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細野ゼミ 1コマ目(後編) 細野晴臣とアンビエントミュージック(後編)

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「細野ゼミ」メインビジュアル

活動50周年を経た今なお、日本のみならず海外でも熱烈な支持を集め、改めてその音楽が注目されている細野晴臣。音楽ナタリーでは、彼が生み出してきた作品やリスナー遍歴を通じてそのキャリアを改めて掘り下げるべく、さまざまなジャンルについて探求する連載企画「細野ゼミ」を始動させる。

ゼミ生として参加するのは、細野を敬愛してやまない安部勇磨(never young beach)とハマ・オカモト(OKAMOTO'S)という同世代アーティスト2人。第1回では、細野のキャリアを語るうえで欠かせない音楽ジャンルの1つ、アンビエントミュージックを題材に語り合ってもらった。前編では細野とアンビエントの出会いを掘り下げたが、後編では作品との関連性を紐解いていく。

取材 / 加藤一陽 文 / 望月哲 題字 / 細野晴臣 イラスト / 死後くん

アンビエントと精神性

──細野さんの中で意識的にアンビエント的な作品にしようと思って作った作品はあるんですか?

細野晴臣 「メディスン・コンピレーション」(1993年発表)かな。あともう1つくらいあったかも。

──いちリスナーからすると、80年代の諸作品からもアンビエント的な雰囲気を感じるところがあって。例えば「レコードの日」にカセットで再発される「花に水」(1984年発表)からもアンビエントの発芽を感じますし、85年に発表した「銀河鉄道の夜」「コインシデンタル・ミュージック」「マーキュリック・ダンス」「PARADISE VIEW」「エンドレス・トーキング」といった一連の作品からもアンビエントを感じるところがあって。

細野 前編でお話しした通りObscure Records周辺の新しい音楽はすごく気になっていたからね。YMOの中にそういう要素を入れていたんですよ。ただ、90年代になると自分の出番がなくなって閉じこもっちゃったんだよね。今と状況が似てるんだけど、ずっと1人で部屋にこもって黙々と音楽を作っていた。そのときに作っていたのがアンビエント。90年代の僕は世間からすればいないも同然だったから。

ハマ・オカモト 当時はどんな活動をされていたんですか?

細野 ひたすら制作をしてたね。ただ曲を発表する場もないし、ラジオでもかからないから誰が聴くんだろうと思いながら作ってた(笑)。

ハマ それこそ海に潜っているような感覚で。

細野 そうそう。それで陸が騒がしいなって。

安部勇磨 テクノに引っ張り上げられたんだ。

細野 当時はネイティブアメリカンに憧れて髪を三つ編みにしたりしてね。女装じゃなくて(笑)。

ハマ 髪が長かった頃の写真は拝見しましたが、三つ編みされていたんですね。

細野 そうこうしているうちに本当にネイティブアメリカンに会いに行く番組に出ることになって。そのときに髪を切ったんだよ。

安部 本物に会いに行く前に。

ハマ 「好きだねえ」って言われちゃうから。

細野 そうそう。一時期ネイティブアメリカンの文化がブームになって、白人青年がよく彼らに会いに行ってたんだけど、だいたい説教されちゃうんだって。「君たちはワナビー(なりたがり屋)だ」って。

ハマ それを知っていて細野さんは髪を切ったんですか?

細野 そう。ワナビーって言われたくなくて(笑)。

ハマ そういった精神性みたいな部分も含めて、アンビエントにのめり込んでいったんですかね。

細野 きっと音楽だけじゃないんだろうね。ちょうど20世紀が終わる時期で何かを見失ってたのかもしれない。それで陸の音楽にも興味がなくなっちゃった。そしてアンビエントから音響にだんだん目覚めていった。それ以前は音楽と環境音を融合させるという単純なことを試みていたんだけど、自分の中で音自体が音響化していった。ボクの中では今までやってきたことを90年代に全部リセットして忘れちゃった感覚がある。

ハマ 気持ち的にもそういう感じだったんですね。

──精神的な部分はどうしてもアンビエントとは切り離せない?

細野 そうだね。宗教とまではいかないけど、ニューエイジとは違う音楽的な世界というか。でもあの頃はみんなそんな感じだったな。面白いことが起こる前の状態というか、本当に海みたいになっちゃってた。

安部 精神性とか音響の話ってすごく興味深いです。

細野 僕が2000年代に聴いていたアーティストは音響派と呼ばれていたんだけど、その時代が一番面白い。

ハマ 音響派ですか?

細野 そう。最初はインストだったんだけど、歌モノが増えてきたり、そのうちフォーク系の人がやりだしたりね。

──フォークトロニカ的なものですかね。

細野 そう。音響的なアプローチでフォークをやったり。大きな意味ではアンビエントの流れの後ろのほうにあるものだよね。アンビエントから音響、エレクトロニカに至る流れというのは、桜前線みたいに北に上っていって。当時はアイスランドが面白かったね。ビョークの周辺にへんてこりんなバンドがいっぱいいて。

ハマ 確かビョークもバンド(The Sugarcubes)をやってましたよね。

細野 あとでわかったんだけど、アイスランドはその頃バブルだったんだよ。

安部 へえー!

細野 経済がダブついてくると、底辺みたいなミュージシャンも仕事ができるようになる。そうなってくると面白いミュージシャンが出てくるんだよ。案の定、アイスランドが経済破綻したあとは、面白いアーティストが出てこなくなっちゃった。

アンビエントの定義とは?

──ちなみにアンビエントの構成要素などは定義付けられたりしますか? 例えばシンセサイザーがなければ作り得ないとか。

細野 そんなことないな。人それぞれなんだよ。

──なんなら弾き語りでも?

細野 さっき言ったようにフォークでもいいんだから。ガレージでもいいし。

──必ずしもテクノロジーと並走しているわけではないという。

細野 もちろんパソコンは多用してるけどね。一番面白かったプラグインは「プラーゴ」。OS9対応だから今は使えない。

ハマ 細野さんはお持ちだったんですか?

細野 うん。教授がそこらへん詳しいんだろうけど、すごく難しいプログラムがあって、それを商業化したのがプラーゴ。パッケージが楽器屋に行くと置いてあるんだよ。で、それ以前はゲートを使って音を歪ませたりしてた。ノイズに目覚めたのはドイツ人の……名前が出てこない。その人が作る音楽はシンセサイザー中心のミニマルなエレクトロなんだけど、リズムに関係なく不定期にスクラッチノイズが入ってるの。不良品かなと思って聴いたら「いやいや、これは全部意図して入れてるんだ」と。「スクラッチノイズも含めて作品なんだ!」ってショックを受けて、天地がひっくり返っちゃった。音楽を超えてるなと思って。その人も日本に来てパフォーマンスをした。サラリーマンみたいな不思議な人だったな。

ハマ そういう人たちが日本に頻繁に来てる時期があったんですね。

細野 いろんな人が来たよ。

ハマ 精神性みたいな部分で日本に惹かれるところがあったんですかね?

細野 そんな深いものじゃないね。経済の流れだと思う。当時は日本もいろんな人を呼ぶ余裕があった。そういう意味ではすごくいい時代だったね。例えば、フィリップ・ジャンティというフランスのパフォーマーが年に1回は日本に来てくれたわけ。渋谷のパルコ劇場だったかな。それを観るのが楽しくて。でもある時期から、いろんな人が来れなくなっちゃった。最近はコロナでさらに来れなくっちゃったね。

コロナの時代に個を追及するスタイル

ハマ 細野さんがアンビエントや音響的な作品にのめり込んでいた時期、周りで一緒に盛り上がれる友達とかいたんですか?

細野 わりとそういうのを聴いている人は多かったと思う。ポップなものもあったし、いろんなタイプの音楽があったので、ひと言でアンビエントという色には染まらないというか。機材が安くなったり、自分の部屋で作るのがだんだん定番になってきて。その中で印象に残ってるのがStock, Hausen & Walkman。彼らも日本に来て、青山CAYでやったんだよ……もしかしたら呼んだのは自分たちだったかもしれないけど。忘れちゃった(笑)。

ハマ安部 あははは(笑)。

細野 なんか普通の兄ちゃんたちなんだよ。でもすごく面白い。今聴いても面白い。50'sのようなラウンジ系の音楽をエディットで聴かせるアーティストなんだけど。

ハマ それは面白そうですね。

細野 この前ラジオでかけてすごい反響があった。そういうものをひっくるめるとアンビエントってひと言では言えないけどね。どっちかというと僕は音響派と日本語で言うのが一番好き。

──音響派で括ると今の細野さんまでつながってくる気がしますね。

安部 音響派、カッコいいですね。

──細野さんがアンビエント的な作品を今作るとしたらどういう形で着手しますか?

細野 いや、もう作らなくていいよ(笑)。

ハマ安部 あははは(笑)。

細野 アンビエントというのは忘れていいと思う。この前びっくりしたんだけど、テイラー・スウィフトが「folklore」というタイトルのアルバムを出して。フォークロアというのは民族音楽を意味する言葉なんだけど聴くと当然民族音楽じゃない。でも、彼女的にはデビューの頃に戻ったんだろうなと。

安部 もともとカントリー出身ですもんね。

細野 1つの回帰運動みたいな。でも、その作品にBon Iverが参加していて。Bon Iverというのはタダ者ではなくて、彼(ジャスティン・ヴァーノン)の音を聴くと異常なんだよね。音響的でもあるし、ジャンルで括れないんだよ。その人を自分の作品に入れるというのはすごいなと。テイラー・スウィフトは、いわば商業ベースのグローバル的なアーティストじゃない? でも、Bon Iverは自分自身の中にあるローカルな音を追求してるアーティストで。テイラー・スウィフトみたいなアーティストが、そういう人と一緒に音楽を作ってるのが、ある意味今の時代を象徴しているなと思って。コロナの時代に個を追及するBon Iverみたいな面白いアーティストが台頭してきた。今後は個人的な音の追求がますます活発になってくるだろうな。これからのアンビエントってそういうことかもしれない。

細野晴臣サブリミナル効果

──前後編にわたってお話を聞いてきましたが、お二人は細野さんなりのアンビエント感はつかめましたか?

安部 ああ、やっぱり細野さんだ、みたいな。好きなことと向き合って楽しみながら作っているからこそ、皆さんが細野さんの音楽に惹かれるのかなと思いました。真面目にやればいいというわけではない。

ハマ アンビエントが、これまでやられてきたことの大きな部分を占めているんだな、というのがよくわかりました。

細野 うん、僕にとっても大事な時期だったかな。

ハマ 細野晴臣の音楽という部分をかなり担っているんですね。90年代に意識的にやっていた時期も、その前後もアンビエントが占めているんだなと思って、連載の第1回らしいなと。あと勇磨が言った通り、細野さんはその都度、興味のあるものや好きなものと純粋に向き合って自分の音楽に取り入れられているから、アンビエント的な作品を出しても「何これ?」とはならないんでしょうね。きちんとした流れがあるから。

安部 それ、すっごい思う。細野さんって何をしても細野さんなんだよね。で、聴く側にも免疫があるから。細野さんは自分が好きなことを常に追求していて、聴き手がそれを理解するという関係性がしっかりできあがってるんだなって思う。

ハマ 月日も大事だよね。続けてきてるからこそというのはあると思う。だから俺らも好きなことを追求し続けるしかないんだよ。

安部 そうだね。

細野 うん、それでいいんだよ。

ハマ あと細野さんのサブリミナル効果みたいなのは自分の中でずっとあるんだよね。だから何をやっても違和感がないというか。

安部 それ、わかる! 当たり前にある。

ハマ だから「万引き家族」のサントラも筋が通ってる。細野さんはあれをアンビエントとして作ってないと思うけど。

安部 僕、最近ずっと聴いてます。

細野 ホント?

ハマ その筋の通り方、細野晴臣サブリミナル効果を僕らは常に感じてるんです。

細野 邪魔じゃないかな?

ハマ そんな嫌なチラつきではないです(笑)。それはすごくあるんだなと、今日お話を聞きながら思いました。

細野 でも、みんなが突然アンビエントやり出したら似合わないよ。

ハマ 自分の中に源流がないから。

細野 アンビエントに飛ぶ前に、自分の音をいかに作っていくか。そこからみんなが喜ぶような音に変えてていく。音がやっぱり大事かな。今、僕も自分の音がダメだなと思っていて、ちょっと変えようとしてるんだけど。

「細野ゼミ」の卒論は……

ハマ 今日のお話を聞いた以上、アンビエントというものを前より意識するようにはなると思いますけど、いざ自分が作るかというと話は別ですよね。「アンビエントに挑戦!」って、めちゃめちゃダサいと思うので(笑)、それはやらないでおこうかなと。勇磨のほうが自然にやれそう。

安部 実は今そういうものを勝手に作ってて。YAMAHAのCS-60を弾きながら作ってるんですけど、お客さんに向けてとか、そういう気持ちでは作っていないんですよね。そういう意識になるとできないことも出てくるし。そうなってくると、もう個人でやるしかないのかなって。コロナ禍以降、気持ちに変化があって「音楽をやるってどういうことなんだろう?」って思いながら作ってるんです。それをいつか細野さんに聴いてほしいなと思ってるんですけど。

細野 それ聴かせてよ。

安部 えっ!

細野 この連載は「細野ゼミ」だから。提出して。

──言い忘れていましたが、この連載では最後に卒論もあります。

安部 えええ!

ハマ 卒論あるんですか(笑)。

──はい。卒論をクリアしないと卒業はできません。

ハマ じゃあ、一生提出しないようにしようかな(笑)。

安部 でも卒論を出して細野さんにちょっと怒られたい気もするな。「これはダサいよ」って言われたいかも。

ハマ それはそれでいいな(笑)。

──卒論の代わりに手紙を出すとかはダメですよ。

ハマ 直談判ですね。

細野 僕、大学の頃出したよ。

──それは反面教師ということで(笑)。

ハマ 次回以降は、僕と勇磨が交互に違う授業を受けるんですよね。

──その予定ではあったのですが、当面はゼミ形式で進められたらと思っています。その都度、細野さんと話してみたいジャンルなどがあれば事前にお聞かせください。

ハマ それをひねり出すのに悩んじゃうなあ。

安部 僕は細野さんの機材とかを見たいです。レコーディング風景とか、マイクと口の距離とか、そういうのを知りたい。シンセサイザーをどうやって録ってるのか、とか。

──卒論は曲作りとかにします?

安部 すごい!

細野 僕が添削するよ。

安部 赤ペンでピーッとか。

ハマ 細野さんが何か書くたびに怯えるという(笑)。

安部 でもうれしいかも。そんな機会はないから。

ハマ FedExで音源のファイル送ろうよ。メールじゃなくて。

安部 ははは(笑)。それか実技でいくか。

ハマ 連載のゴールとしてはめちゃめちゃいいですね。

細野 いいね。楽しみだな。

細野晴臣

1947年生まれ、東京出身の音楽家。エイプリル・フールのベーシストとしてデビューし、1970年に大瀧詠一、松本隆、鈴木茂とはっぴいえんどを結成する。1973年よりソロ活動を開始。同時に林立夫、松任谷正隆らとティン・パン・アレーを始動させ、荒井由実などさまざまなアーティストのプロデュースも行う。1978年に高橋幸宏、坂本龍一とYellow Magic Orchestra(YMO)を結成した一方、松田聖子、山下久美子らへの楽曲提供も数多く、プロデューサー / レーベル主宰者としても活躍する。YMO“散開”後は、ワールドミュージック、アンビエントミュージックを探求しつつ、作曲・プロデュースなど多岐にわたり活動。2018年には是枝裕和監督の映画「万引き家族」の劇伴を手がけ、同作で「第42回日本アカデミー賞」最優秀音楽賞を受賞した。2019年3月に1stソロアルバム「HOSONO HOUSE」を自ら再構築したアルバム「HOCHONO HOUSE」を発表。この年、音楽活動50周年を迎えた。2020年11月3日の「レコードの日」には過去6タイトルのアナログ盤がリリースされる。

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安部勇磨

1990年生まれ、東京都出身。2014年に結成されたnever young beachのボーカリスト。2015年5月に1stアルバム「YASHINOKI HOUSE」を発表し、7月には「FUJI ROCK FESTIVAL '15」に初出演を果たす。2016年に2ndアルバム「fam fam」をリリースし、各地のフェスやライブイベントに参加。2017年にSPEEDSTAR RECORDSよりメジャーデビューアルバム「A GOOD TIME」を発表した。2019年に4thアルバム「STORY」を発表し、初のホールツアーを開催。近年は中国、台湾、韓国、タイでもライブを行うなど海外でも活躍している。

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ハマ・オカモト

1991年東京生まれ。ロックバンドOKAMOTO'Sのベーシスト。中学生の頃にバンド活動を開始し、同級生と共にOKAMOTO’Sを結成。2010年5月に1stアルバム「10'S」を発表する。デビュー当時より国内外で精力的にライブ活動を展開しており、最新作は2020年8月にリリースされたテレビアニメ「富豪刑事 Balance:UNLIMITED」のエンディングテーマ「Welcome My Friend」を収録したCD「Welcome My Friend」。またベーシストとしてさまざまなミュージシャンのサポートをすることも多く、2020年5月にはムック本「BASS MAGAZINE SPECIAL FEATURE SERIES『2009-2019“ハマ・オカモト”とはなんだったのか?』」を発売した。

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