フォーリミ×オーラル×ブルエンによる『ONAKAMA 2021』初日公演レポ 三者三様のステージで届けたライブへの思い
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コロナによって、ライブをすることの意味合いが大きく変わった。そんな中で、04 Limited Sazabys、THE ORAL CIGARETTES、BLUE ENCOUNTの3バンドによる合同主催イベント『ONAKAMA』はツアーとして5年ぶりに開催された。きっと自分では想像ができないほど、演者・スタッフ含めて、苦悩や困難があったはずだ。観客の中には特有の緊張感を持って参加する人だっていたはずだ。
しかし。この日、日本ガイシホールで開催された『ONAKAMA 2021』の温度感は、コロナ禍のライブで開催されている他のライブとは違った空気が形成されていた。照明が落とされてからは鳴り止まんばかりの拍手が生まれ、ステージ前方のモニターにオープニングムービーが映ると、会場が歓喜のムードに変わり、いかに多くの観客がこのライブを楽しみにして、この日のライブに特別な想いをぶつけてきたのかが、しみじみと伝わってきたのだった。
『ONAKAMA 2021』のツアー初日となった1月24日、ステージに最初に立ったのはBLUE ENCOUNT(以下、ブルエン)だった。青い照明の中、ブルエンのメンバーはゆっくりと定位置につく。田邊駿一(Vo/Gt)は静かに歌い出し始め、会場の空気を変える。ギターのカッティングが鳴ると、会場のボルテージが一気に爆上がり。最初に披露された歌は「バッドパラドックス」。「バッドパラドックス」は2019年にリリースされた曲であり、当然ながら5年前の『ONAKAMA』のときにはリリースされていなかった。当時のブルエンといえば、無我夢中の熱さと、溢れんばかりの衝動が大きな魅力のバンドだった。でもこの5年で、ブルエンはそれ以外の部分も鋭く磨いてきた。後ほど、04 Limited Sazabys(以下、フォーリミ)のGENに、田邊がライブでかけていたオシャレな眼鏡と衣装が「弱虫ペダルみたいだ」といじられていたが、今のブルエンはそういうオシャレがキマるバンドになったと感じる。「バッドパラドックス」のようなグルーヴを感じさせるテクニカルな楽曲を、ここまでかっこよく響かせているのが何よりの証左である。
とはいえ。ブルエンの真髄は、細かくリズムアプローチやフックを取り入れる高速エモなロックチューン。次に披露した「Survivor」では、お待たせしましたと言わんばかりに豪快な爆音をかき鳴らす。この曲は、5年前の『ONAKAMA』では最初に披露した楽曲だった。改めてこの場で披露することで、5年間の進化が明確になる。
ライブの終盤のMCで、田邊が言葉に詰まる場面があった。それは、言いたいことがありすぎるが故の詰まりであった。『ONAKAMA』でも随一の達者な話術を持っている田邊がああも言葉に詰まるシーンは印象的だったし、いかにこのライブに懸けているのかが伝わる一幕でもあった。ブルエンのライブの良さは、歌とMCの熱さがリンクするところにあると思っている。MCと楽曲のメッセージが綺麗にリンクするからこそ、MC後に披露した楽曲の言葉の鋭さが何倍にも増すのだ。「あなた達のことが大好き」という言葉のあとに始まった「だいじょうぶ」は胸に迫るものがあった。特にグッと来たのは「だいじょうぶ」の歌詞変えの部分。大サビの前に〈あなたが笑ったそれだけで 救われるやつがどこかにいる〉というセンテンスがあるのだが、この日、田邊はこの部分をこのように歌った。
〈あなたが笑ったそれだけで 救われるバンドマンがいる〉
こういうタイミングに行われたライブだからこそ、その言葉がどこまでも痛切に響いてきた。その「だいじょうぶ」を受けた後のMCでは「何日間、何週間、何カ月間、悩んで出した正解でも不正解だって言う人がいる。でも、一度正解を出したのならそれをやり切らないと。いつか不正解と言った人が正解と言ってくれるまで」と力強く宣言。熱いメッセージを、MCに、歌に、力強く言葉にしてきたブルエンだからこそ説得力のある言葉だった。そして、そのMCの後に披露したのは、ライブ自粛のタイミングでリリースされた、この日のセットリストで一番新しい歌である「ハミングバード」。
〈夢中で飛び込んだ世界は正解だ〉
温かい言葉で観客を包み込んだブルエンの姿はどこまでも勇ましく、かっこよかった。
トップバッターの時点でボルテージは最高潮。そんな中、バトンを受け継いだのはTHE ORAL CIGARETTES(以下、オーラル)。
オーラルのライブではお決まりとなっている4本打ちを行い、ライブ会場に一体感が生まれたところで、最初に披露されたのは「容姿端麗な嘘」。妖艶なベースの音色、キャッチーで刺激的なフレーズを弾くギター、個性的なサウンドを丁寧にまとめあげるドラムサウンド。オーラルらしいトリッキーなアンサンブルで会場全員を虜にしていく。特にグッときたのは、ライブの中盤に披露された「トナリアウ」。今はソーシャルディスタンスの世の中である。「密」というものがもっとも忌避されるご時勢でありながら、あえて数あるシングル曲の中で選ばれた。“ONAKAMAと隣り合う”この日だからこそのチョイスに、ニヤリとさせられるのだった。
山中拓也(Vo/Gt)は、MCでもONAKAMAだからこそのエピソードを披露する。曰く、久しぶりにTwitterを開いたら自分のアカウントから公式マークがなくなっていた。みんなも同様の現象が起きているのかと思い、他のアカウントをみてみると、フォーリミGEN(Vo/Ba)やブルエン田邊は変わらずに公式マークが付いている。それどころか、自分以外の『ONAKAMA』メンバー全員、きっちりと公式マークが付与されているではないか。つまり、自分だけが仲間外れ。「ぜんぜんONAKAMAじゃないやん……」という(色んな意味で)ニヤリとさせられるMCを披露したのだが、このMCでも分かる通り、熱いブルエンと対比すると、オーラルの佇まいは、どこまでもクールに映る。思えば、もっともこの5年でバンドのカラーが変わったのはオーラルだったのかもしれない。5年前の『ONAKAMA』ではソリッドなギターロックバンドという印象も根強く、ライブの魅せ方も今とは大きく違っていた。
実は、この日のセットリストにおいても、5年前の『ONAKAMA』ともっとも内容が変わっていたのがオーラルだった。確かにセットリストの中身は多彩だった。ヒップホップに接近した楽曲もあれば、ファンクやダンスミュージックの要素を取り入れた楽曲もある。ただし、オーラルはロックを捨てたバンドなのかといえば、そんなことはない。というのも、この日のMCでライブハウスについて、そしてダイブやモッシュができるようなライブが一日でも早く戻ってほしいということを、口にしていたのは他ならぬ山中だったからだ。
こういう大きなステージのライブであっても、ライブハウスや、そのカルチャーに目配せしたMCをさらっとするのは、オーラルが紛れもなく“from ライブハウス”のバンドだからだと思う。どれだけ音の幅を広げても、根底にあるのはロックバンドとしての精神。だからこそ、ライブ終盤で披露されたソリッドなギターサウンドが印象的な「5150」は、より眩しく輝いていた。
ところで、この歌、サウンド面でも惹き込まれるポイントが多いのだが、もうひとつ大きなポイントとして、サビ前のシンガロングパートが挙げられる。通常ならここは観客との大合唱となる。が、もちろん、今はそれができない。そこで、あきらかにあきら(Ba)が先導してコーラスを盛り上げていく。確かにそこに観客の歌声は不在だった。しかし、ガイシホールに集った観客の多くが手を突き上げることで、声なき歌声を示し、歌声とは違う何かで会場がひとつになっている感じがした。その光景が、どこまでも壮観だった。ラストは、この日のセットリストで唯一、5年前の『ONAKAMA』でも披露されたオーラル屈指のキラーチューン「狂乱 Hey Kids!!」。リズミカルなサウンドアプローチや、サビで爆発的に上がる音圧などで、ライブの終盤とは思えないほどの熱狂を生み出し、オーラルはステージを後にした。
日本ガイシホールは名古屋のホールである。つまりは、フォーリミのホームグランド。というわけで、満を持してこの日のトリを務めることになったフォーリミ。元気よくステージに現れると、間髪入れずに披露したのは、5年前の『ONAKAMA』のトップ曲と同じく「monolith」。痛快なるツービートで展開されるこの楽曲で、客席から今にもモッシュが起きるんじゃないかと思うくらいに、強烈なエネルギーが満ち溢れる。どれだけ大きなステージでもライブハウスのような空気感を生み出してしまうのはフォーリミならではのすごさである。すでにイベントが開始されてから2時間ほど経過しているはずなのに、観客の熱気が衰えことなく、手拍子の響きや突き上げた拳の具合をみていると、むしろこの日一番ではないかと思わせるほど。
フォーリミのサウンドはシンプルにロックバンドとしての気持ちよさが詰まりまくっている。サウンドに足し算をしたり、バンド以外の音を取り入れることで進化を示すバンドが多い中で、フォーリミは5年前と変わらず、パンクロックやパワーポップに軸足を置いて、自分たちの色を見せつける。また、楽曲と楽曲の間をなるべく削り、無駄な間は省くことで、畳み掛けるように持ち曲を披露していく。
フォーリミの楽曲は、ダイブを喚起させるような高速テンポのツービートが多いが、単なるパンク一辺倒で押し切るわけでもない。軸はそこにありつつも微妙に揺さぶりをかけるところがあって、そこがまた絶妙なのだ。この日で言えば、「Galapagos」。この歌は1番のサビが終わったあとに、フリーセッションならぬフリートークに入る流れがあるのだが、そこで展開されるトークが、この日の開場中に流れていた告知映像に触れたものになっていた。というのも、ブルエンとオーラルは正統に自身のライブや作品の告知を行っているのに、なぜかフォーリミだけはRYU-TA(Gt)が出演して、“麺や おがた スタッフ募集”というフォーリミの実活動とは一切関係のないニセ告知を行っていたのだ。
「Galapagos」のフリートークでは、GENがその告知の“時給440円で募集”の部分に食いつき、「いや、それはブラックすぎるだろう」と突っ込んだ。このパートのフォーリミらしいユーモアが炸裂していて、とにかく華麗。もちろん笑い声を押し殺しているものの、会場中で笑いが生まれているのを実感できるレベルだった。また、GENはこの場面に限らず、平場のMCでも他バンドのMCやモニターの映像、その日の服装などに細かいツッコミを入れていた。いかに、GENが細部まで見ているかがよくわかるし、ある種のサブカルっぽさがフォーリミの音楽に内在しているのは、こういう丁寧な気づきやユーモアをメンバーが持ち合わせているからこそだろう。
ライブ後半、GENはMCで「大人になると一番最初になくなる感情は“悔しい”らしい。だから、俺たちはオーラル、ブルエンにいつまでも悔しいと思わせるライブをしたい」と語っていたが、これもライブ中に誰よりも丁寧に周りに目配せしているGENだからこそ言える台詞だと感じる。他の2バンドのかっこよさをしっかり理解した上で、自分はここは負けないぞと言える部分がわかっているからこそ言える台詞だ。実際、この日のフォーリミはこんなライブをされたら悔しいと思わざるを得ないよな……と思うほどに圧巻の連続で、畳み掛けるようなキラーチューン、ユーモアを交えて笑いを取る部分はもちろんのこと、泣かせる部分においても容赦がなかった。
終盤で披露した「Squall」が特に印象的だった。こういうご時勢のライブだからこそ、〈何を考えているかに気付き、新しい自分に生まれ変れ〉というメッセージを宿した「Squall」の言葉と、凛としたGENの歌声と、切なさを宿したバンドサウンドが美しい光を放っていた。
フォーリミのセットリストを終えると、最後はブルエン田邊、オーラル山中をステージに呼んで、フォーリミ屈指のキラーチューンである「swim」を披露するという流れ……だったのだが、ステージに登場した田邊はなぜか腕を吊って登場。曰く、ライブ中にテンションが上がりすぎて一時的に脱臼したらしい。普通のライブではありえないようなトラブルではあったが、不思議とこの3組が集まると、それすらも笑いのネタに変えてしまうポジティブなムードがあった。「swim」披露前のフロントマン3人による掛け合いがあまりにも鮮やかだったのだ。つくづくこのメンバーが良い関係で繋がっていることを実感した。
本当にこの3バンドは面白い。見せ方や得意としているパフォーマンスは違う。しかし良き仲間であり、良きライバルという不思議な関係。5年の月日を経ても、その根幹は変わっていない。そして、どのバンドも文句のつけようがないくらい進化している(どのバンドも当時のセットリストからキラーチューンが変わっていることからも明らか)。
それにしても、『ONAKAMA』というライブイベントの凄まじさをモロで体感した。というのも、自分はコロナ禍になってから何回かライブを観ているが、ここまで熱気が凄まじかったライブを観たのは久しぶりだったからだ。どうしても、今のライブでは「気をつけながら盛り上がりましょう」の空気が強くなりすぎて、微妙な空気が生まれやすい。しかし、『ONAKAMA』のライブからはそういうものが取っ払われていたような気がした。
“マナーは守る”というライブハウスの前提を、あくまでもいつも通り守りつつも、そこさえ守ればあとは無我夢中で楽しもうぜというような、特有の熱狂がそこにあったような気がしたのだ。きっと、これは出演する3バンドの気合いが並々ならぬものだったからというのもあるし、スタッフが本気でこのイベントを良い形で成功したいと願い、そのためにできることに全力を注いできたおかげだろう。加えて、観客が待ちに待った待望の『ONAKAMA』であり、悔いのないように全力で楽しんでいたということもある。ひとつが突出するのではなく、全てが一つの線で繋がったからこそ、かけがえのない空気感が醸成されたように思うわけだ。
正直、本音の本音を言えば、ライブシーンはまだまだ相当に厳しい時代が続く。それは観客側だって同じことだと思うし、様々な事情でライブに行けない人だっているわけで、あと少し我慢したら何とかなる……という局面でもないからこそ、余計に厳しいものがある。だからこそ、の一歩が『ONAKAMA』に宿っていたような気がするのだ。今、ライブに行けない人がいつかライブに行けるようになったときにも、ライブシーンが継続するための未来を、『ONAKAMA』のライブの光景から想像することができたのである。
もがいて沈んでまた息継ぎ
信じろ 未来を
これは「swim」の一節だ。5年前、バンドシーンに新時代を切り開いた3組が、今は当時とは違った形で新時代を切り開こうとしているのだと思う。良いも悪いも経験した、同じ釜の飯を食った仲間たちだからこそ描くことができる、そんな未来を信じながら。
■ロッキン・ライフの中の人
大阪生まれ大阪育ち。ペンネームにあるのは自身が運営するブログ名から。人情派音楽アカウントと標榜しながら、音楽メディアやTwitterなどで音楽テキストを載せてます。