“働かない方法”指南のビジネス書、ヒットの理由は? キャリア観の変化を考察
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このコロナ禍、わが家ではそれまでなかったことだが、妻が外に働きに出て、夫(筆者)は在宅で仕事をし、家事の一部を分担している。
ちょうど子どもが小学校にあがり、わが家の引越しも一段落したころ、妻がまた外に働きに出ることを決めた。ちょうど、コロナの感染拡大という世界情勢と日本の神奈川県横浜市に居住するイチ家庭の諸事情が重なり、日々の仕事や家事に関する役割分担やスタイルが、いわば劇的に変わったのだ。
具体的には、夫が今週は、どの部屋から順番に掃除機をかけるかを決めて作業にかかり、時には床を水拭きする予定も立てる。夕方には妻が干していった洗濯物を取り込み、学校帰りの子どもにおやつを食べさせ、日中は吠えるか寝るか食べるか(庭で)出すかしている犬の散歩を済ませてから、夕食の支度をする。日常のゴミは、妻が出勤の道すがら所定の置き場に捨てて、そのまま駅に向かう。段ボールなどの日は夫が手伝う。
ちなみに風呂掃除は子どもの仕事だ。
そして、夫が分担する一日の家事は、夕食の後片付けと明日の仕込みを済ませることで完了する。
ザッと日々の生活を振り返ったが、このような毎日が、今やすっかり定着しつつある。
では、おおよそ一昨年前(2019年)の生活はどうだったのか。
夫は、とにかく公共交通機関を利用した移動に追われる生活をしていた。朝早く出かけていき、日中の仕事をすませ、その足で新幹線か航空機に乗る。移動時間も仕事をし(執筆中の新刊ゲラ刷りをチェックしながら寝落ちしてしまい、通路に紙束をばらまいたことが何度かあった)、前泊先のビジネスホテルには終電のおおよそ2時間前に到着、居酒屋のチェーン店を頼りに夕食をとる(かつて、地元のよさげなお店を検索して訪ねたこともあったが、しょせん筆者のようなビビりな異邦人が、一時でもその場に溶け込むことは難しいと遠い昔に判断した)。そんな毎日を過ごしながら、常に考えていたこと、それは何をおいても訪問先をけっして間違えず、かつ、けっして遅刻せず(より正確に言えば、イベント開始30分前には)現場に到着していることだ。そして、無事に到着しさえすれば、その日の仕事の多くは片付いたと言ってしまっても決して過言ではない。
ほんの一昨年前まで、筆者の日常は、このような強迫観念が仕事の範疇を超えて生活を支配し、実体も定かでない何かに急かされながら一年など瞬く間に過ぎていく、そのような暮らしぶりだったのである。
そんな筆者=夫は、いま日がな一日家にいて内容としては同じ仕事をしながら、これまで妻におんぶに抱っこの状態だった家事を分担している。さて、この夫が直面している状況の劇的な変化、読者にとってこの変化は快適だろうか、苦痛だろうか。
やや話は逸れるが(というよりは、やや前置きが長くなり過ぎたが)、ここ数年書店に並ぶビジネス書には、“働かない方法”を指南する内容のものが見受けられる。
ちなみに今回、この記事を執筆するにあたり、参考にしたのが次の3冊の本だ。
①『あやうく一生懸命生きるところだった』
(ハ・ワン=文・イラスト、岡崎鴨子=訳 ダイヤモンド社)
②『今日も言い訳しながら生きてます』
(同上)
③『昼スナックママが教える 45歳からの『やりたくないこと』をやめる勇気』
(木下紫乃著、日経BP)
また、筆者も2019年に「働かない技術」(新井健一著、日経プレミアシリーズ)という書籍を上梓させていただいている。
先ず①と②だが、著者であるハ・ワン氏は、40歳を前にして何のプランもないまま会社を辞め、「一生懸命生きない」と決めた。それまで“頑張って!”“ベストを尽くせ!”“我慢しろ!”という投げかけに懸命に応えてきたが(少なくとも、応えようとしてきたが)、それで幸せになるどころかどんどん不幸になっている気がする……そんな抑えがたい思い、身体が訴える疲弊感が、氏にこれまでの自分や自分を縛り付けていた環境と決別させた。
次に③は、「昼スナブーム」の火付け役としても知られている木村紫乃氏(紫乃ママ)が同スナックの主な来店客層である40代、50代に向けて書いたものだ。
紫乃ママは本書でこんなことを言っている。
スナックママとして3年半、実にさまざまな人にお会いして、私たち世代の考え方にはやっぱり「傾向」があることに気が付いたの。一つは「自分には何もない」と思い込んでいること。もう一つは、自分で長年かけてつくってきた窮屈な「枠」に自らハマってしまっていること。そして、そんなもやもやを相談できる安全な相手が案外いないということです。
『昼スナックママが教える 45歳からの『やりたくないこと』をやめる勇気』P.004(木下紫乃著、日経BP)
これら3冊を含め、“働かない方法”を指南している本が扱うテーマの多くは、実は働くことをやめてしまう方法を論じているのではないということだ。確かに、仕事をより効率的に進める方法、仕事のムリ・ムダ・ムラを省く方法など、仕事の範囲を視える化し、そのやり方を改善することで、働く時間を劇的に短縮するための考え方やノウハウをまとめた本はたくさん出回っている。
実際、筆者も『『もう、できちゃったの!?』と周囲も驚く! 先まわり仕事術』(ダイヤモンド社)や先に挙げた『働かない技術』などで働かない方法を書いた。
内容としては、目先の仕事をどう効率化するかということや、欧米企業と日系企業におけるそもそもの労働観の違い、働き方の具体的な違いを解説した上で、改革の方向性を論じたりしている。しかしながら、本書で働くことそのものを否定したことはないし、他書の多くも同様だと、筆者はそう考えている。
では“働かない方法”の指南書は、読者に何を伝えようとしているのか?
それは、他人から押し付けられた仕事はもちろん、本人の意に沿わない、好きになれない、やる気がでない、もしくは苦手意識が拭えない仕事や(対人関係をも含めた)働き方をわざわざ選択しない方法。もしくは現にそのような仕事や働き方を強いられているのだとしたら、その状況に甘んじることなく理想を探求するための方法を指南しているのではないだろうか。
ここでキャリアという言葉に触れたが、キャリアとは単なる職務経歴に止まるものではない。キャリアとは、一個人の生きざまを表現する言葉でもあるのだ。
確かに、個人の生きざまなどは、当人の自由意思により選びとるものであり、他人がその是非を軽率に論ずるような代物ではない。
しかしながら、自分の生きざまを外に向けて発信したり、他者から引き出したりすることはできる。他の誰もが同じ自由をもっているように。
そして、ここで挙げた2人の著者が、キャリアの中心に据えている価値観が「自分の基準で心地よく生きる」ということなのだ。
ただ、キャリアというものは単にカネを稼いで生きていくための手段、サバイバルの手段としてのみ捉えている個人にとって、この価値観を受入れることはなかなか難しい。確かに、人はサバイバルだけのために生きているのではないが、サバイバルできなかったら自分らしく生きていくこともできないからだ。
そして、多くの職業人が、キャリア=サバイバルという価値観の一側面のみを強く刷り込まれてきた。それは、これらの著書に対するカスタマーレビューを眺めてみれば、よく分かる(特に評価の低いレビューについて)。
いずれにせよ、紫乃ママが想定したような読者層(筆者も含めた40代、50代)には特に、これまで刷り込まれてきたキャリア観を見つめ直すための、いわばリハビリが必要なのである。これについて紫乃ママは意識的に3つの場をもうけて人生のバランスをとれと言っている。では3つの場とは具体的にどんな場なのだろうか?
人生のバランスをとる3つの場
①すぐにお金になる場…勤務先など今の会社
②興味があることをやる場…ボランティアや起業してる人の手伝い
③自分がやり続けたいことをやる場…趣味のコミュニティーなど
この3つの場とキャリアを重ね合わせて考えてみると、②と③はすぐにはお金にならないかもしれないが、いつかお金になるかもしれない、もしくはそこにある人間関係が(打算は抜きにしても)他の場①②に役立つかもしれない。
さて、ここでやっと長すぎた前置きについて、言い訳する機会を得た。
筆者は、このコロナ禍で図らずも①以外の場を見つけたのだ。それは家事の存在である。
家事が②なのか、それとも③なのか、それは自分でも判然としないが、仮にコロナが沈静化したとしても、筆者は引き続き家事を楽しむ経営コンサルタントであり、講師であり、作家でありたい。
最後に、日本人は諸外国民に比べて自己肯定感が極端に低い(自分には何もないという思い込み)。そして、我々世代は特に「働くとは斯くあるべし」「ジェンダーはこうあるべし」というような強い刷り込み(窮屈な『枠』に自らハマってしまっている)を受けてきた。
その強固な価値観を「自分の基準で心地よく生きる」ために再構築していくために、我々は何より広く見聞し、交流し、行動するよりほかに道を切り開く術はない。
そしてその過程は、自分なりの心地よさをさぐる楽しいものであるとよい。
■新井健一
経営人事コンサルタント、アジア・ひと・しくみ研究所代表取締役。1972年神奈川県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、大手重機械メーカー、アーサーアンダーセン(現KPMG)、同ビジネススクール責任者を経て独立。経営人事コンサルティングから次世代リーダー養成まで幅広くコンサルティング及びセミナーを展開。著書に『いらない課長、すごい課長』『いらない部下、かわいい部下』『働かない技術』『課長の哲学』等。