『私をくいとめて』から考える“新しい恋愛ストーリー像” いかに女性が“変わらない”でいられるか
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オタク女子の恋愛模様から同時代、同年代の女性の自意識を反映させた映画『勝手にふるえてろ』は、新たな波を感じさせる作品だった。その原作の綿矢りさ、大九明子監督によるコンビがふたたび実現し、さらに、のんを主演に迎えて放ったのが、本作『私をくいとめて』だ。今回も現在を生きる女性の感覚を色濃く感じる内容となっている。
のんが演じるのは、東京の会社に勤めながらひとり暮らしをしているアラサー女子の黒田みつ子。脳内の相談役“A”と会話しながら日常を平穏に送るという生活を送り、“おひとり様”を満喫している彼女は、長らく恋愛から遠ざかっていたが、取り引き先の年下の営業マン多田くん(林遣都)と近所で出会い、うかつにも恋心を感じてしまう。久々の恋愛感情に戸惑いながら、料理をもらいにくるようになった多田くんは、果たして自分のことをどう思っているのか……。“A”からアドバイスをもらいつつ、みつ子はぐるぐると思い悩むようになっていく。
特徴的なのは、この主人公をのんに演じさせているという点だろう。前述のようなあらすじを知ると、たしかにアラサーに手がかかっているとはいえ、林遣都よりも実際には歳下であることや、まだ少女のようなあどけなさを残している彼女には、この役はそぐわないのではないかと感じられてしまうところもある。しかし、本作『私をくいとめて』の内容を理解していくと、のんがみつ子役に相応しい理由がだんだん分かってくる。
本作の設定からは、アラサー女子に迫る“結婚へのタイムリミット”に右往左往する姿を追うことで、観る者の不安を喚起させるようなTVドラマ『東京タラレバ娘』(日本テレビ系)みたいな作品なのではないかと思わせるところがある。しかし、むしろ描かれるテーマは、結婚に焦る女性の奮闘という、保守的といえる価値観とは真逆のものだ。
みつ子は仕事では雑務やサポート、時代にそぐわないお茶出しなどの業務に忙殺されていて、何度も会社を辞めようと思っている。彼女がそこで気力や自尊心を失わずに踏ん張れたのは、同じような境遇の先輩が勇気づけてくれるからだ。その先輩もまた後輩のみつ子を心の拠りどころにしているのだろう。このように女性同士で助け合いながら、ギリギリの状態でみつ子は日々をやり過ごしているのだ。
みつ子はプライベートな時間では、行ってみたかったカフェや焼肉屋で“おひとり様”をエンジョイしたり、洗濯機の水流の音と大瀧詠一の音楽を同時に聴いて癒されるという独自の方法でリラックスしたりしている。主に会話する相手は、自分の妄想のなかに存在する“A”だ。このようにイマジナリーフレンドと話してばかりいる姿を見ていると、みつ子をユニークな人物だと思いつつも、同時にさみしい可哀想な人物だと思えてしまうところがある。だからこそ、そんな彼女が久しぶりに出会った意中の男性との恋愛に、観客は思わずエールを送りたくなってくる。だが、果たして本作はそういう単純な恋愛話なのか。
なぜわれわれは彼女のことを“さみしい可哀想な人物”だと思いがちなのだろう。それはわれわれが一般的な“幸せのイメージ”に囚われてしまっているからではないのか。みつ子が“おひとり様”生活をエンジョイし、脳内の相談役と会話しながら一生を送り寿命を全うしたとして、何の不都合があるのか。もしそんな彼女が幸せになれないのだとしたら、それは社会通念が彼女の状態を幸せだとは認めておらず、そういった価値観や、周囲の人々が彼女を追い詰めてしまうからではないのか。
複雑なのは、みつ子自身は一緒に暮らしたりするようなパートナーを欲しいという気持ちを、じつは持っているというところだ。しかし、そういう願望を自分のなかで制御してしまっている理由は、自分の“市場価値”について自信がなくなっているからというわけではない。むしろそのような世間の価値基準こそが、彼女が“おひとり様”ライフを送るようになった要因になっているということなのだ。その根拠となるものは、みつ子と多田くんとの仲が進展することで顕在化していく。
本作がただアラサーの崖っぷち恋愛ドラマだったとすれば、“ハイスペックな”多田くんと親密な関係になった時点で「ラッキー!ハッピー!大勝利!」といった雰囲気でラストを迎えることになるだろう。だが本作は、逆に深刻な空気が濃くなってくる。その背景にあるのは、みつ子のなかの社会に対する圧倒的な不信感である。
世界経済フォーラムが発表している「ジェンダー・ギャップ指数」では、日本は153カ国中121位という不名誉な順位に甘んじていて、アジアの中でも中国や韓国に遅れをとっている。このデータが示すのは、日本の労働環境や社会の仕組みは、基本的に女性にとって非常に厳しいものになっているというこだ。このような社会状況を肌で実感し、男女格差やセクハラに問題意識を明確に感じる女性というのは、少なくとも日本においては、おそらくアラサーくらいからが多くなってくるのではないだろうか。みつ子のそんな感情を具体的に示しているのが、温泉旅館でハラスメントを目の当たりにして強いストレスを感じるシーンである。
本作が描くのは、そんな状況に対する等身大の女性の絶望と疲弊であり、不利なルールで行われるゲームからのドロップアウトである。みつ子はそんなゲームにもう一度チャレンジしてみようとするが、かつて途中まで進めたゲームをふたたびプレイすることで、ふたたび不安が顔を見せ始めるのだ。
多くの物語は、主人公が成長して自分のなかの問題を解決することで前に進んでいく姿が描かれる。だが男女格差などの問題が山積している社会に生き、そのことを強く意識できている女性にとって、果たしてそのような物語が有効に機能するだろうか。例えば、学校のクラスにいじめが存在する場合、いじめられている当事者が自分の問題を解決する必要があるのか。そして、それがいじめを解消することに役立ってくれるのか。むしろ、成長して変わらなくてはならないのは、いじめを行っている側であり、それを許してしまっている学校なのではないだろうか。
黒田みつ子という女性が恋愛に対して臆病になっているのは、すでに社会から傷つけられ絶望しているからであり、彼女が成長できていないからではない。そして彼女の不安を取り去ることができるのは、パートナーの誠実さであり、彼女と連帯することのできる人々の存在なのではないか。社会の側が歩み寄らないのなら、自動的に彼女はおひとり様になるだけなのである。“A”というもう一人の自分は、もはや自分自身の判断や基準しか信じられなくなった、みつ子の外部への不信感を象徴しているのだ。
自分を社会やパートナーの好みに合わせ、彼らにとってチャーミングな存在になるのではなく、むしろ社会の側がまず歪みを矯正することで信頼を回復する必要があるんじゃないかという強い疑問や憤りが、本作の至るところから顔を出している。だから、世間が認める男性と付き合うことは、本作のゴールにはならない。ステータスを求めることは、むしろ自分を追い詰める側の価値観を補強してしまうからである。その意味において、世の中や男性に対する絶望から、みつ子が回復していくことで、もう一度世界を信頼してもいいと思える瞬間こそが、本作のハッピーエンドになり得るである。のんが本作の主人公だとしても違和感を与えられないのは、本作がステータスを基準とする価値観から脱却したいという意志を持っているからではないだろうか。
また、『あまちゃん』で共演していた橋本愛とのツーショットがふたたび見られるというのが、本作の目玉の一つとなっている。橋本の役は、みつ子の学生時代からの友人であり、いまは結婚してイタリアに住んでいる女性である。彼女に会いに行ったみつ子は、イタリアでそれなりに充実した旅行を経験するが、よくよく考えてみると、自分は彼女のダシにされたのではないかと反感を感じることになる。
ヨーロッパの先進国のなかでは人種差別や女性差別がまだまだ根強いところがあるイタリアだが、それでもジェンダーギャップ指数は76位であるなど、日本と比較すれば先進的な考えが通用する国である。ここに居を構えて毎日を過ごしている、みつ子の友人は、自分が見限った日本でみつ子が相変わらず押しつぶされそうになっているのを確認して、自分の正しさを確認したかったのではないか。
このように、外部の価値観との対比を含めながら、本作が真に映し出していたのは、女性たちの生きる姿を通すことで姿を表す、社会の実相なのである。そこで女性たちは変化を求められるが、何を変えるのか、何を変えないのかが重要なテーマになり得る。そして、このような状況における新しい恋愛ストーリーとは、“いかに女性が変わらないでいられるか”ということに焦点が定まっていくのではないだろうか。
現在のアメリカでいま読まれている日本の古い作家は、樋口一葉だという話題を最近目にした。本作のテーマにおける『たけくらべ』との共通点は、やはり社会環境のなかで変わらざるを得ない理不尽に対する、女性である作者の憤りだ。日本でも、創作においてこのあたりがこれからの関心事になっていくことは充分考えられるだろう。
■小野寺系(k.onodera)
映画評論家。映画仙人を目指し、作品に合わせ様々な角度から深く映画を語る。やくざ映画上映館にひとり置き去りにされた幼少時代を持つ。Twitter/映画批評サイト
■公開情報
『私をくいとめて』
全国公開中
原作:綿矢りさ『私をくいとめて』(朝日文庫/朝日新聞出版刊)
監督・脚本:大九明子
音楽:高野正樹
劇中歌:大滝詠一「君は天然色」(THE NIAGARA ENTERPRISES.)
出演:のん、林遣都、臼田あさ美、若林拓也、前野朋哉、山田真歩、片桐はいり、橋本愛
製作幹事・配給:日活
制作プロダクション:RIKIプロジェクト
企画協力:猿と蛇
(c)2020『私をくいとめて』製作委員会
公式サイト:kuitomete.jp
公式Twiter:@kuitometemovie