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アニエス・ヴァルダ『顔たち、ところどころ』から読み解く、「ヌーヴェル・ヴァーグの祖母」の教え

映画

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リアルサウンド

 今年で90歳を迎えたアニエス・ヴァルダ。ヌーヴァル・ヴァーグを支えた数少ない女性監督のヴァルダは、最近では「ヌーヴェル・ヴァーグの祖母」なんて風に呼ばれているが、彼女の作品はいつも少女のようにみずみずしい。なかでも、近年のドキュメンタリーは、まるで映像で綴ったエッセイのように軽やかで、飄々としていて、そこには社会や人間に対する鋭い洞察力がキラリと光っている。最新作『顔たち、ところどころ』も、そんなヴァルダならではの眼差しと円熟した演出が味わえる作品だ。

【画像】劇中のヴァルダとJR

 今回、ヴァルダがパートナーに選んだのは、フランスの写真家でグラフティ・アーティストのJR。10代の頃からグイラフティを始めたJRは、自分や仲間達が手掛けたストリートアートの写真を撮り、それを街の壁に貼るというスタイルで注目を集めた。そして、生まれ育ったパリを飛び出すと、ブラジル、パレスチナ、東日本大震災直後の日本など、世界中を駆け回ってきた。そんな気鋭のアーティストとヴァルダを引き合わせたのは、ヴァルダの娘、ロザリーだ。その経緯は映画のなかでも語られるが、2015年にロザリーはJRに「母と一緒にお茶でも飲みませんが」と引き合わせ、2人はすぐに意気投合。何か一緒に映像作品を制作することにする。それが『顔たち、ところどころ』だ。

 ヴァルダはJRにフランスの田舎を旅することを提案。街を舞台に活動していたJRにとって田舎は未知の領域だった。2人はJRのフォト・トラックに乗って旅に出るが、このフォト・トラックというのがユニーク。移動撮影スタジオのような機能を持っていて、車内で撮影をして、その場で巨大な写真をプリントアウトすることができる。二人はこの秘密兵器を使って、旅先で出会う様々な人達と交流を深め、JRが写真を撮る一方でヴァルダは被写体にインタビュー。そして、出来上がった巨大な写真を貼り出すと、その写真が彼らの人生を語りかけてくるのだ。

 アニエアスとJRが声をかけるのは、その土地に根を張って生きる名も無き人々。たとえば、小さな村で唯一人の郵便配達夫や、ヤギを飼う畜産農家、科学工場で働く労働者など。そんな彼らの巨大な写真は、彼らの人生や存在を力強く肯定しているようで、自分のポートレートを見る人々は笑顔を浮かべて誇らしげだ。かつでデヴィッド・ボウイは「僕らはヒーローになれる 一日だけなら」と歌ったが、彼らにとってヴァルダとJRとの出会った日が、その記念すべき一日なのだ。

 そんななか、ヴァルダらしさを感じさせるのが、閉山した炭坑に炭坑作業員用住宅の最後の住人、ジェニーヌや、スト中の湾岸労働者の3人の女性達など闘う女性達の写真だ。そこには、男女同権を主張してきたヴァルダのブレない姿勢を感じさせる。山積みされたコンテナに大きな女性湾岸労働者の写真を貼り出したヴァルダは、「あなたたちを大きな彫像みたいにして、“男の世界に乗り込んできた女たち”という風に見せたいの」と語るが、“男の世界に乗り込んできた女”とは、半世紀前に映画の世界に乗り込んだヴァルダ自身のことでもある。

 映画はロードムービー形式で進んでいくが、そこに心地良いリズムを生み出しているのがヴァルダとJRのユーモラスな掛け合いだ。撮影時、ヴァルダは87歳でJRは33歳。実に54歳もの歳の差がある男女が、一緒にはしゃいだり、時には不機嫌になったりしながら、絆を深めていく姿が微笑ましい。そして、そんなやりとりを通じて浮かび上がってくるのが“歳をとること”。JRが楽々と登れる階段もヴァルダにはひと苦労。また、ヴァルダの視力が衰えてきたことも映画のなかで触れられ、彼女の眼がどんな風に見えているのかを観客に体験させるシークエンスもある。この映画自体が、ヴァルダの今を記録したポートレートになっているのだ。

 だからこそ、この映画には市井の人々の人生同様、彼女自身の人生の断片もまた散りばめられている。2人は、かつてヴァルダが親しかった人達、ナタリー・サロート(小説家)やアンリ・カルティエ=ブレッソン(写真家)ゆかりの土地を訪れるが、50年代にギイ・ブルダン(写真家)と一緒に訪れたノルマンディーの海辺の村ではひと仕事。断崖から海岸に落ちた第二次世界大戦時の要塞の壁に、ヴァルダが54年に撮影したブルダンのポートレートを貼り付ける。若かりし頃のブルダンが巨大化して海辺に佇む奇妙な風景を見ていると、まるでヴァルダの記憶のなかに迷い込んだようだ。そして、ヴァルダの個人史をめぐる旅で重要な役割を果たしているのが、ヌーヴェル・ヴァーグの時代に刺激を与え合った旧友、ジャン=リュック・ゴダールだ。

 常にサングラスをかけ、決して人前では外さないJRの風貌はゴダールを思わせるが、JRはゴダールに興味津々。ヴァルダにゴダールについて訊ねたり、ゴダールの代表作『はなればなれに』の名シーンをマネして、2人でルーブル美術館を駆け抜けたりもする。そして、アニエスは一緒に映画を作ってくれたお礼にと、JRにゴダールの家を訪ねることを提案。ゴダールの家が2人の旅の終着点になるのだが、果たして彼らはゴダールに会うことができるのか……。映画ファンならドキドキする展開だが、そこには思いも寄らぬ(と同時にゴダールらしいともいえる)結末が待ち受けている。そして、その“アクシデント”が美しいラストへと繋がるところに、アニエスの優しさを感じた。

 ちなみに巨大ポートレートは数日で剥がれてしまい、ブルダンのポートレートにいたっては一晩で波に洗われて消えてしまったらしい。その儚さは、一期一会を繰り返すアニエスとJRの旅に通じるところがあるが、巨大ポートレートを貼り出すことで出会った人々の「顔たち」は鮮明に記憶に残る。人と人を繋ぐコミュニケーションの手段として、そして、人々の人生を照らし出す輝きとして、グラフティというアートを使ったアニエスとJR。アートは美術館で楽しむ高尚な趣味ではなく、人生を豊かにしてくれるもの。それが「ヌーヴェル・ヴァーグの祖母」の教えなのだ。

(村尾泰郎)