TEAM NACSの真髄がここに! 『PARAMUSHIR ~信じ続けた士魂の旗を掲げて』に込められた夢
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「PARAMUSHIR」。一読しただけでは何と読んでいいのかわからない。このタイトルにこそ、原案・演出を担当した森崎博之の想いが込められている。
8万枚のチケットが即日ソールドアウト。「日本一チケットがとれない」という枕詞もすっかりおなじみになったTEAM NACSの最新舞台『PARAMUSHIR ~信じ続けた士魂の旗を掲げて』のBlu-ray&DVDが9月26日より発売される。
改めて説明すると、TEAM NACSとはリーダーの森崎博之、そして安田顕、戸次重幸、大泉洋、音尾琢真による演劇ユニットだ。北海学園大学演劇研究会に所属していた5人が、1996年、森崎・安田の卒業・就職を記念し、旗揚げにして解散公演『LETTER ~変わり続けるベクトルの障壁』を敢行。その後、東京でサラリーマンをしていた森崎が仕事を辞めて札幌に帰ってきたことから、1997年、復活公演『RECOVER ~描き続けるもうひとつの結論』を上演。アマチュアの学生団体だったTEAM NACSはプロへの道を歩みはじめ、やがて全国で公演を打つ人気ユニットへと成長していく。
あまり舞台に馴染みのない方にとっては、演劇集団というよりも、伝説のバラエティ番組『水曜どうでしょう』での活躍だったり、個々がドラマや映画で存在感ある演技を披露している姿の方が印象深いかもしれない。だが、やっぱりTEAM NACSのホームは舞台。それもこの『PARAMUSHIR ~信じ続けた士魂の旗を掲げて』には、普段はなかなか見られない、また別のTEAM NACSの顔がたっぷりつまっていた。
●終戦の影に隠された、男たちの最後の戦い
物語が始まるのは1945年8月15日。日本がポツダム宣言を受諾し、長きにわたった戦争が終結した日だ。流れる玉音放送。日本の降伏を知り、ある者は悔し涙を流し、またある者は家族のもとへ帰れる喜びに安堵する。戦争は終わった。もう誰も血を流すことも命を落とすこともない。そう信じ、兵士たちは武器を捨てた。
だが、そんな歴史の裏側に、私たちの知らない事実があった。それが、物語の舞台となる占守島、そして幌筵島――千島列島の東にある、馴染みのない人間にとっては読み方さえ判然としないこの孤島で、人知れず戦火が上がろうとしていた。武装解除した兵隊と住民のもとへ侵略してきたのはソ連軍の大部隊。日本がポツダム宣言に正式調印する前に千島列島を奪い、そこを足がかりに今度は根室から北海道へと進撃しようとしているのだという。
副題にある「士魂」とは、当時実在した戦車第11連隊の別称だ。「11」は縦書きにすると、「士」。そこから「士魂部隊」という日本らしい名前がつけられた。玉音放送から3日後の8月18日、突如上陸したソ連軍に彼らは愕然とする。もう戦争は終わったはずではないのか。なぜ敵国ではないソ連軍が攻撃を仕掛けてくるのか。疑問と混乱に打ちのめされながらも、彼らは、一度は捨てたはずの武器を再び持って立ち上がる。愛する北海道を守るため、大切な家族を守るため。言わずと知れた北海道の大スター・TEAM NACSが、故郷の北海道を守った英雄たちを演じるという、その筋書きに胸が熱くなる。
●コミカルなTEAM NACSが見せた、男の渋みと悲哀
一般的にTEAM NACSと言えば、コミカルなイメージを持っている人の方が多いだろう。だが、本作ではそうしたパブリックイメージは敢えて封印。地元・北海道に語り継がれる知られざる歴史の1ページを、男の渋みと悲哀たっぷりに演じている。
特に胸を打つのが、男5人の友情だ。本作は総勢20名の出演者で構成されているが、メインとなるのはTEAM NACSの5人。それまで特に深い関わりのなかった5人の兵士が、ソ連軍の侵攻を食い止めるべく行動を共にする。頬のすぐ横をかすめる砲弾の嵐。次々と倒れる仲間たち。死と隣り合わせの状況下で芽生える男たちの絆。扱う題材は悲劇だが、根底に人間らしい温かさと笑いが横たわっているところがTEAM NACSらしい。
立場こそ上だが戦地での経験がなく、まるで頼りにならない小宮勝四郎少尉(森崎博之)。凄絶な戦争体験ゆえに精神を病み、廃人と化していた桜庭仁平上等兵(安田顕)。戦地にいながらも陽気さを忘れず、何かあるたびに下手くそなハーモニカを吹く田中誠二等兵(戸次重幸)。終戦を境に愛する家族のもとへ帰ることを願う水島哲軍曹(大泉洋)。対照的に、ソ連軍の侵攻を知るや率先して戦線に赴くことを志願する矢野正三整備兵(音尾琢真)。
性格も、生育環境も、戦争に対する考え方もまるで違う5人が、反目しながらも、少しずつ心を通わせ合う一夜の語らいが、その優しさと切なさが、こうして文字にするそばから目の前に甦ってくる。
●観客の心を震わせた、名優・安田顕の至高の演技
中でもキーパーソンとなる桜庭役の安田顕の演技が忘れられない。桜庭は、この中で最も絶望を知る人物だ。感情が壊れ、生きる気力を失っている。まさに魂の抜け殻としか言いようのないその心理状態を、安田はまるで微動だにしない眼球と、全身の力が尽き果ててしまったような立ち姿で表現する。そして、そこから発せられる声は、普段の“ヤスケン”とはまったく違う。低くしわがれ、まるで喉が絶望の業火で焼かれてしまったようだ。感情を一切排し、地獄から届いた死刑宣告を読み上げるように、自らの戦争体験を語る桜庭。その淡々とした気迫に、劇場じゅうの空気が硬直する。
彼には、もう生きる目的などないように見えた。それでも彼が病院を抜け出し、再び戦場へ駆り出たのは、自らの死に場所を求めたからか。そんなふうに見えた。だが、違う。桜庭の心は、壊れてなどいない。廃人でも狂人でもない。優しい人だ。ユーモアと思いやりにあふれた人だ。彼が叫ぶようにして訴えた本当の目的に、涙がこぼれて止まらなかった。
演劇ならではの表現も工夫に富んでいた。思わず肌が粟立ったのが、同じく桜庭が戦地での体験を語る場面。桜庭のモノローグを背景に、アンサンブルの役者たちが舞台に設えられた戦車に這うようにしてまとわりつく。そのさまがまるで死屍累々のようで、あまりのおぞましさについ息を呑んでしまった。今でこそプロジェクションマッピングなど様々なテクノロジーが舞台でも頻繁に用いられているが、本当に観客の想像力を刺激するのは、こうした極めてアナログなアプローチなのだということを、改めて思い知らされる名シーンだった。
●絶望の中で夢見た、叶うはずのない未来
そして、胸が苦しくなるようなストーリー展開だからこそ、TEAM NACSらしさを彷彿とさせる台詞に微笑ましい気持ちが広がる。劇中、水島はこの5人を指して「なかなかいいチームだ」と表現する。そして、「もし生き延びることができたら、この5人で巡業でもしないか」と持ちかける。5人が夢想した、きっと叶うことはないだろう未来が、TEAM NACSに重なる。
さらに、物語は最後に50年後の1995年へと飛躍する。終戦から50年という節目に5人のドラマは決着のときを見るのだが、冒頭で説明した通りTEAM NACSの始動は1996年から。この物語のエンディングの1年後にTEAM NACSのストーリーが始まるのだ。この符合に、胸が高鳴らずにはいられない。
歴史の中に埋もれた小さな島で出会った5人は、時を超え、彼らが守った北海道の肥沃な大地で生まれ、育ち、再びめぐり会い、チームとなって、あの日見た夢を叶えたのだ。彼らが掲げた士魂の旗は今、「TEAM NACS」と名前を変え、日本中に笑いと感動を届けている。(横川良明)