Lucky Kilimanjaro 熊木幸丸が追求する、刹那的な音楽に内包されるリアリティ
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Lucky Kilimanjaroの2ndフルアルバム『DAILY BOP』は、肉体的で躍動感のあるダンスアルバムであると同時に、朝から夜へと流れる1日のバイオリズムを描いたコンセプトアルバムでもある。反復しながらも微細に変化を繰り返していくダンスミュージックの快楽性と、ルーティンを繰り返しているようで同じ日は二度とは来ない日常の一回性。そんな、ダンスミュージックと我々が生きる日常の共通項を捉えたアルバム……そうやって本作を語ることは、いささか妄想に過ぎるだろうか? しかしながら、以前から「世界中の毎日をおどらせる」というキャッチフレーズを掲げてきたLucky Kilimanjaroにとって「ダンス」と「日常」は常に密接に結び付いてきたのだ。本作『DAILY BOP』は、これまでどちらかというと観念的に「踊る」という言葉を掲げてきたLucky Kilimanjaroが、より具体的、肉体的な意味での「踊る」という行為にダイレクトに迫ろうとした1作である。それは結果として、変わり続けていく我々の生活の繊細なきらめきを、見事に捉えるものとなった。
そしてまた本作は、「2020年」という、新型コロナウイルスの影響によって多くのものが失われ、変化した時代を生きたひとりの人間の思考のドキュメントでもある。 Hey! Say! JUMPやDISH//にも楽曲提供をするソングライターの熊木幸丸の本質にある、時代と自己を深く見据える誠実で不器用で優しい眼差しが、このアルバムに、「時代」と「個」の狭間にある緊張感と、確かな体温を宿している。熊木幸丸に、アルバムのことをじっくりと語ってもらった。(天野史彬)
“祈り”ではなく、“動く音楽”を作りたかった
ーー新作『DAILY BOP』を聴かせていただいて感じたことが、大きくふたつあって。まずひとつは、今まで以上にリズムにフォーカスが当たっている作品だなということ。それによって今まで以上に、ダンスミュージックとしてのフィジカルな強度を獲得しているなと。もうひとつは、本作は恐らくアルバムの1曲目から最後までを通して、「朝から夜」という1日のバイオリズムを表現しようとしたコンセプトアルバムなのではないかと。
熊木:まさに今言っていただいたことは、自分でも意識していました。まずリズムに関していうと、前作『!magination』を届けたあと、「ダンスミュージックといっている割には、リズム以外の音が強いアルバムだったな」と自分で思ったんです。あのアルバムはリズムやグルーヴで聴かせるというよりは、もっと音が広いというか、空間的に描写していく部分が多くて、「かっこいいけど、ちょっと頭でっかちだったかな」と思ったんですよね。なので、「次はもっと純粋に踊れるものにしたいな」と漠然と考えていました。
ーーなるほど。アルバム全体の流れに関しては?
熊木:新型コロナウイルスの影響が大きいですね。去年の3月くらいから、「自分は今どんなふうにお客さんを助けることができるのか?」と、自分の曲の在り方を問い直す時間が増え、結果として、こういう状況だからこそ、もっとみんなの日々の中で生きるような音楽を作らなければいけないと思ったんです。そういうところから、アルバム全体として「朝から夜へ」という流れを作ってみようと思いました。結果として、音楽的にもっと踊らせるアルバムにしたいということと、みんなが1日の中で気持ちよくなれるタイミングを増やせるような音楽を作りたいということ。このふたつの考えが合わさって、「日常を感じさせながら、ちゃんと踊れるアルバムにしよう」という構想ができました。
ーー今は、クラブやフェスで集まって踊ることも難しい状況ではありますよね。そういう状況の中でも、肉体的に踊れる音楽は人々に必要とされるという確信が、熊木さんのなかにはあったわけですよね、きっと。
熊木:そうですね。自分は日常的にそういう音楽を気持ちよく聴いているし、むしろ僕は「今だからこそ必要だろう」と思って、今回、改めてダンスミュージックに向き合った部分もあると思います。今のような状況だと、どうしても人は祈りたくなると思うんですよ。きっと、今年出る音楽作品には、祈りの音楽が増えるんじゃないかと思う。もちろん、祈ることは大事なことだし、それが人の癒しになっている感覚もある。僕自身、「光はわたしのなか」はそういう感覚で作った曲でもあるし。
ーーあの曲には本当に、「祈り」という表現はしっくりきます。
熊木:でも、祈ってばかりもいられないというか。こういう状況だからこそ、新しいことにコミットしていかなければいけないという感覚も自分にはあるんです。そう考えたとき、なにかをグルーヴして動かしていくことは、ダンスミュージックにこそできることだと思ったんですよね。そういう意味でも、今だからこそダンスミュージックという「動く音楽」を作りたかったんです。祈りの音楽は、きっと僕ら以外のミュージシャンが作ってくれると思うんです。でも、祈ったあとに、「よし、やろう」と思えるような音楽、そんな「動く音楽」は、僕らだからこそできることだなと思ったんですよね。
ーー「光はわたしのなか」はボーナストラック扱いですけど、それ以外に、去年リリースされたシングル曲「太陽」、「エモめの夏」、「夜とシンセサイザー」が本作には収録されています。これらの楽曲にもコロナ禍の影響はあったといえますか?
熊木:「太陽」と「エモめの夏」に関しては、直接的にコロナの影響があったわけではなく、この2曲は、時期的にコロナの情報は出てきていたけど、まだ世の中がこんな状況になるとは思っていなかった頃に制作した曲なんです。なので、どちらかというと『!magination』の反動から「できるだけシンプルな頭で踊らせたい」という感覚がなによりも大きくてできた2曲です。
ーーなるほど。「踊れる音楽」といってもいろいろありますけど、熊木さんのなかでリファレンスとして大きかったものはありますか?
熊木:いろいろあるんですけど、自分にとってひとつ大きかったのは、ケイトラナダですね。あのJ・ディラ的というか、ヒップホップのビートを介したハウスビートというものが自分にしっくりきていて、ああいうビートをやってみようと思ったのが、「エモめの夏」の最初のポイントだったんです。結果として、もうちょっとバウンス感は収まった音になったんですけどね。ただ、そうやってリズムについて探求していく中で、リズムの解釈の仕方も変わってきたんですよ。単純に「ワン、ツー、スリー、フォー」と数えるんじゃなくて、キックの始まりから終わりまでのカーブの長さをどうするのか? とか、音量のカーブの長さをどうするのか? みたいなところまで考えるようになってきました。あと大きかったのは、去年くらいから歌を習うようになったんです。そこで、「歌も、最終的には声でリズムを作っていくものなんだ」と学んで。
ーービートが刻むリズムだけではなくて、歌のリズムにも自覚的になった?
熊木:そうなんです。今までの僕の歌の感覚はカラオケ的というか、音程があって、長さがあって、というくらいの認識しかなかったんですよ。でも、今僕に歌を教えてくださっているのが長く歌ってきた方なので、ジャズにおける歌のリズム感とか、そういうこともいろいろ学んでいくようになり、結果として、頭をどれくらいのカーブで歌うのか、といった微細な表現にも自覚的になってきたんですよね。歌においてもリズムの違いがあるし、それによって生まれるグルーヴの変化があるんだと知った。音を楽譜として見ないで、「空気の流れ」として見ることを意識し始めたというか。そういうことを通して、自分の楽器や表現に対する捉え方そのものも変わった感覚がありました。
海外の文脈と日本で培われてきた文脈を繋げないといけない
ーーなるほど。例えば、「MOONLIGHT」はどちらかというとチルな曲ですけど、それでも、音の流れにすごく躍動感がありますよね。
熊木:「MOONLIGHT」は、50年代のジャズオーケストラみたいなイメージのクラシックなストリングスを作って、そこにJ・ディラ的な、ネオソウル的なビートを組み合わせて、それを最終的にフューチャーR&Bの感覚で出してみよう、みたいな(笑)。サビでは、ストリングスの音にカーブを書いて、裏にリズムのポイントを来るようにして、歌詞に合わせて月に重力が向かっていくような感覚を狙ってみたりしたんです。リズムでそうした緩急を付けることができるようになったのは「MOONLIGHT」が大きかったかもしれないですね。リズムによって重心を変えていき、それを歌詞の世界観とリンクさせていく。自分でも気に入っているサウンドデザインです。
ーーリズムの音楽というか、ダンスミュージックというか、そういうものに改めて向き合ってみたときに、何故、自分はそれに惹かれるのか、気づいたことはありますか?
熊木:それ、最近自分でも考えたんですよ。「なんで俺は、TR-909のハットが鳴ったら、こんなにテンション上がるんだろう?」みたいな(笑)。でも、具体的に答えはわからないんですよね……。やっぱり、気持ちいいからかなあ? 自分ではあんまり言語化できないんですけど、“聴いていて気持ちいい”そこに尽きるような気がします。ダンスミュージックというか、ブラックミュージックを介した音楽に、なぜ自分の志向は向かうのか……? この先、もうちょっと言語化できていくのかもしれないですけど。
ーー「太陽」は、すごく日本的なものも感じさせる曲ですけど、この曲に関してはどんなイメージがありましたか?
熊木:トライバルなビートは前から好きだったんですけど、そういうものをちゃんと自分でも表現できそうな手応えがあって。そういう要素のある曲を、夏の曲として書けたら面白いなと思ったんです。でも、トライバルといっても、いわゆる「アフリカです!」という感覚とは別の視点でというか、あくまでも日本的なもの、自分の記憶にある小さい頃から行っていたお祭りなんかの記憶と、トライバルなビート感を合わせてみたら面白いんじゃないかっていう発想が「太陽」にはありました。
ーー海外の音楽から得たものを、あくまでも日本人的な感覚と合わせて昇華するということは、熊木さんにとっては大切なことですか?
熊木:そうですね。「海外のものそのままなら、俺じゃなくてもできるよね?」と思うんです。「太陽」は、日本で生きるみんなの生活の中に、トライバルなビートがポップスとして入り込んでほしいと思ったし、そのためには、海外のビートの文脈と、日本で培われてきた文脈を繋げないといけない。こういうことって、自分のなかにあるひとつのテーマでもあると思っていて。僕は、ポップスにもいろいろな楽しみがあることを伝えたいけど、自分がやるべきことは、「海外の音楽って面白いよ。聴いてください」といっていくようなことではないと思うんですよね。僕が伝えたいのは、ビートに乗る楽しさと、「それに合わせてちゃんと歌えるんだよ」っていうこと。「歌もの」となると、日本では歌からオケを外していくイメージが僕にはあるんですけど、そうじゃなくて、ちゃんとビートの中で歌えるし、それは楽しいことなんだって、自分の音楽で伝えることができればいいなと思うんですよね。
ーー「雨が降るなら踊ればいいじゃない」には〈ちょちょいとLO-FI RC-20〉というラインがあって、歌詞の中にプラグインの名前が出てきたり、あるいは「夜とシンセサイザー」という、楽器の名前を曲名に冠した曲もある。今回のアルバムには、音楽や楽器という存在と熊木さんとの繋がりを感じさせる部分も強くあるなと思ったんです。
熊木:たしかに、ギークっぽさはありますよね(笑)。僕のそういうところが出ているアルバムかもしれない。
ーー熊木さんが一番身近に感じる楽器となると、シンセになりますか?
熊木:どうだろう……。シンセは好きですけど、こだわっているわけでもないんですよね。それこそ「太陽」では、いわゆるシンセのサウンドはほとんど使っていなくて、一番弾いている楽器はギターですし。でも、そもそも、特定の楽器を前提に曲を作ることがないんです。「この曲だったらこういう音が欲しいな。だったらシンセだな」という感じで、頭の中にあるテーマに必要な音を突き詰めていく感覚なので。曲作りも、まずイメージが沸いたら手ドラムをやって、そこにギターや鍵盤を乗せていきながら、「どういう波形だったらいいかな」と考えたり、「もっとこういう色が欲しいな」と感じた音を探していくことが多くて。なので、道具自体に対するこだわりはあまりないんです。ただ、強いていうなら、僕はどちらかというとシンセよりもサンプラーが好きですね。
ーーサンプラーのどんなところが好きですか?
熊木:知らない音で知らない音を奏でるのが好きなんです。サンプラーってなんでもできるんですよ。こうやって叩いた音(と言いながら、机を手で叩く)をドラムにできるって、めちゃくちゃ楽しい。例えば、こういう音でも(と言って、ペットボトルのキャップを指で弾く)、多少の音程感は出るしそれを鍵盤として使えたりする、その面白さ。本来、そのために生まれたものではない音が機能するっていうことが、僕にとってはすごく面白い。きっと「音が鳴っている」ということが好きなんだと思います。どんな場面においてでも、「あ、これ、音楽になっているな」と気づく瞬間が好きなんです。
ーーその音楽に対する自由な感性は、先ほどの「太陽」の話とも繋がるかもしれないですね。いろんな音楽の要素を取り入れつつも、熊木さんはあくまでも自分自身の皮膚感覚を通した先で、それをアウトプットしようとする。
熊木:そうかもしれないです。リファレンスがあったとしても、それを下書きにして清書するような音楽の作り方はしたくないんですよね。特に今回は、自分が聴いてきた音楽の奥底にある「楽しさ」だけを取り出したうえで、そこに自分の考えでや匂いを付けていくっていうことに、しっかりと向き合おうとしたアルバムだと思います。
ーー熊木さんは、音に「匂い」を感じますか?
熊木:うん、「匂い」というのは、自分が大事にしている部分だと思います。例えばスティールパンの音を聴くと、なんとなく夏の匂いがしたり、温かい場所の匂いがしたりする。そういう、音が持つ空気というか……音が持つ画や匂いってあると思うんですよ。曲を作っているときは、曲の香りづけというか、いろんな音を入れていくことで、曲を頭の中にあるイメージに近づけていく感覚があるし、特にサンプラーはそれができるんですよね。今回のアルバムで言うと、「雨が降るなら踊ればいいじゃない」は、「雨」というイメージから想起される画と、匂いと、部屋の空気感みたいなものを曲にようにしようと思って、音や歌詞を作っていったんです。人の気持ちも含めて、ひとつの空間をちゃんと作ろうと思って書いた曲というか。そういう感じで、音の「匂い」を、音楽という表現の中に入れていくような感覚があるんですよね。
ーーなるほど。
熊木:それに、言葉にも匂いや空気ってあると思うんですよ。言葉も、記憶から出してくるものだから。「雨が降るなら踊ればいいじゃない」は、「雨」と一口に言っても人によっていろんな記憶があると思いますが、そこに、僕なりの雨のいい記憶を植え付けようとしたっていう感覚もあって。
今の言葉で、今のダンスミュージックを作りたい
ーー不思議な感覚ですよね。一つひとつの音や言葉は、熊木さんの記憶や、熊木さんが感じる匂いっていう、あくまでも熊木さんの個人的なものに密接に結び付いていると思うんです。なので、そもそもはすごく密室的なものでもあると思うんですけど、それが音楽としては放たれるときに、すごく広い場所に辿り着くというか。
熊木:たしかに不思議ですよね。僕は自分の音楽に自分の「個」を入れているけど、味わってほしいのは僕の「個」じゃない。味わってほしいのは、あくまでも「体験」というか。自己表現だけど自己を見てほしいわけではない……こういう感じは、映画監督の感覚に近いのかもしれないです。映画を観ていても、ほとんど、監督の顔って出てこないじゃないですか。それに近くて、僕は、自分の記憶から場所を用意して、「さあ、皆さんここに入ってください」と言っているような感覚というか。そうすることで、みんなの記憶に別のものが生まれて、それが、その人にとっての原動力になればいいなと思うんですよね。
ーー全体的なコンセプトに関してですが、「朝から夜へ」という全体の流れを設定したうえで、1曲1曲をその構成の中に配置するように作っていったのですか?
熊木:そうですね。「なんとなく昼っぽいな」とか、「なんとなく夜っぽいな」という感じで曲は作っていきました。「朝起きて、夜になって眠る」という流れの中で、最初と最後はできるだけシンメトリーしたいなとも思っていました。ただ、メンバーに曲を聴かせたら「昼っぽい」とか「夜っぽい」の感覚がそれぞれ違ったんですよ。それはそれで面白いなと思いましたね。例えば「アドベンチャー」は、僕としては夕方っぽいイメージで作っていたんですけど、メンバーに聴かせたら「いや、これは昼だ」といわれたりして(笑)。
ーー「アドベンチャー」の歌詞には〈エディくらいEruption/かき鳴らせ次のロックスター/物語はみんなでJumpするほうが楽しそう〉というラインがあって、去年亡くなられたエディ・ヴァン・ヘイレンへの熊木さんの思いを感じさせますね。
熊木:僕は、高校生の頃はハードロックがすごく好きだったので。でも、ギターが好きだったというよりは、Van HalenやMr. Bigのような、ポップス的な要素のある人たちが好きでしたね。Van Halenの「Jump」は、ギターというか、ほとんどオーバーハイムのシンセだし。当時、特にシンセが好きだと思いながら聴いていたわけでもないんですけど、でも、本来的に自分はそういうもの好きだったんだと思うんです。去年、エディが亡くなったと聞いたときに、曲をポップスとして成り立たせるという部分でも、彼からの潜在的な影響があったんじゃないかと改めて思って。ずっとギターをやっていて、大学2年生のときにNordのシンセとRolandのSP-404というサンプラーを初めて買ったときも、「俺はギタリストだ!」みたいな感覚もなかったし、弾いたことがなかった鍵盤にも抵抗はまったくなかったんですよね。
ーーその感性の奥にあったのが、もしかしたらヴァン・ヘイレンのような存在だったのかもしれない。
熊木:そうですね。なので、ちゃんとリスペクトを込めて、「アドベンチャー」ではオーバーハイムのシンセを使っているんです。
ーーこのアルバムは、「夜とシンセサイザー」、「MOONLIGHT」、「おやすみね」という「夜」の景色に辿り着きますけど、本作の着地点として「夜」を描こうとしたときに、熊木さんはどんなことを考えられていましたか?
熊木:怖いもの、見えないもの、不安……そういうものが渦巻くカオスなものとして、僕は「夜」という表現をこれまでも使ってきたと思うんです。ただ、このコロナ禍で、みんなにとっても、このカオスはより深くて近いものになったと思うんですよね。「夜とシンセサイザー」は、そういう中で生まれた葛藤を描いていた曲です。でも、そんなカオスの中でも、自分の存在をちゃんと維持していてほしい、自分や、自分の周りにいる人たちのことをとにかく肯定していてほしいっていう感覚が、「MOONLIGHT」や「おやすみね」には強く出ていると思います。自分を見つめて愛してほしい、自分に対しても他人に対しても愛が残っていてほしいっていう。「おやすみね」が、このアルバムで最後に作った曲だったんです。
ーー「夜とシンセサイザー」で描かれた葛藤というのは、もう少し具体的に言うと、熊木さんの中でどんなものがせめぎ合っていたのでしょう?
熊木:僕は少し日和見っぽいところがあるというか、何が正しいのかわからなくなってしまったんですよね。これまで普通に過ごしてきたことに対して、「違ったのかもな」と思うことも多くて。「正しさ」なんて、時とタイミングとコミュニティによって変わっていくもので、本当はないんじゃないかとも思ったし、だからこそ、なにかを「正しさ」として掲げることを自分がやるべきなのかどうかも、わからなくて。でも、無視することはできないから、自分の音楽の作り方も、自分がなにを「幸せ」とするのかも……そういうこと一つひとつにちゃんと向き合っていくしかないなと思ったんです。考えれば考えるほど、一つひとつのことが思ったほどシンプルではなかったけど、でも、だからこそ、ちゃんと向き合っていかないといけない、自分の考え方にもちゃんと疑問を呈していかないといけないなと思ったんです。
ーーなるほど。
熊木:その先で、自分のアイデンティティや、人にできることを見つけたいなと思うし、きっと僕と同じように、このコロナ禍で、いろいろ考えて難しくなっちゃった人も多いと思うんです。そういう人たちに対して、答えは出さないけど、向き合う姿勢だけは伝えたいなと思って「夜とシンセサイザー」を作りました。「この曲、本当に出していいのかな?」と思ったりもしたんですけど、自分の答えが出ていない感じをちゃんと書く必要があるなと思って書きました。そのうえで、「ちゃんと向かい続けたいよね」と言いたかったというか。
ーー改めて思うんですけど、この『DAILY BOP』というアルバムには「2020年」という時代を刻もうとするリアルタイム性があると思うんです。それは今のお話もそうだし、ヴァン・ヘイレンが歌詞に登場していることもそうだし、ボーナストラックの「光はわたしのなか」も、緊急事態宣言下の熊木さんの感情がすごく衝動的に書かれている曲だと思うんですよね。
熊木:そうですね。実際、「光はわたしのなか」は去年4月くらいの混乱している状況の中で作って、すぐに出した曲で。あの状況の中で感じていることを、自分の言葉でそのまま出すことが大事だなと思ったんですよね。なので、10年後にも聴いてもらえる曲であることは前提とはしていなかった。10年後にはもう、アーカイブされて博物館の中に入っていてもいいというか。
ーー今回のアルバムからは特に、熊木さんの、「時代のもの」であろうとする意志を強く感じます。
熊木:僕の基本的な音楽の聴き方にもつながると思うんですけど、「今」を笑わせたいんです。「今」の音であってほしいし。それが10年響き続けなくてもいい。むしろ10年後にこのアルバムを聴いて、「こんな時代があったんだ」と思ってもらえれば、別にそれでいい。とにかく、今の言葉で、今のダンスミュージックを作りたいんです。なので、固有名詞も恐れず使うし、「エモめの夏」なんて、「エモい」という言葉があと何年通じるのかももわからないですよね。でも、長いスパンを見越して歌詞を書いたとして、それによって抽象的になりすぎてしまうのが嫌なんです。表現のリアリティが薄まってしまうのが嫌だし、その「匂い」の薄さが嫌だ。それなら自分は、10年間新しい曲を書き続けていたいし、その時々の「今」の音楽でありたいなと思う。その刹那的な感覚が、自分には合っているんだろうなと思うんです。
ーーその「刹那」を求める感覚が、熊木さんがダンスミュージックに惹かれるひとつの理由も出るような気がしますね。
熊木:もちろん、僕ももう30歳になったので、段々と若い人と感覚は乖離していくんですよ。でも、その時代その時代の若い人たちの悲しい感覚みたいなものは、常にわかっていたいというか。そこは常に意識的に理解しようとしていたいし、謙虚に勉強していかないといけないと思ってもいるんです。
ーー4月4日には日比谷野外大音楽堂でのワンマンも控えていますし、ツアーも発表されました。ライブも楽しみにしています。
熊木:本当に、去年は開催する予定だったツアーができなかったので、東京以外の場所でも改めてお客さんと会えることが楽しみだし、ツアーファイナルのZepp Hanedaは自分たちとして一番大きい規模なので、負けないようにしたい(笑)。野音は野外ということもあるし、僕らの音も合うと思うんですよ。僕らのライブは、「楽しくて幸せな空間にしたい」ということが何より第一にあるんですけど、僕らのライブで、今年、久しぶりにライブに来るっていう人も多いと思う。そういう人たちに、少しでもいい思い出を増やしたいなと思っています。『DAILY BOP』は「踊らせるアルバム」として作ったので、それを活かしたライブをしたいですね。「MOONLIGHT」なんて特に野音に映える曲だと思いますし。この1年が浄化されるような楽しさと気持ちよさを与えることができればいいなと思います。
■リリース情報
『DAILY BOP』
2021年3月31日(水)リリース
¥2,700(+税)
01.Superfine Morning Routing
02.太陽
03.エモめの夏
04.アドベンチャー
05.ペペロンチーノ
06.雨が降るなら踊ればいいじゃない
07.ON
08.KIDS
09.夜とシンセサイザー
10.MOONLIGHT
11.おやすみね
Bonus Track 光はわたしのなか
先行デジタルシングル「MOONLIGHT」
2021年1月20日リリース
定額制音楽配信サービスで先行配信中
■ライブ情報
『Lucky Kilimanjaro presents. YAON DANCERS』
日時:2021年4月4日(日)
会場:日比谷野外大音楽堂
OPEN 17:00/START 18:00
チケット料金:全席指定¥4,800
一般発売日:2月20日(土)
主催:HOT STUFF PROMOTION
企画制作:dreamusic Artist Management,Inc./VINTAGE ROCK std.
後援:TOKYO FM
TOTAL INFORMATION:VINTAGE ROCK std.
TEL.:03-3770-6900 [平日 12:00-17:00]
■ツアー情報
LUCKY KILIMANJARO ONEMAN TOUR “DAILY BOP”
5/29(土)大阪:CLUB QUATTRO (問い合わせ:清水音泉 info@shimizuonsen.com)
5/30(日)名古屋:CLUB QUATTRO (問い合わせ:JAILHOUSE 052-936-6041)
6/10(木)広島:CLUB QUATTRO (問い合わせ:広島クラブクアトロ 082-542-2280)
6/12(土)福岡:BEAT STATION (問い合わせ:キョードー西日本 0570-09-2424)
6/18(金)札幌:cube garden (問い合わせ:WESS 011-614-9999)
6/20(日)仙台:JUNK BOX (問い合わせ:GIP 0570-01-9999)
7/9(金)東京:Zepp Haneda (問い合わせ:HOT STUFF PROMOTION 03-5720-9999)
■チケット料金: 5,000円(税込・ドリンク代別)
■オフィシャルサイト チケット最速先行予約:3月3日(水)0時〜
http://luckykilimanjaro.net/
※1申し込みあたり4枚まで
※電子チケットのみ
※未就学児入場不可、小学生以上チケット必要
企画制作:dreamusic Artist Management,Inc./VINTAGE ROCK std.
TOTAL INFORMATION:VINTAGE ROCK std.
TEL.03-3770-6900[平日12:00-17:00]/WEB http://www.vintage-rock.com/
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