そういうものを観ることに、ちょっと疲れているというか。そうじゃなくて、もっと何でもない、他愛ない恋愛の話とかを観たくなったり。
ーーなるほど。アニメの世界において、いわゆる“セカイ系”から“日常系”に変化していったように、実写映画の分野でも、そういうことが起こっているのでしょうか?
小川:ただ、ロメールの映画を観ていると、その物語自体は明らかにすごい小さな世界の話なんですけど、そこで取り交わされる台詞を聴いていると、「世界の中心にいるつもりなの?」とか「世界の終わりだわ!」といった風に、“世界”という言葉が、意外と隅々に出てくるような印象もあって。すごく小さい内輪の話なのに、登場人物たちは、常に自分の“世界”と対峙しているというか。大きな目で見た“世界”というよりも、ひとりの人間のなかに深く広がっている“世界”のほうを掘り下げている作品という気はするんですよね。
ーーそこはある意味、フランス的な個人主義の表れなのかもしれないですね。
小川:そうですね。今、私自身が、そういう外側の世界より、自分の内側の世界みたいなものに、関心があるのかもしれないです。『緑の光線』を観ていて、ちょっと今の感じに近いのかもしれないなと思ったところがあって。あの映画の主人公も、何をやってもうまくいかず、いろいろ思い詰めてしまった若者という感じがするんですが、その閉塞感がどこか今、コロナ禍にある日本の若者たちのムードに、近いような感じがしたんですよね。もちろん、全然時代も違うし、国も違う話なんですけど、あの映画も不思議と等身大で観られるようなところがあって……。
ーーなるほど。自分が生まれる前に作られた映画を等身大で観られるのって、実はものすごいことですよね。
小川:そうですよね。映画って、やっぱり残って伝わっていくものじゃないですか。それこそ、映画というメディアの何よりの特色だと思います。ごく小さな個人の話なのに、普遍性のようなものが生まれて、時代や文化を超えて伝わっていくことは、やっぱり映画のすごく素敵なところだと思うんですよね。
――なるほど。ちなみに小川さんは、ザ・シネマメンバーズのような、数は少ないけれど、厳選された映画がラインナップされている映画配信サイトについて、どのように思いますか?
小川:すごくいいと思います。シネコンなどで映画のスケジュールを見るときもそうなんですけど、選択肢がありすぎて、ちょっと困るときってあるじゃないですか。そういうときに、上映している映画の数は少なくても、その一本一本のセレクションを信頼している名画座に行くことがよくあるんです。それと同じように、配信の世界でも、作品がどれだけあるかよりも、厳選されたものが並んでいる方がいいっていう人は、一定数いるんじゃないかと思うんです。そういう方たちにとっては、ありがたいサービスですよね。
――厳選された映画が並んでいるといっても、「まずはこれを観るべき!」みたいな圧が強いレコメンドではなく、その中のどれから観るのかは、視聴者が自由に選べるわけで……。
小川:そうですね。良い作品をたくさんが用意されていて「あとはご自由に」という気軽さが嬉しいですね。
>配信系ミニシアター ザ・シネマメンバーズはこちら
■配信情報
エリック・ロメール監督作9作
『満月の夜』
『パリのランデブー』
『飛行士の妻』
『緑の光線』
『レネットとミラベル/四つの冒険』
『友だちの恋人』
『木と市長と文化会館』
『美しき結婚』
『海辺のポーリーヌ』
ザ・シネマメンバーズにて配信中