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“映画監督”土井裕泰の作家性 『花束みたいな恋をした』が描く“特別なことではない時間”

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リアルサウンド

「坂元裕二さんのシナリオが素晴らしい言葉に溢れていたので、私から特別なことは付け加えなくていい、と思いながら作りました」

 2020年夏、東京都内のある現像所の中庭。完成したばかりの映画『花束みたいな恋をした』の先行試写を観終えたあとの、監督とのマスク越しの立ち話。いま観たばかりの作品について、できるかぎり流暢に感想をまくし立てようと汗を拭うばかりの筆者に対し、土井裕泰監督は静かに、上記の一言を答えてくれた。

 虚飾を必要としない確固としたその表情と声色が、真夏の光のもとでも涼しく感じられた。“プロフェッショナル”。現像所から目黒川沿いを駅まで歩きながら、そんな一語が頭上にすぐに浮かんでくる。そうだろう。“プロフェッショナル”で間違いじゃない。でも、それだけでもない。そこのところの“それだけでもない”部分を思考することこそが、私たち受け手の務めであるように思われた。

 菅田将暉、有村架純ダブル主演。脚本は坂元裕二の書き下ろしオリジナル。その坂元とは『猟奇的な彼女』(2008年)、『カルテット』(2017年)で2度組んでいるTBSのドラマ演出家、土井裕泰。この強力カルテットで作られた『花束みたいな恋をした』は、20代カップルの5年間にわたるラブストーリーだ。カルチャーマニアの麦(菅田将暉)&絹(有村架純)カップルは、恋愛生活のなかにおびただしい分量の固有名詞/文化記号を動員する。小説、漫画、音楽、アート、映画、演劇、お笑い、食べもの、飲みもの、エトセトラエトセトラ、ミイラ展からガスタンク風景にいたるまで。風通しのよい配置によって、おびただしい記号の戯れが2人のクロニクルを快く活気づける。

 菅田将暉と有村架純。いまをときめく同じ年生まれの人気俳優2人としても、坂元裕二が「当て書き」で彼らに託した主人公カップルを演じる姿には、いまにしか出せない魅力が横溢する。つきあい始めた2人が海岸で遊ぶシーンは、映画の序盤で早くもエンディングを意識させる仕組みになっている。とりもなおさず、私たち人間の生が、死に向かってのカウントダウンに他ならないことを、愛の行く末という形を借りて説いてまわるかのようである。

 土井裕泰という作り手は、この無常観を絶妙な距離から計測し、人間の生をあたかも四季の推移であるかのようにシーン化するのに長けている。映画進出第1作『いま、会いにゆきます』(2004年)では、この作品での共演がきっかけとなってのちにじっさいに結婚する竹内結子と中村獅童が演じる夫婦の死別から語り始め、逆算的にその短い結婚生活を、万感迫るショットの積み重ねで良質なファンタジーにまとめ上げていた。

 『いま、会いにゆきます』のファーストシーン、松尾スズキの運転するバイクがケーキを配達するために諏訪湖のほとりを走っている。松尾スズキのケーキ屋は受取人の青年に、「じつはきょうで店を畳むことになりました」と告げる。「でも12年間の約束を最後まで果たせてよかった」。ファーストシーンで見せる青年とケーキ屋の会話を淡々とカットバックしながら、このように時間の経過に思いを致すというのがいまから始まる映画だよ、とも告げているのだ。

 今回の『花束みたいな恋をした』にも、松尾スズキのケーキ屋のような時間計測をになう存在が登場する。老夫婦のいとなむ「焼きそばパンのおいしい」らしいパン屋は、映画の後半に入ったところで57年間に及んだ商いを畳み、暗い空洞になり果てた姿を絹は目の当たりにするだろう。松尾スズキのケーキ屋も、焼きそばパンのおいしい老夫婦のパン屋も、時間の残酷さというものを、砂糖、メレンゲ、惣菜、ソースでくるんで提示する。

 土井監督映画にあってなかんずく残酷さを最も率直にあらわにしたのは、第2作『涙そうそう』(2006)における長澤まさみの父親役の中村達也だろう。中村達也の介入によって、主人公の少年は母親(小泉今日子)を喪失することになるのだし、中村達也がしばらく姿を消していたあいだは、成長した主人公(妻夫木聡)とその血のつながりのない妹(長澤まさみ)の生活は幸福の絶頂となる。そして中村達也の時ならぬ再登場が、この不吉な男の吹くサックスの妖しげな音色が、幸福終焉の残酷な号令となるのだ。

 『涙そうそう』の中村達也の吹くサックスの音色も、『いま、会いにゆきます』の竹内結子が幼いわが子のために描き遺した絵本の「雨の季節と共に帰ってくるけど、雨の季節の終わりと共に去る」という予告も、いずれもメメント・モリ(Memento mori=ラテン語で「自分がいつか死ぬことを忘れるな」という意味の警句)を具現化しようとするものだ。

 『花束みたいな恋をした』の海岸デートの話に戻したい。このシーンには絹の内省的なモノローグが被さり、キャビネットに置き忘れた昔のビデオテープのように荒い色調を帯び、午後の光線が絹の横顔に抒情のフレアを射し込んでいる。デートに出かける朝、絹は愛読するブログ「恋愛生存率」の筆者女性が自殺したというニュースを発見して、バタートーストを床に落とす。海岸デートの幸福なカットが積み重ねられるなか、モノローグでは絹の醒めた声でブログの文が朗読される──。

始まりは、終わりの始まり。
出会いはつねに別れを内在し、
恋愛はパーティーのようにいつか終わる。
だから恋する者たちは、
好きな物を持ち寄ってテーブルをはさみ、
おしゃべりをし、
その切なさを楽しむしかないのだ。

 断っておくけれど、このシーンは映画のなかではほんの序盤のできごとである。「この恋を一夜のパーティーにするつもりはない」とブロガーが書いたのが1年前。その彼女が死んだ。絹はこの覚醒したモノローグを次のような言葉で締めくくる──。

私たちのパーティーは、
いま最高の盛り上がりのなかで始まった
というだけだ。

 パーティーはいつか終わる。映画を見る観客は、序盤にして冷水を浴びせられたのかもしれない。しかしだからこそ私たち観客も「いま最高の盛り上がりのなか」にあるこのパーティーを、ブロガーの言葉を使うなら「その切なさを楽しむしかない」。2020年から映画は始まるが、麦にも絹にもすでに次の新しい恋人ができている。そこから遡行して、2015年1月から愛のクロニクルが読み上げられていく。2015、2016、2017、2018、2019……こんな近過去がなんと遠く感じられることだろう。スクリーンを眺める私たちの時制は2021年。スクリーン上ではマスク生活とは無縁のパーティーが催されている。2021年の私たちは、遙か以前の古き良き時代を見るかのような視線をスクリーンに送るしかなく、私たちはバックミラーのなかの風景を見失う運命にある。

 グリコ森永事件をモデルにした劇場型犯罪の35年後を題材とする犯罪ミステリー『罪の声』(2020年)は、土井裕泰監督のこれまでの流れとは様相を異にするが、時間の経過に目線を合わせていく点は共通する。どこかの一点で別の時間を生きていた線と線がふれて、しばしのあいだパーティーのテーブルを囲むことになる。『罪の声』の犯罪秘話の再調査も、前々作『映画 ビリギャル』(2015年)の偏差値35からの慶応大学受験も、『いま、会いにゆきます』の梅雨の季節に甦る竹内結子も、今回の「最高の盛り上がりのなかで始まった」恋愛も、いずれのあれやこれやはメメント・モリを内在させつつ、それを季節の巡りのように、監督の言葉を借りれば「特別なこと」ではないように戯れてみせることしかできない、という認識が横たわっているのではないか。

 監督本人は自作のフィルモグラフィーにそんな過剰な意味づけをすることはないだろうが、受け手である私たちとしては『罪の声』『花束みたいな恋をした』と新作2本を立て続けに観ることのできたいまの心境を、パーティーの戯れと同調しながらつぶやくことしかできない。永遠に続くパーティーは存在しない。この映画は2020年から始まり、2015、16、17、18、19年とクロニクルが辿られ、また2020年に戻ってくる。つまり、後片付け人の回顧のつぶやきでサンドイッチされているのである。そして最後に、パーティーの華やぎをとっておきのカットバックが、締めくくる。サンドイッチが未来へと分解していくカットバックが。背面/背面のブラインドによる、失われずに残っていた信頼感によるノールックのカットバックが。

■荻野洋一
番組等映像作品の構成・演出業、映画評論家。WOWOW『リーガ・エスパニョーラ』の演出ほか、テレビ番組等を多数手がける。また、雑誌「NOBODY」「boidマガジン」「キネマ旬報」「映画芸術」「エスクァイア」「スタジオボイス」等に映画評論を寄稿。元「カイエ・デュ・シネマ・ジャポン」編集委員。1996年から2014年まで横浜国立大学で「映像論」講義を受け持った。現在、日本映画プロフェッショナル大賞の選考委員もつとめる。

■公開情報
『花束みたいな恋をした』
全国公開中
出演:菅田将暉、有村架純、清原果耶、細田佳央太、韓英恵、中崎敏、小久保寿人、瀧内公美、森優作、古川琴音、篠原悠伸、八木アリサ、押井守、Awesome City Club、PORIN、佐藤寛太、岡部たかし、オダギリジョー、戸田恵子、岩松了、小林薫
脚本:坂元裕二
監督:土井裕泰
製作プロダクション:フィルムメイカーズ、リトルモア
配給:東京テアトル、リトルモア
製作:『花束みたいな恋をした』製作委員会
(c)2021『花束みたいな恋をした』製作委員会
公式サイト:hana-koi.jp