アピチャッポンが新作映画語る、富田克也らの「バンコクナイツ」を“個性的”と称賛
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トークシリーズ「アジア交流ラウンジ」の様子。左からアピチャッポン・ウィーラセタクン、富田克也、相澤虎之助。
トークシリーズ「『アジア交流ラウンジ』アピチャッポン・ウィーラセタクン×富田克也・相澤虎之助」が本日11月3日に東京都内で行われた。
第33回東京国際映画祭の新企画であり、アジア各国・地域を代表する映画監督と日本の第一線で活躍する映画人が語り合う場としてスタートした「アジア交流ラウンジ」。3回目となる今回はアピチャッポン・ウィーラセタクンがリモートで参加し、会場には映像制作集団・空族のメンバーである富田克也、相澤虎之助が出席した。
コロンビアで撮影した最新の映画作品「Memoria(原題)」の最終仕上げに取り掛かっているとウィーラセタクンが話すと、富田は「タイトルを聞いただけで、めちゃくちゃ楽しみなんです」と反応。ウィーラセタクンは「記憶という意味の題名ですが、コロンビアで“記憶”というと即座に暴力の歴史、過去と結び付くんですよ。軍事衝突で政権が不安定だった頃に直結するようなタイトルですね」と述懐した。
自身もコロンビアを訪れたことがあるという富田は、同地を舞台にした理由を尋ねる。ウィーラセタクンは「文明と古い歴史に興味がありました。計画があって行ったわけではないのですが、この地を選んでよかったです。目を開かされるような経験で、違う文化に身を置くことによって新たな視点を持つことができました」と振り返った。「パッと目を開かされるというのは一番大切な部分だと思います」と同意したのは相澤。「僕が脚本を書くときは、出会った人たちの中から言葉をいただいていくような作業をします。人との出会いの中で物語は生まれていくんです」と述べた。
タイやラオスで長期滞在をしながら「バンコクナイツ」を制作した富田は「僕たちは日本で生まれ育ちました。日本ももちろんアジアの一部ですが、東南アジアを長く旅したことは、もう一度アジアを客観視して見直す機会になりましたね」と話す。ウィーラセタクンも「Memoria」の撮影を振り返り、「私はコロンビアの人間ではないので、あくまでも部外者の目線でしか状況を把握できない。ただ訪れた印象、天候、建築、聞こえてくる音、そういったものから暴力の歴史や記憶というものが感じ取れました」と語った。続けて「外国で映画を撮るのはいろいろと厄介な点がありますね。土地には文化、物語、記憶がある。そこに住んで経験しないと、できる表現には限りがあります。ですので今回はコロンビア人のプロデューサーにコンサルタントをしてもらったんです」とも述べた。
またウィーラセタクンは「バンコクナイツ」について「深く歴史にまで入り込んだ、タイの人々が抱える不安をも感じ取れるような作品でした。明らかにリサーチを重ねている、非常に勇敢で根性の入った映画です」とコメント。さらに「映画の後半、タイの東北部に舞台が移ってからはより個性が際立っていました。事実の部分と記憶や歴史の部分が交錯してきて、幽霊まで出てくる。タイでは見られないタイプの有機的な映画で、層のように重なり合うような……。外国人から見た発見というものが投影されていますね」と称賛した。
富田は「外国で撮影する際はまず非日常の中に身を投じることになりますが、長く住むことで非日常が日常になっていきます。非日常の段階で撮ると表現的な部分でミスをしてしまうのではと思い、長い時間をかけたんです。ただ後半で肝になる部分は、実は非日常的な段階で感覚的に捉えたものだったと思います」と返答。「非日常というものは長く続かないですが、人間の細胞の中の記憶に触れるようなものをそのときに感知できるような気がしています」と言い、「ピー・ジョー(※富田によるウィーラセタクンの愛称)の映画を観ていると、そういった表現が必ず出てきますよね」と続けた。
終盤には、今後の制作計画について質問が飛んだ。富田は「次回作をやろうと言い始めた段階でコロナ禍に突入してしまったんです。でもここで無理やり書くのはやめて、この状況を注視しておこうとストップしました。ということで、今の状況が次の題材になっていくと思います」と答える。相澤は「実はコロナ前に台湾に行っていました。台湾でやりたいなと思っていたのですが、やはりストップに。でもチャンスがあればこのまま続けて行きたいと思っています」と明かした。
「舞台『フィーバー・ルーム』のパート2と呼べるものを作る」と話したのはウィーラセタクン。「自分の育った時代と今の新世代との比較をしたい。考えや信条の変化、今回の政治蜂起活動にも関連付けたいと思っています。映画に関しては、知性の高い海洋生物に関わったものをテーマとして考えています」と話して期待をあおり、イベントの幕を閉じた。