『ソウルフル・ワールド』が伝える人生の醍醐味 ジャズミュージシャンの物語になった理由とは
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「音楽は空気の中に消えていき、二度と取り戻すことはできない」(ジャズプレイヤー エリック・ドルフィー)
ジョン・ラセターがピクサー・アニメーション・スタジオを去ったいま、ジェニファー・リーとともにピクサー作品を統括する役割を担うことになったのがピート・ドクターだ。数々のピクサー作品に参加してきた彼が監督を務めた『インサイド・ヘッド』(2015年)は、ピクサーを代表する作品の一つとなった。その公開から5年、新たにピート・ドクターが監督として名前を連ねた『ソウルフル・ワールド』は、これまで以上に大きな期待を背負う作品となった。
しかし本作はコロナ禍のため、同年公開のディズニー映画『ムーラン』と同様、配信作品となってしまった映画でもある。ここでは、そんな『ソウルフル・ワールド』の魅力や、最もエキサイティングな挑戦とは何だったのかを、内容や他の作品との比較をしながら、じっくりと考えていきたい。
『モンスターズ・インク』(2001年)、『インサイド・ヘッド』の監督を手がけているほか、『トイ・ストーリー』シリーズ、『ウォーリー』(2008年)、『カールじいさんの空飛ぶ家』(2009年)の原案を務めた事実から分かるように、ピート・ドクター監督の持ち味といえば、その“奇想”ともいえる個性的な発想力である。以前、ピクサー・アニメーション・スタジオの探訪映像を見たときに、スタジオ内のスペースでよくピート・ドクター監督が瞑想をしていると紹介されていたのが印象的だった。
今回描かれるのは、やはり彼の奇想が活かされた、奇妙な世界と日常の世界が影響し合う物語だ。主人公となるキャラクターは、ニューヨークのジャズクラブでプロのジャズミュージシャンとして演奏することを夢見る音楽教師ジョー・ガードナー。子どもたちに演奏を教えるだけの仕事に不本意な感情を抱いていたジョーは、ついに憧れのミュージシャンとともにジャズクラブでピアノを弾くチャンスに恵まれる。子どもの頃からの夢を目の前にしたジョーだったが、天にも昇る心地で道を歩いていると、不注意でマンホールの穴から落下。肉体から抜け出た魂だけの存在となり、心ならずも死後の世界への入り口にやってきてしまう。
死後の世界から逃げ出したジョーが迷い込んだのは、これから人間に生まれる魂たちが存在している場所だった。そこではめいめいの魂が自分の個性を育てていて、人間の体に吹き込まれる準備をしていた。すでに亡くなり、人間として業績をなした著名な魂たちがメンター(助言者)として、魂の形成を助けるというシステムもある。ジョーはそのメンターになりすまして、いつまでも人間になりたくない魂“22番”の指導を担当しながら、自分の体に戻る方法を模索し始める。
このように、誰もが経験する出来事(この場合は、死や出生)のなかに“実際にはあり得ない”奇想が紛れこんでいるのがピート・ドクター作品の特徴だといえよう。『モンスターズ・インク』や『インサイド・ヘッド』で描かれた世界やシステムと同様、そんなものが現実に存在するわけはないのだが、設定やビジュアル面など極限までディテールを豊かにすることで、観客を納得させてしまうのだ。
本作で描かれるジョーが生きていた世界(現世)は、ピクサーのこれまでのノウハウが発揮され、驚くほどの情報量によるリアリスティックな世界がディフォルメされたかたちで表現される。なかでもニューヨークの街の、“混沌”といえる複雑な描写は圧倒的だ。対して魂の世界は、手で描いたようなシンプルな線でキャラクターや背景が表現されている。だがよく見ると、こちらでも3DCGやエフェクトによる繊細な加工が施されることで、テイストの落差を感じさせながらも、作品全体に調和をもたらしている。
『インサイド・ヘッド』の精神の世界と現実の世界との対比と同様に、この二つの世界のテイストの違いには、アニメーションの世界の中でさらに実写とアニメーションのような世界が展開されていると感じられる面白さが備わっているといえよう。この表現を見ていると、「そもそもアニメーションとは何か」という、一種哲学的ともいえる根源的な疑問を喚起させられるところがある。
風が体にあたる感触や、ピザを食べたときの味わいや舌触りなど、感覚や体験に満ち溢れている現世。感覚を持つことのできる身体が存在せず、概念や思考のみがある“魂の世界”。本作で流れる、即興性が重要な要素となるジャズと、電子機器や打ち込みを介してもたらされるエレクトロニックサウンドは、それらの差異を象徴するものとして意識的に配置される。この二つの“世界”を観客に体験させることで、本作は“生きる意味”という哲学的な問題に行き着くことになる。
ジョーは子ども時代にジャズとの劇的な出会いを経験し、それを自分の“Spark(きらめき)”だと考えるが、本作の設定では、じつはそのような個別の特性は生まれ出る前から魂が固有に獲得していたものだと劇中で説明されている。ジョーと22番はそれぞれに肉体を得て現世にやってくることになり、22番は様々な体験そのものにしみじみとした感動を覚えるが、ジョーはそんなものは“ただの生活”であって、それ自体は生きる理由にはならないと語りかける。彼は自分がプロのジャズプレイヤーになるために生まれてきたという信念に突き動かされていて、目的が達せられなければ、“自分の人生には何の意味もない”と考えているのだ。
しかし本作は、「果たして“それ”が本当に“生きる意味”なのか?」という疑問を投げかける。劇中でも描かれるように、ジョーは自分の夢を叶え素晴らしい演奏を披露するが、客が帰った後のジャズクラブから外に出たとき、想像していたほどの感動には包まれてはいないことに気づく。なぜなら、目標に到達した後も人生は続いていくからだ。夢が叶ったのなら、次の夢を考えればいい。しかし、次の夢を叶えるまでの努力が実らなければ、それは無駄な努力だといえるだろうか。同様に、ジャズミュージシャンになれなかったとしたら、それまでに費やした努力は無駄だったといえるだろうか。もちろん、夢を叶えることは素晴らしいが、人生はそれだけではないのかもしれない。列車に乗って目的地へ行こうとするとき、「早く着かないかな」としか考えなければ、途中の風景を楽しむことはできず、それは“死んだ時間”になってしまう。
最初に紹介したエリック・ドルフィーの名言のように、ジャズは即興部分(インプロビゼーション)にこそ大きな魅力が存在し、音が自由な感覚で奏でられる瞬間瞬間の判断に醍醐味があるのだ。そしてそれは、二度と再現できない偶然性に溢れていて、当初の予定と異なる方向に音が転がっていくからこそ面白い。人生もまた、良くも悪くも思わぬ方向に展開していくからこそエキサイティングなのではないだろうか。本作がジャズミュージシャンの物語なのは、ジャズの本質と人生を楽しむ姿勢に共通点を見出したということだろう。
だが、ジャズに代表されるような、即興性のある音楽だけが音楽ではないことも、確かなことだ。本作がたどり着くメッセージと異なる結論に行き着いたピクサー作品も存在する。それが、ブラッド・バード監督の『レミーのおいしいレストラン』(2007年)である。
この作品では、天才的な料理人となるネズミと、天才的な料理批評家の出会いを描き、優れた才能と努力によって得られる境地を、息を飲むような緊張感とともに荘厳なシーンとして表現している。もちろん、作中ではそこまでの高みに到達できない者たちをフォローするような描写も見られるが、あくまで重要なのは、高みへと登ることの達成感と尊さである。その意味で、才能を持った人物とそうではない人物を意図的に並列に置こうとする『ソウルフル・ワールド』は、“アンチ・ブラッド・バード”と呼べるような性質を持っているように感じられる。
ブラッド・バード監督は、アメリカのアニメーション界のなかで、圧倒的に飛び抜けた才能を持ったクリエイターだといってよい。そんな評価もあいまって、作品の内容が一部から「“選民的”だ」と批判される場合もある。しかし、ディズニー映画『トゥモローランド』(2015年)では、“悪い狼”と“善良な狼”という概念を押し出すことで、才能があっても世の中にとって悪いことをすれば逆効果だということを描いている。その考え方であれば、個々の能力に違いはあれ、画期的な物理理論を完成させることから近所のゴミ拾いに至るまで、世の中を少しでもより良い方向に進ませる者は全てヒーローになれるはずだ。バード監督はそこに人間の“生きる意味”を見出している。この点について考えるなら、『ソウルフル・ワールド』の、多くの人々に生きる意味を与えようとするピート・ドクター監督の民主的な哲学は、悪人の人生にすら意義を与えてしまうおそれがあるといえよう。
劇場アニメーション作品は大勢の才能や能力を、長い時間をかけてかたちにするものだ。とくに膨大なリソースが割かれるピクサー作品は別格である。だから、現代を生きる多くの観客にとって意義があるような哲学的な要素を込めたいというのが、中心となるクリエイターの心情であるだろう。高畑勲監督や宮崎駿監督、庵野秀明監督など、作家的な日本のアニメーション監督も同様の想いに突き動かされているはずだし、突き動かされていたはずだ。そこで表現される哲学は、もちろん人それぞれで、観客が同調できるものも、できないものもあるだろう。しかし重要なのは、そのような哲学が存在するということ、そのものではないだろうか。このように考え抜かれた思想があるからこそ、われわれは作品を観て人生観を揺るがされたり、生きる上での気づきを与えられるのである。
■小野寺系(k.onodera)
映画評論家。映画仙人を目指し、作品に合わせ様々な角度から深く映画を語る。やくざ映画上映館にひとり置き去りにされた幼少時代を持つ。Twitter/映画批評サイト
■配信情報
『ソウルフル・ワールド』
ディズニープラスにて独占配信中
監督:ピート・ドクター
共同監督:ケンプ・パワーズ
製作:ダナ・マレー
(c)2021 Disney/Pixar.
公式サイト:Disney.jp/SoulfulWorld