原発事故は何をもたらしたのか、ドキュメンタリー「飯舘村 べこやの母ちゃん」公開
映画
ニュース
「飯舘村 べこやの母ちゃん」場面写真
福島第一原子力発電所事故によって全村避難を余儀なくされた飯舘村を舞台とするドキュメンタリー「飯舘村 べこやの母ちゃん」が、3月11日より東京・ポレポレ東中野ほか全国で順次公開される。
豊かな自然に恵まれた福島県相馬郡飯舘村はブランド牛の生産地として知られ、酪農も盛んだった。しかし福島第一原発事故後、飯舘村の牛たちは放射能汚染が懸念され、牛乳の出荷も、移動も、牧草地の草を食べることも禁止される。そして2011年4月には全村避難が決定し、村民の多くが暮らしと生業を奪われた。2017年3月、帰還困難区域を除くすべての区域で避難指示が解除されたが、6年という年月はあまりに長く、2022年12月時点で帰村した村民は約2割にとどまっている。
監督の古居みずえは、べこ(牛)とともに生きてきた飯舘村の女性たちの心情を丁寧に記録。10年以上の撮影・制作期間を経て「第1章 故郷への想い」「第2章 べことともに」「第3章 帰村」からなる3時間のドキュメンタリーを完成させた。古居は「3人のべこやの母ちゃんたちの人生を通して、原発事故は何だったのか、人々に何をもたらしたのか、考えるきっかけになればと思う」とコメントしている。
YouTubeでは予告編が公開中。
古居みずえ コメント
2011年3月の東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所の事故。私は今までに見たこともない甚大な被害に何をすべきか見失った。仲間の車に同乗させてもらい、宮城や岩手の被災地を訪れることが出来た。被災地の家々の瓦礫の山を見た。避難所にも足を運んだ。しかしそれでも私は何をすべきかわからず、1カ月が過ぎていった。
4月の終わり近く、飯舘村の全村避難のニュースが飛び込んできた。中東のパレスチナに長年通ってきた私には、故郷を追われる飯舘村の人たちの姿が、70数年を難民として生きてきたパレスチナの人々の姿と重なった。それぞれ自分の人生を180度転換させられる事態。飯館村の人たちがどのように自分の生き方を変えていくのか、どのような人生を歩んでいくのか私は気になった。
放射能汚染が懸念された飯舘村の牛たちはミルクを出荷することも、移動することも、牧草地の草を食べることも禁止された。私が飯舘村に行ったときは、ちょうど酪農家の方々が、酪農を休業し、長年可愛がっていた牛たちを屠畜に出す日だった。
べこやの母ちゃんは子牛にミルクを与え、愛情込めて育て上げる。大きくなったら、雨の日も風の日も一日も欠かさず、乳しぼりをする。3人の母ちゃんの生き方は違うが、どんな状況下でも強く、たくましく生き抜いていく姿を描きたいと思った。3人のべこやの母ちゃんたちの人生を通して、原発事故は何だったのか、人々に何をもたらしたのか、考えるきっかけになればと思う。
(c) Mizue Furui 2022